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リヒャルト・ワーグナー:トリスタンとイゾルデ

品田 博之(クラリネット)


1.「トリスタンとイゾルデ」を楽しむには
 2018年5月の日曜日、SNSやテレビなどのニュースに“ワグネリアン”の文字が踊った。“ワグネリアン”という競走馬が日本ダービーで優勝したのである。これで日本中にワグネリアンということばが広まったのだが本来の意味を知っている人はどのくらいいただろうか。ご存じのようにワグネリアンとはワーグナー音楽愛好家のことであり、そこには“ワーグナーの熱狂的な愛好家でちょっと危ないかいもしれないやつ”というニュアンスもこめられている(かもしれない)。馬主にもワーグナーの熱狂的な愛好家がいたのだろう。ところで、ワグネリアンという言葉はあるがベートーヴェニアンとかブラームシアンとかいうのは聞いたことがない。バッハ、ショパンにもない。ほかにはモーツァルティアンくらいだろうか。(なお、ブルヲタというブルックナー愛好家を自虐的なニュアンスで呼ぶ言葉はある。)いずれにしろワーグナーの音楽に魅せられると万国共通、熱狂してしまう傾向にあるようだ。そして冗談でなく真の意味で危ない人も歴史上にいた。
 話を戻そう。ワグネリアンの中で、おそらく一番人気なのが本日演奏するトリスタンとイゾルデではないだろうか。その魅力とはなんだろう? 一人のワグネリアンの見解として述べさせていただくと、エロティシズムが音楽によって表現されつくされていてその凝縮度が彼の作品の中でも抜きんでているからだと思う。全曲約4時間のうちの大部分が、主人公であるトリスタンとイゾルデの心理的駆け引きと性愛の場面に費やされ、音楽は二人の心理状態や行為をこれでもかと言わんばかりに深く、そして執拗に表現する。焦燥、期待、興奮、絶頂、気怠さ、恍惚、裏切り、絶望などを音楽でよくもこれだけ精緻に深く表現できるものだと思う。まさに奇跡的な音楽だと言わざるを得ない。全てが聴き所と言ってよいほど充実していて、一度嵌ると抜け出せない魅力にあふれているのである。
 しかし一方で「いつ終わるとも知れぬ音楽を聴かされ、一眠りして目が覚めたがまだ同じ歌手が同じように歌っていた。」などと揶揄されることもある。その理由は、とにかくなかなか話が進まないからなのである。本日演奏される、このオペラの中核となる第二幕、約70分間に何が起こるかと言えば、不倫の逢引きを女性主人公が待ち焦がれる場面(第1場)、ようやく会えてからの愛の場面(第2場)、二人が愛の絶頂を迎えるところで寝取られた王様とその家来たちが踏み込んで、王様が延々と嘆いたあと男性主人公がやけになって王の家来に刺される(第3場)。以上で終わりなのである。波乱万丈、紆余曲折のストーリーはない。何が面白いかと言えば、前述のように男女の愛にまつわる登場人物たちの心理描写につきる。ではその面白さを味わうにはどうすればよいだろう。それは以下の二つではないだろうか。


1)主人公への感情移入
 まずは登場人物、特に二人の主役トリスタンとイゾルデの置かれている境遇や心境に、できる限り想像をめぐらせて理解・共感して感情移入することである。そのためにはこのオペラの背景をできるだけ細かく知っておくことが必要である。オペラの背景いわゆる前史の説明はワーグナーの台本によくある特徴(悪い癖?)で、登場人物の歌の中に「あのときああした。あそこでこうした。」と、延々と回顧談が出てくる。これは字幕をご覧になっていればある程度はわかるのだが、初めて見る方には情報量が多すぎて、また暗示的にでてくるので把握しきれないおそれがある。そのため、この物語の背景、登場人物の境遇、粗筋などを事前によく理解しておくとよい。


