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伊福部昭: オーケストラとマリムバの為のラウダ・コンチェルタータ

今尾恵介(打楽器)


 マリンバと簀の子(すのこ)、という組み合わせでピンと来る人は、小さい頃からマリンバのレッスンを受けていた人に違いない。私もその1人で、今から40数年前に小学4年生でマリンバを始めた時は、身長不足を補うために簀の子を置いていた。この楽器は左右に長いので、高音域から低音域に移る際には歩いて(時には跳んで)移動する。簀の子は、誰が考えたか知らないが、子供が演奏にあたって打面を適当な高さに保つために導入されたようだ。私より小さい低学年の子は、さらに高い簀の子の上でレッスンを受けていた。
 マリンバはアフリカ起源の楽器とされている。音の高さの順に並べた木片の下に瓢箪(ひょうたん)をぶら下げた形が原形というが、現代マリンバの直接の祖先は19世紀に中南米で用いられていたもので、グアテマラでは2月20日を「マリンバの日」と決めているそうだ。いずれにせよ「西洋音楽」が行われていたヨーロッパに入ってくるのはだいぶ後になってからで、当然ながらいわゆるクラシックの作曲家たちは、この楽器を滅多なことでは用いていない。シロフォン(木琴)をよく用いたショスタコーヴィチやストラヴィ
ンスキーも、オーケストラ曲にマリンバのパートは書かなかった。
 それでもヴァイオリンやピアノその他の楽器のために書かれた作品をマリンバで演奏することは、日本でも戦前から行われている。私もレッスンではしばしばクライスラーやサラサーテなど、主にヴァイオリンの楽譜が課題として与えられたが、これはおそらく日本の代表的木琴奏者であった平岡養一(1907~1981)らの先駆者がもたらしたスタイルだろう。
 本日演奏される「ラウダ」も、最初は平岡の「演奏生活50周年記念演奏会」のために木琴協奏曲として1976年に完成したものだ。しかし結局演奏はされず、その後1オクターブ低い音域をもつコンサートマリンバ用に書き換えられ、1979年9月12日に新星日本交響楽団(現東京フィルハーモニー交響楽団)の創立10周年記念演奏会で初演された。初演の独奏者が安倍圭子さんである(指揮:山田一雄)。
 私がマリンバを習っていた頃には、もちろん現代の作曲家によるソロ曲もあったのだろうが、当時は曲の存在も知らず、相変わらずヴァイオリンピースを練習する日々であった。しかしいつも頭のどこかで「ホンモノではない」という引け目を感じていたのも確かである。大学のオーケストラの合宿では「借り物」であることを開き直り、合宿所の下駄を音階順に並べてビゼーの「ファランドール」を宴会芸に出したりもしたけれど。
 そんな与太話は措くとして、私の積年の「もやもや」を払拭してくれたのが、この「ラウダ」であった。新響に入った翌年、1984年1月の第102回演奏会で安倍圭子さんの演奏を目の当たりにして、まさにこの音楽こそがマリンバのための音楽であり、他のどの楽器にも代替し得ないものと確信することができたのである。
 ラウダ・コンチェルタータという題名は、作曲者の言葉を借りれば「司伴楽風な頌歌というほどの意」という。手元の『イタリア語小辞典』(大学書林)でLaudaを引いてみると「古代イタリアのBallataという抒情詩体に基づく、宗教的、抒情的、そして劇的対話形式による詩体;賛歌」とあった。どうもピンと来ないが、雰囲気はわかる。司伴楽は今風に言えば協奏曲。戦前はコンチェルトの訳語のひとつとして用いられたようだ。
 ついでながらBallataといえば、伊福部さんの代表作のひとつである「交響譚詩」のイタリア語表記がBallata Sinfonicaである。この作品は、戦時中に夜光塗料の研究開発中に放射線被曝で病死した研究者の次兄・伊福部勲への追悼曲だ。放射能汚染が生んだ怪獣「ゴジラ」(映画では伊福部昭が音楽を担当)との因縁を覚えるが、ここでは措く。
 遅ればせながら作曲者の経歴をざっと記しておこう。伊福部昭は1914年に北海道の釧路で生まれ、後に十勝の音更(おとふけ)に移る。この地で子供時代をアイヌの人々と過ごし、彼らの音楽や踊りに日常的に接していたことが、作品の基層に大きな影響を与えたという。その後は北海道帝国大学農学部林学実科に入学、卒業後は道東・厚岸(あっけし)の森林事務所に勤めるかたわら、旧制中学の頃から独学で始めた作曲活動を続けていた。そこで作曲したのが「日本狂詩曲」で、これがチェレプニン賞を受けたことにより作曲家としての地位を確立する。後の活躍については、もう私が駄文を追加することもないが、本日演奏する他の3曲の作者である芥川也寸志、黛敏郎、松村禎三の3人は、ともに伊福部の門下生だ。
 さて、「ラウダ」について、作曲者はこう説明している。
 「ゆるやかな頌歌風な楽案は主としてオーケストラが受け持ち、マリムバは、その本来の姿である打楽器的な、時に、野蛮にも近い取扱がなされています。この互いに異なる二つの要素を組み合わせること、言わば、祈りと晩性との共存を通じて、始原的な人間性の喚起を試みたものです」
 曲は単一楽章の形式で、冒頭はAdagio religioso(敬虔なアダージョ)、ヴァイオリンとヴィオラによってG-F-D-E♭という音型が呈示され、すぐチェロとコントラバス、それに大太鼓の4分音符の連なりが、無限の奥行きを感じさせる。その後で入ってくるソロ・マリンバは、pesante e poco barbaroとあるように「少々粗野に」3連符を始める。特に最初の一撃のフェルマータの音は、誰もが息を呑むだろう。そして延々と「舞踊」が続き、やがてオーケストラが入って来てもこの3連符はなかなか停まらない。


