HOME | E-MAIL | ENGLISH

芥川也寸志:交響三章(トリニタ・シンフォニカ)

橘谷 英俊(ヴィオラ)

 作曲家芥川也寸志が新交響楽団の前身の労音アンサンブルを初めて指揮したのは1955年11月9日であり、翌年3月1日の規約の成立をもって新交響楽団が創立された。「交響三章」はその8年前の1948年8月30日に完成したが、このとき、芥川は最下位で入学した東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)を前年に首席で卒業後、研究科に在学中で、弱冠23歳だった。最初の管弦楽作品である「交響管絃楽のための前奏曲」に続く2番目の管弦楽作品となる。翌年以降放送とステージで初演されて好評を得、芥川の事実上の出世作となったが、後にゼネラル(現富士通ゼネラル)のテレビ受像機のコマーシャルに第3楽章が使われ、1980年代には一躍人気曲となった。本作品の2年後に作曲された「交響管絃楽のための音楽」、5年後の「絃楽のための三楽章(トリプティーク)」とは音楽上の特徴が共通する点も多く、初期の代表作となっている。
 曲は3つの楽章から構成される。

第1楽章 カプリッチョ(Capriccio)Allegro
 ファゴットの伴奏音型に誘われてクラリネットが諧謔的な第1主題を奏する。伴奏音型はこの楽章の最後まで続き、躍動感を維持している。第1主題は伴奏形を変えながら木管楽器、弦楽器に移動していき、下降音型とシンコペーションを持つ第2主題が登場する。ピアノソロによる第1主題の再現の後、第1主題、第2主題の変化形が現れるが、ここで2/4拍子と3/8拍子からなるリズム音型が現れて気分が変わり、チェロとファゴットに第3主題が登場する。以上の各主題が変形を繰り返し、徐々に静かになっていき、あっけなく終わる。この楽章には芥川の音楽の特徴である、躍動的なリズム、軽快な旋律、執拗な反復(オスティナート)が現れており、プロコフィエフやショスタコーヴィチの雰囲気も感じられる。また、この楽章の変拍子のリズム音型は「春の祭典」のリズムを彷彿とさせるが、芥川は幼少の頃からストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトルーシュカ」のレコードを聞きながら遊んだそうで、著作『音楽を愛する人に』で「春の祭典」を紹介していることからも、影響を受けた可能性がある。


第2楽章 ニンネレッラ(子守唄 Ninnerella)Andante
 ファゴットのソロで牧歌風の第1主題が奏され、作曲中の1948年7月に生まれた長女に対する愛情と喜びが感じられる。この旋律はクラリネット、フルート、弦に移っていく。中間部はオーボエで哀愁を帯びた第2主題の旋律が奏でられるが、「たっぷり歌って、素直にもの悲しげに」との指示がある。この旋律は徐々に盛り上がり、フルオーケストラによる慟哭となる。これが収まるとトランペットが第1主題を再び奏で、楽器を変えながら最後は祈るように終わる。師の伊福部昭譲りの魂を揺さぶるような美しい旋律は芥川作品の最大の魅力だが、この第2主題には深い悲しみも感じられ、戦死した次兄多加志への鎮魂の思いが投影されているとも考えられる。

第3楽章 終曲(Finale)Allegro Vivace
 フルオーケストラによる2小節の導入部に続き、元気の良い第1主題が提示され、いろいろな楽器に現れた後、5/8拍子のリズム動機を挟んで第1主題に類似した第2主題がクラリネットに現れる。フルート、弦に移った後、再度第1主題が現れ、オーケストラ全体に広がって盛り上り、静かになると、第1ヴァイオリンにプロコフィエフを思わせる軽快な第3主題が現れてオーケストラ全体に広がって盛り上がると第1主題が重なり、そのまま力強く終わる。
 この楽章もひたすら前に進む躍動感に満ちてパワーがあり、芥川の音楽の魅力を良く表している。

 ここからは恐れ多いので芥川先生とさせていただく。
 新交響楽団は本年創立以来64年となったが、芥川先生は1989年に逝去されたので今年で31年経ち、新響史のほぼ半分が芥川先生との接点がない状態になっている。この結果、先生の指揮、指導に接したことのある団員は28人ほどを残すのみになっている。芥川先生は遠慮されたのか、自身の作品を新響ではあまり振られなかった。特に「交響三章」は取り上げる機会もあまり多くなかったが、第3楽章を実に楽しそうに振られていたことが印象的である。芥川先生の練習はテレビの「音楽の広場」などで見られた、優しい語り口とは全く違って、大変厳しく、弦楽器奏者に一人ずつ弾かせることなどもしょっちゅうあったが、団員は先生の情熱を感じ、必死でついて行った。

 芥川先生は新響の練習や合宿、著作などで、アマチュアについて「音楽はみんなのもの」、「アマチュアは愛が語源であり、アマチュアこそ音楽の本道」、「アマチュアを『素晴らしきもの』の代名詞にしたい」、「アマチュアらしい素晴らしい響きにするためには、各団員が自身に挑戦する精神で必死に練習する必要がある」などの内容を、いろいろな表現で情熱的に述べられていた。大変説得力があり、さすがは文豪芥川龍之介の息子だと感じ入ることが多かったが、文豪の三男と紹介されることは嫌がっていたと聞く。
 このような芥川先生の理想、精神は現在の新響にも脈々と引き継がれており、邦人作品の中でも芥川先生およびその師の伊福部先生の作品に対する新響団員の愛着は並々ならぬものがある。今後も長く共感と愛情をもって演奏していきたいものである。

初演:放送初演…1949年9月16日 NHKラジオ放送、作曲者自身の指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
ステージ初演 … 1950年10月26日 日比谷公会堂、尾高尚忠指揮 日本交響楽団(現NHK交響楽団)
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、ピアノ、弦五部

参考文献:
毛利蔵人『交響三章』(スコア解説)全音楽譜出版社 1992年
芥川也寸志『音楽を愛する人に 私の名曲案内』筑摩書房 1990年
新交響楽団『第126回演奏会プログラム』 1990年


第251回演奏会(2020.10.18)パンフレット掲載

このぺージのトップへ