2)主要な示導動機(ライトモティーフ)の理解
 「トリスタンとイゾルデ」は他のワーグナーの作品と同じように、特定の物、人物、感情などの概念を表す短い旋律を多数組み合わせて作られている。この旋律を示導動機と呼んでいる。普通の歌劇にあるような、わかりやすいメロディーで一つの歌が構成されるいわゆる「アリア」というものはない。示導動機は、歌やオーケストラに変幻自在に現れて劇の進行や登場人物の心理状態を表現する。難しそうに思えるかもしれないが、主要な示導動機(旋律)を覚えてしまえばとても理解しやすいともいえる。ちなみに、この手法を最初にわかりやすく取り入れて名曲「幻想交響曲」を作ったのがベルリオーズである。
 それでは、以上二つに関して順に説明していこう。


2.主人公たちへ感情移入するための準備
1)「トリスタンとイゾルデ」の背景
 厳格なキリスト教が社会の規範であり、君主と家臣の上下関係、女性の純潔、騎士道精神が絶対であった中世ヨーロッパ。モロルトという名の勇者の活躍によりアイルランドは圧倒的な力で周辺諸国を傘下に収めていた。マルケ王が治めるコーンウォールも例外なく屈辱的な境遇にあった。マルケ王は領民からの信望は厚いものの戦は得意ではなかったのだ。しかしあまりに非道な支配に耐えかね、ついにアイルランドに戦いを挑む。傍目からは勝ち目がない戦いのように見えたが、実はコーンウォールにはトリスタンという、カレオール出身のまだ若く無名だが非凡な勇者がいたのである。彼は敵国の勇者モロルトを巧みに挑発し、孤島での両者一騎打ちの決闘に持ち込む。トリスタンのことをただの若造と侮ったモロルトは、不覚にもトリスタンの剣の一撃を頭に受けて命を落とす。将軍のモロルトを失ったアイルランド軍は敗走し、それ以来弱体化してしまう。
 さて、勝利したトリスタンがその後どうなったかだが、さすがモロルト、戦いの際に猛毒を塗った剣でトリスタンに傷を負わせていたのである。治療の甲斐なくトリスタンは瀕死の状態になってしまう。そこで、医術が抜きんでていることで知られていたアイルランドならば解毒できる人物がいるかもしれないと考え、トリスタンは藁をもつかむ思いで身分を隠して一人小舟に身を横たえ、アイルランドに向けて流れる潮にまかせて船を出す。運よくアイルランドの岸辺にたどり着き、運ばれたところが高度な医術を身につけていることで名高いアイルランドの王女イゾルデのもとであった。
 イゾルデはトリスタンを見て、その高貴で美しい姿に惹かれつつ親身に治療を施す。話せるくらいに回復したのでイゾルデが名前を尋ねるとトリスタンは「タントリス」と答える。ちょうどそのころ、討たれたモロルトの首がコーンウォールからアイルランドに送り返されてイゾルデのもとに届く。実は、モロルトはイゾルデの従兄であり婚約者でもあったのだ(しかしその婚約は多分に政略的なものであったのかもしれない。少なくともイゾルデの言葉にモロルトへの心よりの愛を感じさせるようなものはみあたらない)。モロルトの頭蓋骨に剣の破片を見つけたイゾルデはひらめくものがあり、若者(自称タントリス)の持っていた欠けた剣にその破片を合わせてみる。なんとぴったりだ。目の前に横たわる美しい若者が祖国アイルランドの敗戦のきっかけを作った敵の勇者だったのだ。イゾルデはモロルトの復讐を果たそうと病床のトリスタンに剣を振り下ろそうとする。しかしトリスタンは全く動揺することなく、美しい瞳でイゾルデを見据えるだけであった。そのときイゾルデにどのような心境の変化があったのか。その場で剣を取り落し、その後もトリスタンの治療に精を出すことになる。無事回復したトリスタンはこの恩は一生忘れないと言い残して去る。
 トリスタンはコーンウォールに帰国し、親友のメロートとともに、マルケ王に再婚を迫る。マルケ王は若くして妻を亡くし子供がいなかった。そして主従逆転したアイルランドとの関係を維持するためにもアイルランドの王女イゾルデを娶るべきであるとマルケ王に強く勧める。マルケ王は非常に謙虚な性格で、いまさら年老いた自分にそのつもりはないと固辞するのだが優しく優柔不断な性格とコーンウォールのためを考え、ついにその勧めを受け入れる。そして、イゾルデを迎えに行くためにトリスタンは再びアイルランドへ向かい、アイルランド国王と話をつけ、めでたくイゾルデをコーンウォールに戻る船に乗せることに成功する。この船の上の情景からオペラが始まる。


