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R.シュトラウス:「ばらの騎士」組曲

山口裕之(ホルン)

 リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ作品といえば、本日の演奏会で最初に取り上げる「ドン・ファン」をはじめとして、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ツァラトゥストラはかく語りき」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」といった交響詩の傑作をすぐに思い浮かべることができる。しかし、歌劇「ばらの騎士」を管弦楽用に編曲してできあがったこの組曲については、彼の他の管弦楽作品とはかなり事情が異なる。シュトラウスの作曲活動は、おもに歌曲、管弦楽作品、オペラの3つの領域に集中しているが、上にあげたような交響詩が20代半ばから30代半ばにかけてのかなり若い時期(1888―1898年)に書かれた作品であるのに対して、「サロメ」(1905年)によって本格的に始まったシュトラウスのオペラ創作は40代以降の仕事に属する(ちなみに歌曲は生涯を通じて作曲され続けていた)。歌劇「ばらの騎士」は1910年(作曲者46歳)に完成され、1911年にドレスデン宮廷歌劇場で初演されているが、この作品はシュトラウスのオペラとしては初めて大成功を収めるものとなった。のみならず、その後に作曲された数多くのオペラを含めても、「ばらの騎士」はシュトラウスのオペラのなかで一般にもっとも有名な作品と言えるだろう。このオペラがこれほどまでに親しまれている理由は、一つには、ウィーンの代表的詩人ホフマンスタールによる緻密で繊細な言葉、見ていて楽しくわかりやすい喜劇としての物語構成にあるだろう。そして、もう一つは何といっても、全曲のあちこちで聴くことのできる魅惑的な旋律に求められるのではないだろうか。このオペラからは、その後、抜粋によるさまざまな管弦楽編曲版が生まれているが、そのこともこのオペラの音楽の素晴らしさを裏書きしていると言えるだろう。

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マックス・リーバーマンが描いたR.シュトラウス(1918年)


 今日演奏される「組曲」は、そのようなオペラの名旋律を抜粋した編曲のなかでももっとも有名なものだが、成立の由来はあまりはっきりしていない。この「組曲」は一般に、ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者であったアルトゥール・ロジンスキーの編曲によるものとされることが多い。しかし、作曲者自身が編曲に関わったのかどうかも含め、さまざまな情報が錯綜している。オペラそのもののスコアの版権は1943年にロンドンのBoosey &Hawkesに移っており、1944年頃に編曲されたこの「組曲」の楽譜も1945年にこの出版社から発行されているが、スコアにもこの「新しい編曲」が誰の手によるものかまったく記載されていない。


