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フランツ・シュミット:歌劇「ノートルダム」より間奏曲と謝肉祭の音楽

橘谷 英俊(ヴァイオリン)

■間奏曲はお好きですか?
 歌劇の幕と幕の間、または幕中での小休止に演奏される楽曲である間奏曲には名曲が多い。ビゼーの「カルメン」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、レオンカヴァルロの「道化師」などがすぐに思い浮かぶが、歌劇中で使用されるテーマを用いたり、次の幕で行われる内容を連想させるようなものが多く、長い歌劇中の息抜きや気分転換を図ったり、次の幕への期待を高める効果がある。美しいメロディー(時には歌劇とは無関係なものも使用されることがある)を持つものが多く、歌劇中で聴いても、独立した管弦楽曲として聴いても心地良い。
 1969年に発売され、現在も売れ続けているカラヤン指揮のベルリン・フィルによるオペラ間奏曲集は、発売当時クラシック音楽としてはベストセラーになり、私もレコード(CDではない)を購入し繰り返し聴いた。このアルバムに含まれた曲はほとんど知っている曲だったが、1曲だけ全く知らなかったのに特に印象的な曲があった。それが本日のプログラムの最初に演奏する「ノートルダム」の間奏曲だったのだが、実演に接することもなく長い月日が流れ、本日シュミットに造詣の深い(2015年の第231回演奏会でシュミットの交響曲第4番を演奏)寺岡清高氏の指揮で演奏する幸運に恵まれたことになる。

■シュミットの音楽
 歌劇「ノートルダム」の作曲者であるフランツ・シュミット(1874-1939)は、プレスブルグに生まれた。当時はオーストリア=ハンガリー帝国で、現在はスロヴァキアの首都ブラティスラヴァ。ちなみにラフマニノフ(1873-1943)、シェーンベルク(1874-1951)、ラヴェル(1875-1937)と同世代である。しかし、これらの人々と比べるとあまりにも知名度が低く、影が薄い。
 シュミット一家は1888年にウィーンに移住し、すでにピアノに非凡な才能を発揮していたフランツはブルックナーなどの著名な指導者に作曲、ピアノ、チェロを学び、1896年に卒業後、ウィーン宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場)のチェリストに指名されるとともに、1914年からはウィーン音楽アカデミーのピアノ教授(1927年から31年は校長)をつとめた。
 作曲を始めたのは比較的遅く、初期の作品を自ら破棄しているために若い頃の作品はほとんど残っていないが、当時ウィーンで流行していた12音技法などには目もくれず、ハーモニーに斬新な面はあるにせよ、古典を踏まえ、師のブルックナーやリスト、マーラー、レーガーなどの影響を感じさせる管弦楽の濃厚な響きを持つスタイルを貫いた。また、旋律は生地のスロヴァキアやハンガリーの影響を思わせるものが多い。

■マーラーとの確執
 ウィーン宮廷歌劇場およびウィーン・フィルにシュミットが加わった翌年、マーラーが芸術監督になった。ハプスブルグ家の支配が続き、世紀末の爛熟した文化に酔うウィーンの誇り高い伝統を破壊しようとする気性の激しいマーラーに、シュミットは当初は新風を吹き込むものと歓迎したが、その後宮廷歌劇場に渦巻く陰謀に巻き込まれることになる。シュミットの交響曲第1番が成功し、名誉あるベートーヴェン賞を受賞した1902年に、新聞がシュミットの作品をマーラーの作品と比較したことがマーラーを激怒させ、シュミットを敵視するようになったことが発端だが、マーラーの義理の兄弟に当たる宮廷歌劇場のコンサートマスターのアーノルド・ロゼーが楽団員をシュミットに敵対させるように仕向けた黒幕だと言われている。それまでチェロのソロを務めていたシュミットに、ウィーン外のポストを勧誘して宮廷歌劇場から追放しようとするような陰謀が続き、シュミットも反マーラーを公言するようになり、二人のぎくしゃくした関係はマーラーが芸術監督を辞任する1907年まで続く。解雇されそうになった時には、シュミットは自らチェロの末席に座ることによって解雇を免れ、1911年に辞任するまで宮廷歌劇場及びウィーン・フィルの団員であり続けた。
 このような二人の対立は歌劇「ノートルダム」の運命にも影響を及ぼすこととなる。

■歌劇「ノートルダム」
 歌劇「ノートルダム」は、パリの観光地の中でも人気の高い、世界遺産ノートルダム大聖堂を舞台として書かれたヴィクトル・ユゴーの長編小説「ノートルダム・ド・パリ」に基づく歌劇で、シュミットと本職が化学者のレオポルト・ウィルクとの共作で台本が作られた。1904年から歌劇が作曲され、1906年に完成された。しかしその演奏は前述したように対立関係にあったマーラーや他の指揮者に拒否され、初演はマーラーが亡くなった後の1914年まで行われなかった。この初演の年、ヨーロッパの各国は第一次世界大戦に巻き込まれていくが、1918年の敗戦を機にオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊することになる。
 原作の「ノートルダム・ド・パリ」はロマ(ジプシー)の美しい娘エスメラルダを巡る3人の男(つまり四角関係)の宿命を描く悲劇で、次のようなあらすじとなっている。
 エスメラルダを見初めたノートルダム寺院の司教補佐フロロは、背骨は曲がって容貌は醜いが清い心を持つ鐘楼守カジモドに命じて彼女を誘拐しようとする。この時彼女を助けた王室射手隊隊長のフェビスにエスメラルダは一目ぼれしてしまうので、フロロは嫉妬からフェビスを襲ったばかりか、エスメラルダには濡れ衣の罪で死刑にすると脅したものの拒否される。エスメラルダは死刑にされそうになるが、鐘楼で見ていたカジモドが彼女を救い、ノートルダム大聖堂の中に避難させた。軍隊が動員されてノートルダムが陥落すると、エスメラルダは絞首刑に処せられる。この様子を塔の上から見ていたフロロはカジモドにより突き落とされ、カジモドは姿を消す。後に刑場の墓穴ではお守り袋を首にかけた骸骨を抱きしめる背骨の曲がったもう一つの骸骨が見つかった。
 これに対し、歌劇では、ノートルダムはパリと特定されておらず、小説では端役の元詩人グランゴワールがエスメラルダの夫としてエスメラルダを巡る第4の男に設定され、司教補佐は名前が明らかにされていない。また、小説のエピローグの部分はなく、カジモドが司教補佐を突き落す場面で終わっている。