 楽器はヤマハのいわゆる「安倍圭子モデル」で、標準的なマリンバより低音部が追加されており、ふつう下に向いている共鳴管は、まっすぐ伸ばすと床につかえてしまうのでコントラファゴットのように折り曲げられて上を向く。このあたりの低音をフォルテで演奏すると、何次にもわたる倍音群が渦を巻くように響き、聴いている人を「ガムラン」にも似た一種独特の音響の海に誘い込んでいく。新響は1993年のベルリン芸術週間でこの曲を演奏し、帰国後にも取り上げた。その演奏会プログラムで私が安倍圭子さんにインタビューしたものを以下に再録してみよう。


 大変な曲です。従来のマリンバの曲にはない、プリミティヴなエネルギーを徹底して追求した、とてもユニークな作品だと思います。「リズム楽器としてのマリンバ」を前面に出している。オーケストラの方も、伴奏というより共演しながら両者がこの曲の持つ「生命のうた」をうたいあげていく。そこに私はいつも大きな喜びを感じています。
 この曲は手が速く動くとか、そんな上っ面で弾いているだけではだめです。魂を込めて、一つ一つの音を充実させなければいけない。そしてこのスケールの大きな曲の本当に息の長いフレーズが持続できるだけのエネルギーが必要です。
 初演から14年が経ちましたが、自分の中でつねに育ってきている「ラウダ」を意識します。だから以前に新響さんと演奏した時とは変わっていると思いますよ。これだけ骨の太い、肉厚な音楽をマリンバでどこまで追求できるか、ということをスコアを見て考えながら、いつも新しい試みをしています。先日のベルリンの演奏ともまた違った演奏になると思います。


 その演奏会からちょうど20年が経過した。よく新響の練習にお見えになった伊福部さんも鬼籍に入られたが、安倍さんの中で「つねに育ってきているラウダ」は、現在ではどんな音楽に変貌しているだろうか。マリンバという楽器の可能性を、ある意味で究極以上に広げたこの作品が今日どのように響くのか、簀の子で育った私も楽しみにしている。


初演:1979年9月12日 東京文化会館にて
山田一雄指揮 マリンバ独奏:安倍圭子
新星日本交響楽団
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コ
ントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トムトム3、大太鼓、キューバンティンバレス、ハープ、弦五部

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