2)主要登場人物の紹介とその心理状態
 主人公への感情移入の助けとするために、次は登場人物それぞれに焦点をあてて説明してみる。


■トリスタン
 トリスタンはフランスのブルターニュ地方のカレオール出身で、今はコーンウォール一番の勇者であり、マルケ王が最も信頼する家臣である。父はトリスタンが生まれる前に戦死し、母もトリスタンを生んだ後すぐに亡くなってしまっているので両親のことは記憶にない。死への憧れが強く、オペラの前史で少なくとも1回もしくは2回、オペラの中でも3回は“未必の故意”で死のうとして3回目でついに死んでしまう。前史での2回とは、最初にモロルトを挑発して決闘に持ち込んだという無謀な行動。次に、イゾルデのもとで治療を受けているときに素性がばれ、イゾルデに剣を振り下ろされそうになったとき何の抵抗もせずにイゾルデの目を見据えた、という行為である。この瞬間トリスタンはイゾルデのことをどう思ったのか?そして治療してもらい無事に帰してもらうことになった時、イゾルデに対して単に感謝の念だけではなかったことは明らかだろう。しかし、船上で図らずも媚薬を飲んでしまうまではそのそぶりを見せるどころか、イゾルデをマルケ王の後妻にする計画まで率先して奨めてしまう。この行為を理解するのに、中世の厳しい身分制度やコーンウォールとアイルランドの関係を慮ったものであると解釈するのが無難ではあるのだろうがもっと深い解釈もできるような気がする。とにかくトリスタンは勇士ではあるがいろいろ鬱屈したものを多く抱えた面倒くさいやつなのである。


■イゾルデ
 トリスタンにモロルトが打ち取られるまではたいへんに羽振りが良かったアイルランド国の王女であるからプライドがとても高かったはずである。また、アイルランドは薬草の調合技術が進んでおり、イゾルデはその秘術を身につけている。敗戦によりプライドはずたずたにされてしまったのだろうけれど、自分のもとに担ぎ込まれた素性のよくわからない若者を親身に治療するのだから、とても高貴な精神と優しさを持ったお姫様に違いない。目の前の若者が婚約者モロルトのかたきであることが判明したのちもなお、なぜその“かたき”を取らずに治療を続けたのか?理屈では割り切れない感情が沸き起こったとしか思えない。トリスタンの美しさや憂いをたたえた眼差しにやられてしまったのか?いずれはトリスタンと結ばれると思い込んでしまったのではないかと考えられる。ところが、マルケ王に嫁がねばならないということになり、しかもよりによってあのトリスタンが、まるで貢物を運ぶかのように自分を迎えにきたことで逆上し、愛しさ転じて憎さ百倍、元敵国の爺さん(と言っても多分50歳未満)の妻になるくらいならトリスタンを殺して自分も死んでやると思っている。


■マルケ王
 コーンウォール国の王でトリスタンの伯父にあたる。とにかく「人格者」である。最初の妻には先立たれ、その後は独身であった。ということからそれなりの年齢であることが推察される。トリスタンに全幅の信頼を寄せており、最初は乗り気でなかったイゾルデとの結婚もトリスタンの強い勧めで承諾した。にもかかわらずトリスタンに裏切られることになる。最後には全てを許して二人を結婚させようとするのだが…。登場すると嘆いてばかりである。


