第179回演奏会のご案内


●渡邉康雄−信濃−フィンランド
 ヤン・シベリウスがヘルシンキを離れ、彼の後半生を過ごすことになった北郊の田園地帯ヤルヴェンパー、トゥースラ湖近くの「アイノラ」の家に移ったのは、1904年(明治37)のことであった。交響曲第1番が作曲されてから5年が過ぎていた。
 その翌年、日本の信濃では、フィンランドからの宣教師ウーシタロ、クルピネン両嬢が九州の長崎、佐賀を経て甲府から馬車を乗り継ぎ、祖国に似た、白樺と湖のある諏訪地方へ布教に入った。両師は下諏訪町の湯田新田にフィンランド派福音ルーテル教会を創設し、諏訪は日本における布教の重要な拠点のひとつとなった。そして、ウーシタロ等は向学心の強い近隣の若者達に大きな影響を与えたのであった。1905年のクリスマスの日には、指揮者・ピアニスト渡邉康雄の祖父忠雄が、後年アララギ派の歌人として名声を挙げた今井邦子ら7名と共に洗礼を受けた。
 シャープ嬢という英語講師に学んで英語を能くした忠雄は、1907年には、日露戦争後初めての日本人渡航者として、フィンランドの神学校に留学したのであった。彼は、ヘルシンキ音楽院(現シベリウス音楽院)で声楽を学んだシーリ・ピトカネンと結婚し1911年帰国する。
 この、忠雄、シーリ夫妻の次男が、世界的なシベリウス指揮者であった渡邉暁雄(1919〜1990)である。シーリと暁雄は、第二次世界大戦直後のラジオ放送、ステージなどでシベリウスの歌曲、ピアノ曲などを紹介していて、日本のシベリウス楽曲受容の一翼を早くから担っていた。
 今回の新響の演奏会では、およそ100年に及ぶフィンランドとの交流の歴史を背負う渡邉康雄が、そのスケールの大きい音楽性を生かして、民族的風土的色彩の濃いシベリウスの最初の交響曲にどう取り組むか大変に楽しみである。
 また、渡邉康雄の祖父がフィンランドの文化に初めて触れて98年目の今秋に、同じ下諏訪の地で渡邉康雄の父の音楽的功績を記念して開催される「北欧音楽祭すわ2002」に出演して、渡邉康雄と新響がシベリウスを演奏する「縁」は、信濃とフィンランドとの交流の歴史的時間のなかでひとつの記念すべきイベントとなるであろう。長野市でフィンランディアを共演する高校選抜のメンバーにも、若き忠雄が触れたであろうフィンランドの息吹を感じて頂ければ、新響の長野演奏旅行はさらに意義深いものになる。

●渡邉康雄
 指揮者渡邉暁雄の長男として1949年東京に生まれる。東京芸大附属高校作曲科卒業後渡米、ニューイングランド音楽院、ジュリアード音楽院等でピアノ科に移籍、セオドア・レトヴィン、サッシャ・ゴルトニツキーに師事。この間タングルウッド音楽祭等への出演、ボストンでのリサイタル、ヨーロッパでの協奏曲共演などで活躍。
 日本では1972年東京文化会館にてブラームスのピアノ協奏曲第2番を父子共演でデビュー、以後現在までにNHK交響楽団、東京都交響楽団、ヘルシンキ放送交響楽団などと共演している。数多くのソロ・リサイタルのかたわら室内楽分野でもヴァイオリンの堀米ゆず子、声楽の岡村喬生、チェロのリン・ハレルらのパートナーとして活躍。
 指揮者としては1982年に徳島交響楽団、88〜91年には神戸室内合奏団の常任指揮者もつとめた。92年には日本フィルで指揮デビュー。以後日本フィル、東京都響、オーケストラ・アンサンブル金沢、広島響、群馬響などを指揮して絶賛を博す。現在くらしき作陽大学音楽学部教授、桐朋学園大学音楽学部ピアノ科講師。新交響楽団とは98年の160回演奏会でシベリウス交響曲第2番を共演している。

●ウラジミール・オフチニコフ
 ロシア・ウラル地方に生まれる。幼い頃に家族とともにモスクワに移り、A・アルトボレフスカヤに師事。モスクワ音楽院に進み、ロシアン・ピアニズムを世界に知らしめたとされるアレクセイ・ナセドキン教授に師事。1980年のモントリオール国際コンクール、82年のチャイコフスキー国際コンクールなどで優れた成績をおさめ、87年のリーズ国際ピアノ・コンクールで第1位入賞、センセーショナルな世界デビューを果たした。演奏活動のかたわらモスクワ音楽院、ロンドン王立アカデミーで後進の指導にあたり、2001年4月、くらしき作陽大学「モスクワ音楽院特別演奏コース」ピアノ専修特任教授に就任。

●アンドレイ・ピサレフ
 1983年ラフマニノフ国際ピアノ・コンクール(モスクワ)第1位入賞。くらしき作陽大学「モスクワ音楽院特別演奏コース」ピアノ専修特任教授。1962年ロシア共和国ロストフ生まれ。7歳からピアノのレッスンを受け、1978年モスクワ中央音楽院に入学、ボリス・シャスキー教授に師事。1982年モスクワ音楽院に入学、ロシアン・ピアニズムを象徴する存在として知られるセルゲイ・ドレンスキー教授に師事し、薫陶を受ける。1987年同音楽院を卒業後89年に修士号取得、ドレンスキー教授の助手をつとめた後、助教授に就任。1983年にはラフマニノフ国際ピアノ・コンクール第1位入賞をはじめ、91年国際モーツァルト・コンクール(ザルツブルク)第1位など各地で優れた成績をおさめている。2000年4月より、くらしき作陽大学「モスクワ音楽院特別演奏コース」ピアノ専修特任教授に就任。

●新交響楽団
 1956年創立。音楽監督・故芥川也寸志の指導のもとに旧ソ連演奏旅行、ストラヴィンスキー・バレエ三部作一挙上演、10年におよぶ日本の交響作品展(1976年にサントリー音楽賞を受賞)などの意欲的な活動を行ってきた。その後もマーラーの交響曲全曲シリーズ(故山田一雄指揮)、ショスタコーヴィチ交響曲第4番日本初演、日本の交響作品展91、92(石井眞木指揮)などの演奏会、1993年9月にはベルリン芸術週間に参加して3邦人作品をフィルハーモニーで演奏するなど、積極的な活動を行っている。1996年には創立40周年記念シリーズでワーグナー「ワルキューレ」の演奏会形式公演(飯守泰次郎指揮)、「日本の交響作品展'96」では1930年代から40年代にかけての知られざる作品を発掘するなど、各方面から注目を集めている。

第179回演奏会(2002年10月14日)ちらしより


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