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ドヴォルザーク:連作交響詩「水の精」、「真昼の魔女」、「金の紡ぎ車」、「野鳩」、「英雄の歌」

武田直久(ヴァイオリン)

はじめに

今回お送りするのは、ドヴォルザークが晩年の連続した期間に作曲した5つの交響詩である。交響詩においては交響曲に比べるとはっきりとした、言わば元ネタとなるようなストーリーなどが存在する場合がある(後述「ドヴォルザークと交響詩」参照)。今回演奏する5曲のうちはじめの4曲--『水の精』『真昼の魔女』『金の紡ぎ車』『野鳩』はそれぞれが一篇の詩に依っている。
今回、演奏会の全曲の解説を書かせていただけるという僥倖に恵まれたので、気になる項目だけ拾い読みしても読みやすい構成とした。順番にこだわらず、お好きなところから読んでいただきたい。

ドヴォルザークの生涯

ドヴォルザークは1841年、チェコのプラハから30kmほど離れた小さな村に生まれた。幼い頃から音楽に囲まれて育ち、16歳になってプラハのオルガン学校でオルガンの演奏、音楽理論や作曲を学んだ後に音楽家として本格的な活動を始めた。30代半ばごろから頭角を現し、40~50代にかけては音楽家としての最盛期を迎え、国際的にも大作曲家の一人として認められるようになった。そうしたなかで1892年にプラハ音楽院で教鞭をとりはじめると、今度は「新世界」アメリカのナショナル音楽院から招聘の手紙が彼の元へ舞い込む。ボヘミアに強い愛着を持っていたドヴォルザークが異国からの誘いに応じたのは、かなりの蒸気機関車好きだったと言われる彼のアメリカ大陸横断鉄道への興味があったためかもしれない。
アメリカに渡ってからのドヴォルザークは、当地の黒人や先住民の音楽に近づいた。今日では考えられないほど強い人種差別的偏見が広く浸透していた当時においてその試みが困難なものであったことは容易に想像されるが、最終的に広く受け入れられるようになったことは交響曲第9番『新世界より』の成功をみれば明らかである。アメリカの黒人霊歌から大いに着想を得たこの交響曲は、アメリカの人々に熱狂的な喝采をもって受け入れられた。そんな中でも、次第にドヴォルザークはアメリカでの生活を苦に感じるようになっていった。幼い頃からボヘミアの音楽の中で過ごし、育ってきた音楽家である。当然といえば当然ではあるが、この頃の作品からはアメリカの文化を取り込もうという姿勢よりもボヘミアへの強い郷愁が感じられる。
帰国した1895年からの約10年間で、ドヴォルザークは今回取り上げる5つの交響詩以外にも4つのオペラを含む多くの作品を書き上げているが、その中には民族的な要素が多く見られる。特にチェコ周辺の国々に広く伝わる水の精の民話を元にしたオペラ『ルサルカ』は、ドヴォルザークが作曲中に滞在したチェコのヴィソカーの森にある神秘的な湖の風景から得られたインスピレーションによって生み出された傑作である。時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の喝采をも得たこの作品は、今なおチェコ・オペラのなかで最も人気の高い作品の一つである。世に送り出した作品が次々と成功を収める中で新たな題材の選択に困難を強いられたドヴォルザークは、それからしばらく作曲から遠ざかる。1年2ヶ月ものブランクを経て書き上げた最後のオペラ『アルミダ』が1904年3月に初演されるも、大きな支持は得られないままその年の5月に62年の生涯を閉じることとなった。