■ブランゲーネ
 イゾルデの従者であり、ずっとイゾルデの身の世話をしている。第一幕では死の薬を用意するようにイゾルデに言われるが、動揺のあまり媚薬を用意してしまう。第二幕のトリスタンとイゾルデの逢引きの場面では見張り(全曲中で特に美しい歌を二回歌う)をしているのだが役に立たず、二人が絶頂を迎えるその瞬間にマルケ王たちに踏み込まれてしまう。第三幕直前にマルケ王に全てを打ち明けて許してもらうのだが、時すでに遅し…。など、やることが全て裏目に出てしまう。後悔はいかばかりだったであろうか。ブランゲーネは筋書上も音楽上も非常に重要な役割を担っている。なにしろ第一幕でイゾルデの指示のとおりに死の薬を渡してしまったらそもそもオペラが成り立たないわけであるし。


■クルヴェナール
 トリスタンの忠実な家臣。少々お調子者でもあり、トリスタンの苦悩などは表面上しか理解できていないようであるがトリスタンに最後まで仕え、トリスタンを裏切ってマルケ王に密告したメロートを討つ。しかし、最後には問答無用でマルケ王にまで“お命頂戴”などといってしまうものだから王の部下に討たれてしまい、トリスタンの亡骸の近くで息を引き取り、涙を誘う。本当に“いいやつ”なのである。


■メロート
 このオペラで唯一の悪役。トリスタンの元親友だがトリスタンとイゾルデの仲をマルケ王に密告、逢引きの場面に踏み込んでトリスタンを刺す。トリスタンがアイルランドとの戦いで活躍するまではトリスタンと同格か格上だったのかもしれない。それまでは親友としてふるまっていたのだがトリスタンが破格の出世をしたとたんに足を引っ張る。悪役ではあるものの世間によくいそうな普通の“ちっちゃい”やつである。


■羊飼いと舵取り
 動きのほとんどないこのオペラにおける数少ないスペクタクルな場面展開を作る二つの役。第3幕でトリスタンとクルヴェナールに船が来たことを知らせる羊飼いと「マルケ王の一行が攻めてきた。もうだめだ。」と伝える舵取り。出番は一瞬だが場面を切りかえるために欠かせない役である。


