第161回演奏会のご案内


新響のマーラー演奏史

 アマチュアオーケストラ新交響楽団(新響)がマーラーの演奏に本格的に取り組むようになったのは、1979年に山田一雄を迎えての第5交響曲からでした。以来1988年までの10年間に、「大地の歌」を含む全交響曲を演奏しました。同一指揮者による同一オーケストラでの全曲演奏は、日本初の快挙でもあります。
 山田一雄は、マーラーの弟子であるクラウス・プリングスハイムの門下生であり、深い情熱をもって私どもを指導しました。はじめのうちは手探りで取り組んでいたメンバーも、回を重ねるにつれマーラーの音楽を全身で表現する喜びを共有したものです。
 1991年に惜しくも山田が亡くなったあとは、その没後1周年の追悼演奏会に再び第5交響曲を演奏いたしました。その時指揮に迎えたのは、山田の教えを受けた小泉和裕でした。

小泉和裕と新響

 小泉和裕は日本国内のみならず、世界を舞台に活躍している指揮者です。その卓越したバトンテクニックについては特に高く評価されております。それはオーケストラにとって、アンサンブルがやりやすいということでもあります。
 しかしながらオーケストラのメンバーが、3カ月という練習期間をアンサンブルのやりやすさのみに安住していたならば、結果的には平凡な演奏になってしまうかも知れません。小泉は内に秘めた音楽のエッセンスを、安易に表わし出そうとはしないことがあります。オーケストラの内面に音楽が豊かに醸造され、それが自然に溢れ出るような演奏こそを彼が求めているのではないかと感じます。
 新響に課せられた課題は大きいのですが、臆することなく挑戦してゆきたいと思います。そしてまさにこれから円熟の境地に入らんとする小泉と共演できるのは、私どもにとって大きな喜びであります。

マーラー交響曲第6番

 1903年から1905年にかけて作曲された第6交響曲は、マーラーがアルマと結婚し2人の子供に恵まれて、幸福の絶頂にあった時の作品です。ところがこの曲は4つの楽章のうち3つが短調、しかも全交響曲のなかで唯一短調のままで終わります。その第4楽章には、大きな木のハンマーによる「運命の打撃」が2回もあります。それはマーラー自身の悲運の予告のようでもあり、それゆえにか「悲劇的」という通称までつけられています。新響がこの曲を初めて演奏したのは1980年、今回は18年ぶりの再演です。

同時代作曲家としてのメシアン

 1930年に作曲された「忘れられた捧げもの」は、演奏時間13分ほどの小品ですが、メシアン23才の傑作です。表題が暗示するのは、「キリストの払った犠牲を人々が忘れている」というもので、そこにはメシアンの深いカトリック信仰の片鱗がうかがえます。
 メシアンの作品を新響が取り上げるのは、今回が初めてです。私どもは邦人作品の演奏などを通じ、今世紀の作品を「同時代」のものとして深く共鳴を覚える体験を重ねてまいりました。今回の新しい取り組みがどのような実を結ぶか、どうぞご期待ください。

新響マーラー演奏年表 

1971  交響曲第1番(芥川也寸志)
1972  交響曲第1番(芥川也寸志)
1979  交響曲第5番、花の章(山田一雄)
1980  交響曲第6番(山田一雄)
1981  交響曲第7番(山田一雄)
1983  交響曲第9番(山田一雄)
1983  交響曲第2番(山田一雄)
1984  交響曲第3番(山田一雄)
1985  大地の歌(山田一雄)
1986  交響曲第8番(山田一雄)
1987  交響曲第10番(山田一雄)
1988  交響曲第4番(山田一雄)
1988  交響曲第9番4楽章、さすらう若人の歌、交響曲第1番(山田一雄)
1992  交響曲第5番(小泉和裕)
1994  交響曲第2番(小林研一郎)
1995  交響曲第7番(小泉和裕)
1998  交響曲第6番(小泉和裕)

新交響楽団プロフィル

 1956年創立。音楽監督・故芥川也寸志の指導のもとに旧ソ連演奏旅行、ストラヴィンスキー・バレエ三部作一挙上演、10年におよんだ日本の交響作品展(1976年にサントリー音楽賞を受賞)などの意欲的な活動を行ってきた。最近ではマーラーの交響曲全曲シリーズ(故山田一雄指揮)、ショスタコーヴィチ交響曲第4番日本初演、日本の交響作品展91、92(石井眞木指揮)などの演奏会、また93年9月にはベルリン芸術週間に参加して3邦人作品をフィルハーモニーで演奏するなど、積極的な活動を行っている。96年には創立40周年記念シリーズでワーグナー「ワルキューレ」の演奏会形式公演(飯守泰次郎指揮)、「日本の交響作品展'96」では1930〜40年代の知られざる作品を発掘するなど、各方面から注目を集めている。

第161回演奏会(1998年4月18日)ちらしより


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