ドヴォルザークと交響詩

ドヴォルザークが初めて交響詩の形式による作曲に手を染めたのは、1891年、『自然と人生と愛』であったと言えるだろう。3曲の演奏会用序曲『自然のなかで』『謝肉祭』『オセロ』からなり、それぞれ独立しているが共通した「自然」というテーマが統一性をもたせている作品である。
演奏会用序曲というのは、演奏会で単体で演奏されるように書かれた曲のうち、オペラの序曲がストーリーを彷彿とさせるのと同様にテーマやストーリー、すなわり標題をもたせて作られた曲のことである。交響詩はこの演奏会用序曲と同じ「標題音楽」に分類することができる。音楽は絶対音楽と標題音楽とに大別されるが、 前者は「人の持つ人性の内的な営みを,一般的情調として,これを象徴的に記述しようとした音楽」すなわち抽象的に世界を描いたものであるのに対し、後者は「ある特定の感情を具体的に表出しよう」とし、「ある特定の人物の性格・言動・経験などや,事物の景観や事件をも音化しようとするもの」(いずれも石桁真礼生『新版 楽式論』より)と説明される。
『自然と人生と愛』を書いた時点ではドヴォルザークは絶対音楽に近い立場をとり、標題を楽想に優先させることをためらっていたらしい。しかしこれ以前の作品にも具体的な描写や明確な感情が現れている(交響曲第8番など)ことからすると、彼がその後改めて「交響詩」というジャンルに取り組んだことは自然に思われる。
『自然と人生と愛』から5年後、アメリカから帰国したドヴォルザークはかつて『幽霊の花嫁』の題材を得たエルベン(後述)の民族詩集『花束』に再び題材を求め、4つの交響詩を次々と生み出していく。これらの作品には題材としたエルベンの詩に対する執着とも言えるこだわりが感じられる。大まかなストーリーだけでなく一つ一つのセリフ、言葉に至るまでを忠実に表現しているのである。残念ながらチェコ語の素養がない私にはわからないが、曲の旋律にのせて詩を歌うことが可能な部分も曲中にあるという。生前から親交を深めた同郷の音楽家ヤナーチェクはこうした手法を称賛し、これを手本とした話し言葉の抑揚に基づく「発話旋律」をひとつの作曲手法として昇華させている。
4曲のうち『金の紡ぎ車』だけは早くからカンタータ(交声曲)としての作曲を考えていたものの、渡米によって中断したのち帰国後にようやくとりかかったらしい。驚くべきはその作曲ペースで、『水の精』『真昼の魔女』『金の紡ぎ車』は1896年の1月に半月ほどの短期間で次々とスケッチを書き上げ、4月までに相次いで完成させている。その年の10月には『野鳩』の作曲にも取り掛かり、翌11月には完成させた。こうしたことからもチェコの民話に基づいたこれらの曲に対するドヴォルザークの情熱が感じられる。ちなみに、連続して作られた初めの3曲に関しては、ドヴォルザークは3曲をひとまとまりに考えていたようである。
それから約一年後、再びペンをとったドヴォルザークは新たな交響詩の作曲に取り掛かる。最後の管弦楽曲にもなったこの『英雄の歌』はそれまでの4曲とは大きく異なり、エルベンの詩に着想を得たものではない。しかしながらボヘミアの民俗的なテーマが織りなすこの曲は、しばしば作曲したドヴォルザーク自身の人生に対照されたり、あるいは直前に帰らぬ人となった親友ブラームスの死に影響されたとも言われる。
ドヴォルザークは旧来の絶対音楽の形式をなるべく引き継ぎながら標題音楽に取り組んだが、具体的な表現に取り組んだことを考えると、同じく比較的具体性の高いテーマを持ったバレエ音楽を書く気を起こさなかったことが不思議にも思えてくる。『白鳥の湖』『くるみ割り人形』などのバレエ音楽の傑作を残したチャイコフスキーとの親交があり、しかもチャイコフスキーが『白鳥の湖』を書いた年に彼と会っているのだから、存在を知らなかったわけではないだろう。『白鳥の湖』ではドヴォルザークの興味をバレエに向けるに足りなかったのであろうか…

エルベン

エルベンはドヴォルザークがちょうど生まれた頃に活躍していたチェコの詩人、歴史家で民話の収集・研究家である。1811年、プラハ北東のミレティーンに生まれ、プラハで哲学・法学を修めたのち、1837年から裁判所の書記官として働き始める。その後プラハ市の初代の古文書保存官となり、一般には知られていない貴重な文献に触れながら、チェコ国内を旅行して各地の民話・民謡を積極的に収集した。1870年に亡くなるまでチェコ語にまつわる多種多様な資料の発掘に取り組み、その葬儀は壮大な国民的行事であったという。民話の収集においては、仕事中の年老いた人々が口ずさむ歌に耳を傾け、羊飼いたちの話を聞き、多数の材料を集めた。その活動から、エルベンは「チェコのグリム」と呼ばれることもある。
今回の『水の精』など4曲の元となった『花束』は1858年に発表された、民話・民謡のテーマを歌い込んだ詩集である。これは「バラッド(語られる詩)」と呼ばれる物語詩で、テーマとしては暗く陰鬱で、悲劇的なものが多い。エルベンは民話・民謡をそのまま詩としてまとめるのではなく、自ら手を加えて緊張感あふれる詩篇に仕上げている。『花束』はチェコにおいては学校で取り上げられるほどポピュラーな作品であり(その割に日本語の文献は非常に限られていて執筆者泣かせであった)、ドヴォルザークやヤナーチェクと言った音楽家に限らず多くの詩人たちの作品や映画など、後世に多大な影響を与えている。