3. 主な示導動機(ライトモティーフ)の説明
 このオペラを楽しむもう一つの条件、示導動機を紹介しよう。実はたくさんあるのだが厳選して7つだけ紹介する。第一は「憧れの動機」(譜例1)である。本日最初に演奏される前奏曲の冒頭において、この動機の前半部分をチェロ、後半部分を木管(オーボエ、クラリネット、オーボエ)によってほぼ譜例通りに、ただし音が上昇しながら3回演奏される。
 チェロの奏する前半はトリスタンまたは“憧憬”を表し、木管が奏する後半をイゾルデまたは“欲望”を表すとも言われている。このライトモティーフは半音階で上昇して下降、きれいな協和音に解決するかと思いきや次の音がかぶさってさらに上昇してそのサイクルを繰り返していくというもので、トリスタンとイゾルデがお互いを求めあう憧憬(欲望)がいつまでたっても満たされずに高まっていく様子に通じると思われる。その後すぐ、さらに際限ない胸の高まりを感じさせる「愛のまなざしの動機」(譜例2)がチェロで奏され、さらに続いて「愛の魔酒の動機」(譜例3)が現れる。このとき同時に、和声のためのただの背景のようで聞き逃しかねないがとても意味ありげで不穏な「死の動機その2」(譜例4)が低音楽器により奏されている。この二つは同時に奏されることが多い。
 トリスタンとイゾルデはお互いの憧憬と欲望が我慢の限界にきて、ついに二人で魔酒を飲み干す。死の薬のはずだったのだがそれが実は愛の薬(媚薬)であり、二人を踏みとどまらせていた社会通念や道徳といったタガが外れて突っ走り、そして破局に向かうというこのオペラの本質を表しているといってもよいだろう。なお「死の動機その1」もあるのだが、特に目立ってわかりやすく出てくるのは本日演奏しない第一幕なのでここでは省略する。
 もちろん二幕にも出ては来るのだが。残りの厳選ライトモティーフ3点、まずは「光(昼)の動機」(譜例5)。これは少し説明が必要である。
 トリスタンとイゾルデは媚薬を飲んでからはもうあっちの世界に行ってしまっており、昼、つまり社会や人間関係に縛られる世界を忌み嫌っているわけである。あまりに卑近なたとえで恐縮だが、夜に書いた手紙や作文、特にラブレターを「昼に見るなんて恥ずかしくて無理!」ということの極端なものと考えてもよいかもしれない。そのためこのライトモティーフは「傲慢な(insolent)昼の動機」または少々意味不明だが「憧れの痛みの動機」などとも呼ばれている。第2幕はこのライトモティーフで開始され、数えきれないほど何度もいろいろなところで繰り返される。6個目は「至福の動機」(譜例6)または「まどろみの動機」とも呼ばれる、まったりとした幸福感に包まれたもので、愛の場面で絶頂を迎えたあと、その熱を冷ますような感じで出てくることが多い。確かに“絶頂の後の至福”そんな感じである。
 次はいよいよ「愛の死の動機」(譜例7)である。これは終曲「イゾルデの愛の死」で冒頭から繰り返し演奏される忘れられない旋律であり、第二幕ではトリスタンとイゾルデの愛の場面でひたすら盛り上がり「死んでしまったほうがいいのだろうか」と歌う場面で初めて登場し、最後の絶頂まで繰り返し登場して高揚して行く。
 以上7つの示導動機を紹介したが、研究者によればこのほかにもたくさん、50個近くの示導動機があるそうである。ただしワーグナーは示導動機の記録を残しておらず、研究者によって分類や名称はかなり異なっている。名称の違いにはさほどこだわる必要はなく、示導動機がいろいろな場面でテンポやリズムや調性を変えて出てくるのと台本(字幕)に出てくる言葉とだぶらせて聴ければ十分楽しめるはずである。
 ここまでがトリスタンとイゾルデを楽しむための予備知識なのだが本日は大変残念ながら1幕は前奏曲だけ、3幕は第3場からの演奏なのでもうすこし細かい筋書を予習しておいたほうがよいだろう。次の章ではそれを紹介する。


4. 物語の進行(やや詳しい粗筋)
1)第一幕
 前奏曲にはこの楽劇の魅力が凝縮されている。トリスタンとイゾルデの飽くことなき憧憬と張りつめた心理状態が表現される。冒頭に流れるのは「憧れの動機」(譜例1)、くりかえされるのは「愛のまなざしの動機」(譜例2)と「愛の魔酒の動機」(譜例3)でそれと同時に低音でうごめくのは「死の動機その2」(譜例4)である。


【第一場】本日演奏されません。 
 船の上、イゾルデはマルケ王に嫁ぐためコーンウォールへ向かっている。その船を操るのは、あのトリスタンである。同じ船に乗りながらトリスタンはイゾルデに会おうともしない。トリスタンに惹かれ、命を救ったにもかかわらず、なぜマルケ王の后とならねばならないのか、なぜトリスタンに無視されるのか、イゾルデは激しく苛立つ。


