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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

松下 俊行(フルート)

◆笛とエロス
 例えばこんな歌がある。


  笛竹の声の限りをつくしても
     なほ憂き伏しや夜々に残らむ

   藤原良経(『六百番歌合』 12世紀末)


 「寄笛恋」の題に基づいて詠まれた一首。笛に寄する恋とはまずは笛の「音」に伝える恋情である。言葉を得る以前、声の良否が恋の武器であった頃の遠い記憶が、言葉にならぬ言葉を伝える術として人に蘇ったものだろうか? 事実、恋と笛の音とを結びつける話は数多あり、それぞれに味わい深い。
 『枕草子』には特に笛に関する章段があって、 「後朝(きぬぎぬ)の別れの後、男が忘れていった見事な笛を枕辺に見つけるのも風情がある」などと書いてある。前晩の記憶…人を待つ夜の静けさ。やがて近づいた笛の音と共に忍んで来た男の姿や声音。その衣服の色あいと焚きこめられた香り。交わされた言の葉の数々。こうしたものが遺された笛によって改めて呼び起こされ、恋の余情を醸し出す。
 その笛を紙に包み手紙のように仕立てて男の元に届けさせる。当然そこには笛に託した恋の歌が添えられる事になる。これが「寄笛恋」で、もちろん男も歌を返し、互いの心のうちを交し合う。ここではもはや音を離れ、笛という「物」に心情が託されている。とすれば男が故意に、だがさりげなく笛を置いてきたという想像にさえ行き着く。王朝文化の一端が偲ばれようというものだ。女性の部屋に招かれた僥倖(ぎょうこう)にすっかり舞上がり、いたずらに酒杯を重ねた挙げ句、終電に飛び乗ったところで、うっかりフルートを忘れてきた事に気づくようでは駄目なのである(苦笑)。
 『徒然草』に「女の足駄で作った笛の音には、妻を恋う秋の鹿が必ず寄ってくる」とある(第九段)。この場合は確かに笛の「音」と恋の話だ。挿話的に出ているに過ぎない記述だが、女の霊力(妹(いも)の力というべきか?)と笛にまつわるそこはかとないエロティシズムを感じさせ、僕は格別の印象を持っている。
 そしてギリシャ神話に登場するパン(Pan)の吹く笛も恋情を伝える役割をしている。半獣半人の姿の彼は、牧人と家畜の神でありながら山野に美少年や妖精(ニンフ)を追いかける好色性を併せ持ち、この呼びかけの道具として葦笛を使う。この笛をシュリンクス(注1)(syrinx)というが、これはかつて彼の追跡を逃れようとして葦に変容した同名のニンフであったという伝説がある。また、この神は午睡を好む。その娯たのしみを妨げられるとその怒りは、譬(たと)えようもない恐怖となって人々に襲いかかった。英語のpanicの語源はここにあるという。


◆詩と音楽と
 ステファヌ・マラルメ(1842-1898)は中級官吏の子として生まれ、英語教師を生活の糧としつつ詩作を続けた。上の神話を踏まえた『半獣神(牧神)の午後』を1876年に出版する(注2)。34歳のことである。容易に公表の場を得られぬまま10年の曲折を経ていた。この詩の主題はふたりのニンフとの、言わば恋の駆引きをめぐる半獣神の情慾と妄想にほかならない。
 ドビュッシーもまた苦学力行の人だった。音楽とはおよそ無縁の貧しい境遇に生まれ、10歳で音楽院に入学した後も絶えず学資の獲得には悩まされた。そうした彼にとってローマ大賞受賞(22歳)による2年間のイタリア給費留学は、幸運以外のなにものでもなかった筈だが、元来伝統的な音楽の語法に飽き足らぬ身には、何ら実り無きものに終わった。そして1887年に失意のうちにパリに戻ると、それまでの「音楽」との訣別を確信し、数年の模索の時代を過ごす事になる。ピエール・ブーレーズが「意志による独学主義」と評した彼のこの姿勢。その模索の中でマラルメに代表される象徴派詩人達との親交を得る事になる。彼は音楽家としては唯一、「火曜会」と称された彼らのサロンへの出入りを許されるが、この出遭いこそが音楽に新しい窓をあける契機となったのだ。彼は『半獣神の午後』に触発された音楽を、前奏曲・間奏曲・敷衍曲(パラフレーズ)の三部作として計画し、結局1893年に『前奏曲』のみ完成させた。この曲は110小節で構成されているが、これはマラルメの詩の110行と一致している。詩の全体を1曲に昇華させたという意図の反映だろうか。


