第155回演奏会(1996年10月)維持会ニュースより


「ボランティア」を実感した演奏
〜小出町の第九演奏会〜

新響ヴィオラ奏者 内田吉彦

 去る6月9日、新響は新潟県北魚沼郡にある小出町の「小出郷文化会館」でベートーベンの第九交響曲の演奏を行いました。これは同文化会館のオープニング・セレモニーの一環でしたが、大変すばらしい演奏会となりました。
 この小出郷文化会館は、北魚沼郡の6町村が「バラバラではなくまとまって一つの会館を作り運営していこう」という理念のもとに建てたものです。そして関越自動車道の小出インターからすぐの立地などのハード面だけではなく、会館運営といういわゆるソフト面がユニークなものとなっています。もちろんフルタイムで働いている会館の職員の方が核にいらっしゃるのですが、今回のオープニング・セレモニーをはじめとする企画の立案とそれを実行するための人手の殆どが地元の多くのボランティアによって支えられている点と、館長がいわゆる「民間人」であることも他に例を見ない点となっています。
 東京近郊に住んでサラリーマン生活を送っていると、自分の住んでいる地域のことに目を向けず、地域の活動は「お役所の仕事」と考えがちになります。そんな私が小出町への演奏旅行の下見のために初めて会館を訪れた時、このボランティアの皆さんの活動に新鮮な驚きを受けました。
 合唱の練習のために会館に集まるのですが、車でしかアクセスがない会館の周辺をまだ工事しているために、駐車場がありません。そのためマイクロバスが巡回して団員を運ぶ。小さい子供のために保母さんが託児をする。休憩時の合唱団のためにお茶やジュースを用意する。演奏会のための衣装の申し込みを行う。舞台で合唱団が立つための山台を特別に制作する。
 これらの活動が、青年会議所のJCスタッフ等のボランティアを中心に行われていたのです。自分たちの住む地域での活動を自分たちが行うという、考えてみれば当然のようなことが普段できていない自分を省みた次第です。
 ところで日本語の「ボランティア」には手助けというニュアンスが多分に含まれていますが、英語のVOLUNTEERはVOLUNTARYという形容詞と兄弟の言葉で、「強制ではなく、自らの意志で喜んで、見返りを求めずに行う」というのが本来の意味のようです。ですからよく「ボランティアに駆り出される」などと使うことがありますが、本来の意味から考えるとおかしな使い方ということになります。
 話がそれてしまいましたが、小出町のボランティアの皆さんは「駆り出された」のではなく、本来の意味でのボランティアだったと、下見に訪れてこのような活動を見たときにそう感じました。また、新響が宿泊するホテルや食事の手配に関しても「新響のために自分たちでできることはないか」という心遣いがとても感じられました。実際に宿泊したとても良かったと言われたのは単に朝食のご飯(当然魚沼産のコシヒカリ)がおいしかったからだけではなく、このような心遣いを感じたからだと思います。
 さて演奏会の方ですが、指揮者は大町陽一郎先生、ソリストは新潟県出身の方々、新響はもちろんオーケストラ・パートを担当しましたが、主役はなんといっても魚沼第九合唱団の皆さんでした。前述の6町村の皆さんが中心となった合唱団ですが、第九の合唱経験がゼロの方が大多数だったようです。
 しかし新響が演奏会前日に初めて合唱団といっしょに練習する時、団員はとても緊張してしまいました。それは、東京でのオーケストラの練習を館長の桜井さんが見に来られたときにご挨拶があり、その中で「合唱団は昨年秋から週3回、一番多くでた人だと100回以上練習しています。大町先生に言われたので全員暗譜で歌いますが、人数は約350人です」と言われたからです。実際に練習が始まると「本当に100回練習してある」と誰もが感じ、頑張ろうと思ったはずです。それは第九を歌いたいと自ら思って練習を重ねてきた、ある意味ではボランティアの魚沼第九合唱団の皆さんが、最近新響が忘れがちな「暗譜するくらいに練習する」ということを思い出させてくれたからだと思います。実際、桜井館長の挨拶があった練習のあと、低弦パートは有名な4楽章のレシタティーボの所をオーケストラ全体の練習とは別に練習したらしく、他の団員は「あっ」と内心(?)思ったようでした。
 このような中で演奏会は大変すばらしいものになりました。ベルリン・フィルの演奏会がプロのオーケストラが達成すべきポイントを数多く達成してすばらしい演奏会にするのとは別に、アマチュアのオーケストラや合唱団にも達成すべきポイントがあり、今回の演奏会はそれらを数多く達成したことで満員のお客様に感動を与えたと思います。後日「今回の演奏会は新潟県内で大変話題になっている」とのお手紙をいただき、恐縮するとともに大変うれしく感じました。
 小出町の第九演奏会はこのようにボランティアに囲まれた演奏会でした。ところでアマチュア(AMATEUR)の第一義はLOVEであると芥川先生は常々おっしゃっていましたが、愛している音楽をVOLUNTARYに演奏し、また演奏会が本来の意味のボランティアに満ちていた場合、演奏会がどれほどすばらしいものになるかを新響はこの演奏会を通じて感じたはずです。
 新響の第155回演奏会は同じ作曲家ベートーベンの作品だけのプログラム。小出町の経験をした新響が「オケが自ら(VOLUNTARY )動く」という課題の一つをクリアしてすばらしい演奏会にすることができるでしょうか。


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