【第二場】本日演奏されません。
窓の向こうにトリスタンと従者クルヴェナールの姿が見える。イゾルデはその姿を見つけてトリスタンへの恨み言をつぶやき、トリスタンを連れて来るようにと侍女ブランゲーネに命令する。ブランゲーネはそれをトリスタンに伝えにくるが、トリスタンはあいまいな返事で逃げようとする。一方、トリスタンの従者クルヴェナールは「アイルランドのモロルトとトリスタンが小島で決闘し、トリスタンが見事に勝ってモロルトの首をアイルランドに送りつけた」とうたう。根はいいやつなのだがずいぶん無神経だ。


【第三場】本日演奏されません。
 クルヴェナールに笑いものにされたイゾルデは、激怒する。そしてブランゲーネに向けて、トリスタンとの因縁を解き明かす。前史で述べた内容である。あのときに剣を振り下ろしていればこんなことにはならなかったのに、とイゾルデは後悔する。
 ブランゲーネは、夫になるマルケ王は素晴らしい方、イゾルデ様を一目見て夢中にならない男などいるはずがない。それにイゾルデの母が持たせてくれた媚薬を使えば大丈夫とうたう。イゾルデの苛立ちはそういうことではないのだが、ブランゲーネも無神経なタイプだ。そこでイゾルデは、媚薬ではなく死の薬を指し示す。うろたえるブランゲーネ。


【第四場】本日演奏されません。
 クルヴェナールが到着の準備を急がせるためにイゾルデの部屋に入ってくる。イゾルデはクルヴェナールに、トリスタンに赦しを求めに来るようにと伝える。クルヴェナールが退場するとイゾルデはブランゲーネに死の薬を用意するよう命じる。動揺するブランゲーネ。そこへトリスタンが登場する。


【第五場】本日演奏されません。
 二人の沈黙の後、トリスタンとイゾルデの間でかなり回りくどいやり取りが続く。イゾルデの本心はトリスタンの口から愛しているという言葉を聞きたいのだろうが、ストレートにそれを口にせず、自分の婚約者のかたきであるのがわかっていながら救ってやったことを言ってなじる。トリスタンは、ならばここで仇を討てばよいと言って剣を渡す。しかしイゾルデは和解の償いの盃を二人で飲み干そうと盃を差し出す。お互いはすでにどうしようもないほど惹かれ合っているが意地の張り合いである。盃に入っているのは死の薬であると察しているトリスタンは進んで盃をあおる。イゾルデはトリスタンから飲みかけの盃を奪い取って競うように飲み干す。しかし実は、ブランゲーネが恐ろしさのあまり死の薬ではなく媚薬を入れてしまってだ。これによりそれまで必死だった意地の張り合いも、気にしていた世間の目も身分の違いも吹っ飛んで本能の赴くままの男女になって熱烈な抱擁を交わす。その直後に船が港に到着し、マルケ王の家臣たちの歓声にさえぎられる。ブランゲーネはイゾルデを正装に変え、クルヴェナールはトリスタンを讃えるために部屋に飛び込んでくる。別働隊のラッパ隊がファンファーレを吹き、唐突に第一幕が終わる。


2)第二幕 本日すべて演奏されます。
【第一場】
 第二幕の前奏曲はいきなり「昼の動機」(譜例5)の強奏で始まる。イゾルデの居室の前庭、イゾルデがトリスタンのお忍びの来訪を待ちわびるそわそわした音楽と、マルケ王一行の夜の狩における角笛のこだまが聴こえてくる。扉には目立つように松明が掲げられている。舞台上にはイゾルデとブランゲーネ。イゾルデは「恋は盲目」状態に陥っている。松明を消すのがトリスタンへの合図となっており、イゾルデは早く松明を消すようにブランゲーネに迫る。しかしブランゲーネは、今日の狩は仕組まれたものであり、二人の逢引きを取り押さえるための陰謀だと警告する。消せだの消さないだのの一悶着の後、最終的にイゾルデが松明を手にして、その火を消す。この辺りからトリスタンが登場して二人の抱擁に至る第二場冒頭までの音楽の盛り上がり方はものすごい。