 小説の「ノートルダム・ド・パリ」は「ノートルダムのせむし男」の題名で多数映画化された他、ミュージカル、バレエなどにも翻案されているが、原作と同じ筋立てになっているものはほとんどない。これはフランス文学者の鹿島茂明治大学教授によれば、「大まかなストーリー」と「キャラの普遍性」が先行する「神話性」を有するユゴー作品の特徴だそうである。実際、ディズニーの映画「ノートルダムの鐘」に至ってはハッピーエンドになってしまっていたり、同じユゴーの手になる「レ・ミゼラブル」も様々に翻案されて映画化、ミュージカル化などがなされていることで納得がいく。

■間奏曲と謝肉祭の音楽
 間奏曲と謝肉祭の音楽は、通常の場合と大いに異なり、歌劇「ノートルダム」が影も形もない時点で、まず「管弦楽伴奏付きのピアノのための幻想曲」と して構想され、次に2曲からなる「未完のロマンティックオペラの間奏曲」として完成され、1903年にウィーン・フィルにより初演され拍手喝采を浴び、それ以来ドイツ、オーストリアでは人気曲となっている。
 その後、この作品を発展させる形で歌劇全体が作曲されたが、本日演奏するのはオリジナルな形で、間奏曲の前後に似た雰囲気の謝肉祭の音楽が置かれた3部構成になっている。歌劇として完成された時には曲の順番が変えられており、3番目の部分が最初に登場する。
 最初の部分は、歌劇では本来の間奏曲の直前の第1幕第2場の大詰めで演奏される、民衆を表す合唱を伴う謝肉祭の音楽となっている。弦楽器のトレモロで始まり、ファンファーレ的な全合奏に続き、たくさんの人が集っているような華やいだ軽快な2拍子の音楽(譜例1)が続く。

 2番目の部分は有名な間奏曲となるが、歌劇では第1幕第2場と第3場の間の間奏曲になる。まずヴァイオリンが変ロ長調の2音からなる序奏主題を奏した後、変ニ長調になりハープを伴って弦楽器がハンガリーのチャールダーシュ風の叙情的な主題(譜例2)を少しずつ変化させながら奏でる。師のブルックナーを連想させる重厚な響きが印象的で、全合奏に発展した後に曲は徐々に静まって終わる。なお、この間奏曲のテーマは第1幕第1場や第2幕第3場などいろいろな場面で使用されている。

 3番目の部分は、歌劇では前奏曲に続く幕開けの音楽として使用されている。本日の演奏では2番目の部分に続く経過部として急に弦楽器の動きが激しくなり、4小節のトリルに続いて最初の部分と同じような気分の軽快な3拍子のテーマ(譜例3)を持つ謝肉祭の音楽が奏でられる。

 私はノートルダム大聖堂を数回訪れている。外観、内部とも素晴らしいが、そのうち1回は行列に並び、長い階段を息を切らして最上階まで登り、有名な鐘も見た。「ノートルダム・ド・パリ」のカジモドはこういう風景を見たのかと感動し、「ノートルダム」の間奏曲が頭に浮かんだことは懐かしい思い出になっている。ドイツ・オーストリアでは非常にポピュラーなのに日本では滅多に演奏されない「ノートルダム」の間奏曲、およびシュミットの作品がもっと日本で演奏されることを願いたい。
 なお、シュミットに関しては新響第231回演奏会時のプログラムの交響曲第4番の解説が大変参考になるので、ホームページから参照していただければ幸いである。

初演: 間奏曲と謝肉祭の音楽 1903年12月6日、 ウィーン楽友協会大ホール エルンスト・フォン・シューア指揮 ウィーン・フィル
日本初演: 1956年7月27日、日比谷公会堂 指揮 エドゥアルト・シュトラウス2世
歌劇全曲: 1914年4月1日 ウィーン宮廷歌劇場 指揮 フランツ・シャルク
楽器編成: フルート2、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、シンバル、タムタム、ハープ、弦五部

参考文献
Stanley Sadie(edit), The new Grove Dictionary of Music and Musicians vol.16 Mcmillan Publishers Limited 1995
ヴィクトル・ユゴー(辻昶、松下和則訳)『ノートル=ダム・ド・パリ』(上)(下) 岩波文庫 2016年
鹿島茂『100分de名著 ノートル=ダム ・ド・パリ』テキスト NHK出版 2018年
歌劇「ノートルダム」CD解説書 Capriccio C5181 2013

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