 牧神のまどろみの中に物語は始まる。彼の奏でる葦笛の空ろな音が、けだるい午後の水辺を渡ってゆく。その音の行く末の汀(みぎわ)に眠るふたりのニンフ。牧神は様々な想念と情念を秘めてふたりに挑みかかる。幕を開ける両者の駆引。遁走と追跡。そして遂に牧神は彼女らを掌中に収めようとする…が、ここぞという処で、抱擁からすり抜けられて果たせない。この間の激しい情念と動きは牧神の笛に仮託されるのみ。ふたりとの対話もないまま、ひたすら彼の陶然とした独白のうちに展開する無言劇…遂には魂の甲斐無き昂揚も果て(注3)、周囲には懶(ものう)げな午後の静けさが戻ってくる。
 僅か10分足らずの間に繰り広げられる音の情景は、詩の内容への具体的な対応を意図していないにも関わらず、聴く者の裡(うち)に確かな心象をもたらす。それは「印象」などという曖昧なものとは明確な一線を画す、言わば音楽に結晶した言葉の姿とさえ思えてくる。ここに我々は「音楽的な詩」と「詩的な音楽」との境界を超えた、まばゆいばかりの融合の奇跡を見るべきだろうか?
 そしてこの奇跡は短く儚(はかな)い。儚いが故にそれは一層聴く者の心をとらえ、消えゆく音に対し愛惜に似た感情を呼び起す。この感情は譬(たと)えてみれば、半ばにして覚めた美(うま)し夢に対する追憶にも似ていよう。夢…そうだ。確かに夢なのだ。そこに気づく時、この音楽に喚起された我々の心象は、牧神のそれと既に渾然となっている。
 笛の音が戻ってくる。空ろな笛の音に寄せた牧神の現うつつ無き恋情は、我々の心に生じた幽かな昂(たかぶ)りを誘って、再び彼の午睡の夢の中にまぎれてゆくのである。

注1):‌‌フランス語では「シランクス」。ドビュッシーは晩年、この題名で無伴奏フルートのための作品を作曲している(1913年)。


注2):‌‌マラルメにはこの作品に先立つ半獣神をテーマとした詩作の一群がある。『半獣神の午後』はその集大成とも言えるが発表の場を得られず、友人らの協力を得て、親交のあったマネの挿絵を施した豪華版としての出版となった。


注3):‌‌象徴的な表現の原作や音楽に対し初演から約20年を経た1912年5月、バレエ・リュスの公演で、牧神を演じるニジンスキーが、ニンフから得たヴェールを用いて、自じ瀆とく行為を想像させる極めて「具体的な」振り付けによって、この部分を再現している。当然スキャンダルを引起してドビュッシーの不興も買ったが(マラルメは既に他界している)観衆はやがて肯定的な評価に転じた。


初演:1894年12月22日パリにてギュスタブ・ドレ指揮


楽器編成:‌‌フルート3、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、アンティク・シンバル、ハープ2、弦五部


参考文献 『音楽のために‌ドビュッシー評論集』杉本秀太郎訳 白水社‌1993年
       『ドビュッシー音楽評論集』平島正郎訳 岩波文庫‌1996年
       『マラルメ詩集』渡邊守章訳注・解題 岩波文庫‌2014年
       『六百番歌合』新日本古典文学体系 岩波書店‌1998年


~第236回演奏会プログラムノート

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