【第二場】
 ここからがいよいよ愛の場面。トリスタンが庭に飛び込んできて二人の固い抱擁と燃え盛る情熱が激しい音楽で表現される。待ち焦がれていたことが実現したが未だに信じられない様子が良く出ている対話が続き、さらに逢引きを邪魔していた昼の光に対する憎しみを歌う。これがかなり長いし、言っていることもとても理屈っぽい。さすがドイツ人ワーグナー、散々焦らしてくれる。
 ようやく音楽が静かになって、えもいわれぬ甘く気だるい雰囲気がかもし出されてくるといよいよ史上最長で最甘の愛の二重唱が始まる。昼に決別し夜への賛歌となり、音楽による性愛描写が続く。ここまでエロティックに愛の場面を表現した音楽は他にないだろう。しばらくすると見張り台のブランゲーネが警告の声を発する。ここがまた大変に美しい。この最中、二人は一声もうたわないのだがいったい何をしているのだろう?想像にお任せする。この陶酔的な音楽の後は一時的に緊張が緩んで気だるい雰囲気となる。ここで「至福(まどろみ)の動機」(譜例6)が何回か聴こえてくる。トリスタンは「このまま死なせてくれ」などと言う。その後しばらく“賢者タイム”なのか哲学的なやり取りが続く。トリスタンはやはり「死」を考えている。イゾルデは、あなたが死んだら愛も終わってしまうのでは?と問い掛ける。それに対しては「それならば、ともに死のうではないか。…中略…、ただ愛に生きるために!」ここではじめて「愛の死の動機」(譜例7)が現れる。再び性愛の音楽が盛り上がる。死んでもいいかと思わせるぐらいの盛り上がりである。イゾルデはこの死の宣誓に「身も心もあずけて」同調する。そこでまたブランゲーネのあの美しい警告の歌が響く(さすがワーグナーうまいです)。夜は白々と明けてきている。今度はイゾルデが「私を死なせて」と呟く。これ以上ないくらいの絶頂を迎えるかという瞬間に破局を迎える。「愛の夜」は突然終焉のときを迎える。


【第三場】
 「逃げなさい、トリスタン!」慌てて飛び込んできたクルヴェナール。だが既に遅し、マルケ王とメロートたちがその場に踏み込んでくる。侍女が心配したとおり夜の狩は罠だったのだ。マルケ王は信頼していたトリスタンが自分を裏切ったことを延々と嘆く。しかしトリスタンは一切弁解をしない。「昼」の世界にいる者には「夜」の世界のことなど理解できるわけがないということであろうか。トリスタンはイゾルデの方を向くと「これからトリスタンが行く先へついてくるか? そこは陽の光の射さぬ国…」と歌う。トリスタンは第一幕でイゾルデの盃を受けたときから死を覚悟していたと考えられるがここでも暗示的に死への願望が現れていると言えるだろう。イゾルデはこの申し出を受ける。するとメロートが剣を抜いて挑発してくる。トリスタンも剣を抜いて応戦するかと思ったその瞬間、トリスタンはわざと自分の剣を落とし、メロートの刃に飛び込んでいく。一同がトリスタンの行為に呆然としているうちに第二幕が終わる。
 第二幕終結後第三幕開始までのできごととして、トリスタンはクルヴェナールによって故郷のカレオールに連れ帰られる。トリスタンは深手を負っており、ほとんど回復の見込みがないような状況である。イゾルデはその後を追うことができず、事情は明らかではないがコーンウォールにとどまる。