ドヴォルザークとブラームス

ブラームスはドヴォルザークより8つ年上の、「ドイツ3大B」の一人にも数えられるドイツの大作曲家である。二人の出会い--というよりはブラームスによるドヴォルザークの発見というべきかもしれないが--は1874年、ドヴォルザークが作曲家として世に広く知られるよりも前のことであった。そのころ、ドヴォルザークはヴィオラ奏者として働いていた楽団をやめ、収入の低い教会のオルガニストになる代わりに作曲の時間を多く確保して沢山の曲を書いていた。それでも新婚で生活に困窮していたドヴォルザークは、友人の勧めでオーストリア文化省の奨学金に応募する。この奨学金の審査員を務めていたのが、ブラームスだったのだ。ブラームスはドヴォルザークの稀代の才能を見抜き、奨学金選考会でドヴォルザークの後押しをしたようである。ドヴォルザークはそれから何年か続けて奨学金を得るのだが、4年目の1877年に、ブラームスへ手紙を送っている。その内容は、選考会での後押しの礼を述べるとともに、ブラームスの支援を求めるものであった。当初からドヴォルザークの曲に興味を示していたブラームスはこの願いを快く聞き入れ、自分の作品の出版元であるベルリンのジムロック社の社長に紹介したのだった。このブラームスの取次によってドヴォルザークの曲がヨーロッパ各国で人気となり、その地位と名声を高め安定した収入をもたらしたことを考えれば、ブラームスはドヴォルザークの大恩人ということになるだろう。それからも二人の交流は生涯にわたって続いた。二人が顔を合わせた回数は決して多くはなかったが、互いに率直に意見を述べあい、称賛し合うよき友人だったらしい。ブラームスはドヴォルザークについてこんな言葉を残している。「あの男は、我々の仲間の誰よりも発想が豊かである。彼の捨てた素材をかき集めるだけで、主題をつなげていくことができる。」
ドヴォルザークがアメリカへ渡っていた時期にもやり取りを欠かさず、音楽面でもサポートしていたブラームスだが、1897年に帰らぬ人となってしまう。その直後に書かれたことから、5曲目の交響詩『英雄の歌』はブラームスの死に影響されてその生涯を音楽に描き出したのではないかとも言われるが、真偽は定かではない。


ここからはそれぞれの曲についてもう少し詳細な解説を加えていく。末尾のエルベンの詩と合わせて鑑賞の一助としていただければ幸いである。

『水の精』

日本語では「水の精」と訳されるヴォドニーク(vodník)だが、これは一般に妖精と聞いてイメージされるような美しい人型をした精ではない。むしろ現地の人からすると我々の河童に対するイメージが割と近いらしい。ロシアや東欧諸国をはじめとするスラブ語族の人々の間で古代より親交されてきた低位の水神、あるいは水の精で、魚の世界を支配している。ロシアではヴォジャノーイの名前で知られており、体は鱗で覆われ、指の間には膜があり、目は火のように赤いというからなんとも恐ろしい河童である。
「精」と聞くとなんとなく美しいものをイメージしがちだが、「精」(「精霊」ではない)のもつ本来の語義からすれば河童だって水の精なのである。特にこの作品における水の精は恐るべき水の世界の支配者として描かれているから、そこを履き違えては冒頭から登場する水の精のテーマの印象が違ってくるだろう。同時に流れてくる2ndバイオリンの16分音符が、なんとも言えない不安と恐怖に満ちた雰囲気を醸し出す。
ホルンのFisに導かれるようにして場面が変わると、そこには湖に惹かれていってしまう娘と母の姿が。正気ではないのであろう、心ここに在らずといった感じの娘のテーマと、恐れや悲しみといった感情のなかに懇願する様子が垣間見える母のテーマはそれぞれの登場人物の感情を驚くほど明らかに表現している。その後これらのテーマを中心として曲は詩と同様に劇的に展開していく。
初演:1896年11月14日 ヘンリー・J・ウッド指揮
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ2、ティンパニ、グロッケンシュピール、トライアングル、シンバル、大太鼓、タムタム、弦5部

『真昼の魔女』

この曲はドヴォルザークの交響詩の中で最も簡潔で--きっと元のエルベンの詩が短いためである--、非常にわかりやすくどこかディズニーのアニメーション音楽のような雰囲気をもっている。曲にそのまま映像をつけるだけで立派なアニメーションになりそうだ。はじめのテーマで聴く者を物語の世界に引き込み、一人一人の登場人物に与えられた明確なモティーフとともに劇的にストーリーが展開されていくあたりはいかにもアニメーション的である。
母の気を引こうと駄々をこねる子供、それを慈愛に満ちた声でなだめる母、そして突如現れた魔女といった一つ一つの場面がはっきりと繰り広げられていく。また、冒頭の穏やかなお昼頃の雰囲気や家族の待つはずの自宅へうきうきとした足取りで戻ってくる父親など、詩では直接語られない部分もありありと描写することで、より一層音楽を聴く者を物語に没入させる力を強めている。
初演:1896年11月21日 ヘンリー・J・ウッド指揮
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、ベル、トライアングル、シンバル、大太鼓、弦5部

『金の紡ぎ車』

この曲はもっとも長いストーリーを背景に持ち、それ故に冗長だと酷評されることもあるが、それでもドヴォルザークの交響詩らしい、詩の描写に忠実な表現が見られる作品である。
おとぎ話にありがちなストーリーの繰り返し(場面4など)がみられるエルベンの詩にドヴォルザークはこだわり、一つ一つの場面を音で表現しきっている。文字で描かれた詩の情景を見事に音楽化したドヴォルザークの手法は称賛に値するだろう。ヴァイオリンソロで紡がれる繊細なドルニチカ(主人公である娘)の姿や、4分の3拍子で小気味好く回る紡ぎ車など随所にドヴォルザークらしさが現れている曲である。
初演:1896年10月26日 ハンス・リヒター指揮
編成:フルート2(1番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、ハープ、弦5部

『野鳩』

この曲もエルベンの詩を元に書かれたものの、前の3曲がひとまとまりとしてドヴォルザークに意識されていたのに対して、少し後から単独で書かれたものである。それでも、前の3曲を書いていた頃から構想は練っていたようだから、やはりエルベンの詩集を元に短期間に集中して書かれた交響詩としてまとめて扱っても問題ないだろう。
これまでの3曲とは異なり「呪い」がはっきりとしたテーマに据えられているのが特徴的だ。冒頭から葬送行進曲のリズムを表すホルンとティンパニに導かれて、フルートとヴァイオリンによる未亡人のテーマが歌われる。これが曲全体の核となっていく。エルベンの詩の冒頭では、未亡人の涙が実は偽りの涙であり、彼女が夫を毒殺したのだという事実が知らされていないが、ドヴォルザークは葬送行進曲の中に「運命の動機」と名付けた主題でそれを暗示している。この罪の意識は何度か繰り返され、未亡人の苦しみを克明に描写している。
初演:1898年3月20日 レオシュ・ヤナーチェク指揮
編成:フルート2(1番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、タンブリン、ハープ、弦5部

『英雄の歌』

この曲は、エルベンの詩ではなく作曲者自身が描いた詩的なテーマを音楽として紡いでいるという点において他の4曲とは大きく異なる。すでにいくつかの項し触れたが、その自伝的な内容や作曲時期から、この曲はドヴォルザーク自身の生涯を描いているとも、親友ブラームスの生涯を描いているとも言われるが、どちらの説も決め手に欠けるようだ。いずれにせよ重要なのは一人の英雄の生涯を見事に描いた作品であるという点だ。構想の段階では『英雄の生涯』、ついで『英雄礼讃』と題され、ドヴォルザークの弟子ノヴァークが『英雄の歌』を推すまで『勝利の歌』とされたこともある。
序奏に続く主要な3つのセクションからなる、交響曲を思わせる4部構成となっている。序奏では自信に満ちた若き英雄の姿が表現され、続く第1部では打撃を受けた英雄の悲嘆の歌と失望を、第2部では慰めと自信の回復を、第3部では英雄の反撃と勝利の歌を描写している。
初演:1898年12月4日 グスタフ・マーラー指揮
編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、弦5部


参考文献


石桁真礼生 『新版 楽式論』 音楽之友社 1998年
ギー・エリスマン (福元啓二郎) 『不滅の大作曲家 ドヴォルジャーク』 音楽之友社 1975年
属啓成 『ドヴォルザーク 音楽写真文庫Ⅷ』 音楽之友社 1963年
クルト・ホノルカ (岡本和子) 『<大作曲家> ドヴォルザーク』 音楽之友社 1994年
内藤久子 『作曲家 人と作品 ドヴォルジャーク』 音楽之友社 2004年
Stephen Scott Johnson, NARRATIVE AND FORM IN DVORAK'S SYMPHONIC POEMS BASED ON THE FOLK POETRY OF KAREL JAROMIR ERBEN , 1997
「新版 ロシアを知る事典」
世界文学事典 集英社 編者 『世界文学事典』編集委員会 2002年
増補改訂 新潮世界文学辞典 編集 新潮社辞典編集部 1990年
「金色の髪のお姫様 チェコの昔話集」 カレル・ヤロミール・エルベン文、アルトゥシ・シャイネル絵、木村有子 訳 岩波書店 2012年
カレル・ヤロミール・エルベン編 出久根育 絵 阿部賢一 訳 「命の水 チェコの民話集」 西村書店 2017年
文章、挿絵 Lucie Lemová(ルツィエ・ロモヴァー) 翻訳 Mgr. Jan Budka 「貴重なチェコの童話」 PRAH 2008年
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