3)第三幕
【第一場】本日は演奏されません。
 場面はトリスタンの故郷カレオール。トリスタンは、瀕死の重傷を負って昏睡状態に陥っている。ようやく目覚めたトリスタンにクルヴェナールが、故郷カレオールに来た経緯を話す。トリスタンはイゾルデに会いたいという強い欲求を狂ったように延々とうたう。クルヴェナールは、イゾルデに来てもらえるようコーンウォールへ使者を送っており、今到着を待っているところだと話す。トリスタンはいまだ来ないイゾルデの船を待ち焦がれ、これまでの出来事を回想し、狂乱し失神する。
しばらくして意識を取り戻したトリスタンは、再び、船に乗ったイゾルデの幻影を見る。そこへ船がこちらに向かっているという合図が鳴り響く。その知らせに、トリスタンは飛び上がらんばかりの勢いで喜ぶ。


【第二場】本日は演奏されません。
 トリスタンは、当然じっとしていられない。寝台から立ち上がり、包帯をむしりとる。おびただしく血がしたたりおちる。自分で傷口を広げるなど狂っているとしか言いようのない行動だ。そしてついにトリスタンの耳にイゾルデの声が届く。イゾルデの姿を認め、身体をあずけて崩れ落ちるトリスタン。再会した二人は媚薬を飲んだ直後のように見つめあう。しかしトリスタンは「イゾルデ!」と一声発して息絶える。イゾルデは亡骸をかき抱いて嘆き悲しむ。


【第三場】本日はここから演奏されます。
 羊飼いがもう一隻船が着いたことをクルヴェナールに告げる。マルケ王とメロート、ブランゲーネがやってくる。クルヴェナールは剣を片手に戦い始めるが多勢に無勢だ。主人のかたきであるメロートだけは何とか倒して復讐を果たすが、調子に乗ってマルケ王に向かって戦いを挑もうとするのでマルケ王の家臣に討ちとられてしまう。マルケ王がこの戦いのありさまを見て嘆き、ブランゲーネは必死でイゾルデに呼びかける。媚薬の秘密をマルケ王に打ち明けたところマルケ王はすべてを許してイゾルデをトリスタンと結婚させようと急いで船を出したのだ。しかし、そんな周囲のもろもろの出来事からはイゾルデはもはや超越している。いよいよクライマックスの「イゾルデの愛の死」となる。
 「やさしく、おだやかな彼の微笑み、その目を柔和に開く、そのさまをごらんになれますか、みなさん? しだいに輝きをまして彼がきらめくさま、星の光にとりまかれて昇って行くさまを? ごらんになれますか?」文章だけでは気がふれてしまったようにしか思えないが、ここまで通して音楽を聞いてくると本当に「やさしく、おだやかな彼の微笑み」が見え、イゾルデが確実に昇天していく様子が聴こえてくる。ここがワーグナーの音楽魔術の最たるものだと思う。「この高まる大波の中、鳴りわたる響きの中、世界の呼吸の吹きわたる宇宙の中に── 溺れ── 沈み─われを忘れる─このうえない悦び!」と「愛の死」を歌い、イゾルデはトリスタンのなきがらの上に斃れる。


初演:1865年6月10日 ハンス・フォン・ビューロー指揮 ミュンヘン宮廷劇場
楽器編成:フルート3(3番奏者ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ1、クラリネット2、バスクラリネット1、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、シンバル、トライアングル、ハープ、弦五部
その他別働隊として
第一幕:舞台上にトランペット3、トロンボーン3(本日は演奏されません)
第二幕:舞台裏にホルン6
第三幕:舞台上にコールアングレ、ホルツトランペット(本日は演奏されません)


参考文献:
1. 城後麻美著『トリスタンとイゾルデ論』http://pippo.sakura.ne.jp/page/tristanundisolde0.htm
2. 高辻知義著『ワーグナー』岩波文庫 1986年3. ベディエ編 佐藤輝夫訳『トリスタン・イズ-物語』岩波文庫 1953年
4. スタンダードオペラ鑑賞ブック[4]ドイツオペラ(下) 音楽之友社 1999年
5. 品田博之 新交響楽団第195回演奏会プログラム解説 2006年
6. John Weinstock and Matthew Heisterman制作“Tristan and Isolde”https://www.laits.utexas.edu/tristan/index.html

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