歌劇「ばらの騎士」
 それはともかくとして、この作品の内容そのものに話を進めたい。そのためにはまず、オペラの物語について紹介する必要がある。というのも、この「組曲」は多くの部分でオペラの物語の展開に沿って構成されているからだ。
 第一幕。幕が開くとそこは元帥夫人の寝室で、ベッドに横たわる元帥夫人を前にして主人公のオクタヴィアンが愛の言葉を交わしている。オクタヴィアンは17歳の若き貴族(オペラでは女性が演じる)であり、年上の女性の愛人として密会の時を過ごしているというわけだ。そこに元帥夫人のいとこであるオックス男爵がやってくるので、オクタヴィアンは急いで隠れ、田舎娘の女中に変装する。オックス男爵の用件は、近く自分が結婚するので、貴族の作法にのっとって、銀のバラを結納として花嫁に手渡す代理人を紹介してほしいということだった。オックス男爵はそれを依頼しつつも、奥女中「マリアンデル」に変装したオクタヴィアンにしきりと色目を使う。彼の結婚も、莫大な富によって下級の貴族に列せられた商人ファーニナルの財産や、宮殿のそばにある邸宅が目当てなのだ。元帥夫人はこの「代理人」としてためらいつつもオクタヴィアン(ロフラーノ伯爵)を推薦する。
 第二幕は、ファーニナル家での晴れやかな祝祭的情景で始まる。花嫁となるゾフィーたちが胸をときめかせながら待ちうけるなか、オクタヴィアンが「ばらの騎士」として邸宅の扉からさっそうと登場する。そして貴族の作法通り、銀のバラをゾフィーに手渡す。若い二人は顔を合わせた瞬間から強く惹かれあい、親しく言葉を交わすのだが、そこに花婿となるオックス男爵が現れる。しかし、そのあまりに下品で粗野なふるまいにゾフィーは強い嫌悪をあらわにし、オクタヴィアンも怒りを隠せない。オックス男爵が席を外したすきに、ゾフィーはオクタヴィアンに自分を救ってくれるよう懇願し、互いの気持ちを確認した二人は口づけを交わして愛の歌を歌う(その間も酔ったオックス男爵はファーニナル家の女中を追い回して手がつけられない)。その場をオックス男爵の付き人に押さえられたオクタヴィアンは、オックス男爵に対してゾフィーに結婚の意思はないことを伝えるが男爵はまったく相手にしない。しかし、オクタヴィアンは剣を抜いて男爵に切りつけ、負傷した男爵は血を見て大騒ぎをする。オクタヴィアンはその場を退去せざるを得ない。男爵は手当てを受けるが、そこに秘密の手紙が届けられる。それは元帥夫人のところで会った「マリアンデル」からの逢引の申し出で、男爵はそれを見てほくそ笑む。
 第三幕は、とある料亭の特別室(部屋の奥にはベッドも用意されている)が舞台となる。オックス男爵はそこで町娘の身なりをしたオクタヴィアンと密会を行うことになっている。男爵は元帥夫人の奥女中マリアンデルだと思い込み、言い寄って思いを遂げようとするが、実はオクタヴィアンの計略によって、男爵をやりこめるためのさまざまな手筈がそこでは整えられていた。「マリアンデル」を口説こうとする男爵の前に、結婚相手を名乗る女や「パパ、パパ!」と言いたてる4人の子どもたちまで出現し、料亭の亭主は「重婚」だと騒ぎだすのである。そこに風俗の乱れを取り締まる警察まで現れたため、オックス男爵は、同席している「マリアンデル」は自分の婚約者のゾフィーだと偽って切り抜けようとする。しかし、そこにファーニナルやゾフィーまで現れ、集まった野次馬たちは男爵とファーニナル家の「醜聞スキャンダル」と騒ぎ立てる。この混乱の場に元帥夫人が現れ(それはオクタヴィアンの想定外)、警察に対しては「これはみんな茶番劇でそれだけのこと」と言って事態を収拾し、オックス男爵をたしなめて立ち去らせる。元帥夫人とオクタヴィアンの様子を見ていたゾフィーは二人の関係を悟り、自分はオクタヴィアンにとって「虚しい空気」のような存在でしかなかったのだとショックを受ける。元帥夫人はオクタヴィアンをゾフィーへと向かわせるとともに、ゾフィーも気遣う。元帥夫人は静かに身を引き、若い二人は互いの愛情を確認し合って結ばれることになるのだった。
 このオペラの舞台は「マリア・テレジア治世の最初の10年」の時代、つまり1740年から50年頃のウィーンで、このオペラが作曲された時よりも約150年前という時代設定になっている。しかし、エロティックな情事が題材となり、風俗警察まで登場して、ヒステリックに道徳的「醜聞スキャンダル」を叫びたてる声が描かれるあたりは、むしろ「世紀末ウィーン」として知られる、このオペラと同時代のウィーンの文化的・社会的状況を強く連想させる。おそらく同時代の観客もこのオペラを、完全に自分自身の時代の状況に重ね合わせて受け止めたであろう。オペラのなかで使われているワルツも、少なくとも19世紀中葉以降の時代をいやがおうでも連想させる(設定された時代だと、J. S. バッハの最晩年期、ハイドンの少年期にあたる)。
 ちなみに、R. シュトラウスは「ウィーン世紀末」の文化的革新運動のなかでは、例えばグスタフ・マーラーや画家グスタフ・クリムトとともに、比較的穏健な旧世代に属している。共同作業によってテクストを書いた作家ホフマンスタールは、実は、シェーンベルク、建築家アドルフ・ロース、批評家カール・クラウスといった急進的思想をもつウィーンの芸術家たちとまったく同世代なのだが、彼の作家としてのメンタリティはむしろ年上の世代と一致する部分を多くもっていた。ホフマンスタール/シュトラウスの「ばらの騎士」は、モーツァルトの「フィガロの結婚」とストーリー的にもある程度似たところをもつとはいえ、「フィガロの結婚」の作者であるボーマルシェがフランスの貴族社会を痛烈に諷刺する意図をもっていたのに対して、「ばらの騎士」ではウィーンの上流社会における保守的な価値観がすみすみまでゆきわたっている。このオペラが作曲された1909年から1910年は、まさに急進的な芸術家たちが過激な一歩を踏み出した時代にあたるが、シュトラウスとホフマンスタールは、そういった時代の流れとは一線を画したところで素晴らしい成果を生み出していたことになる。


「組曲」の構成
 さて、オペラの説明がいくぶん長くなってしまったが、肝心の「組曲」の構成をこのオペラの筋を念頭に置きながら見ていきたい。この作品は「組曲」と名づけられているが、実際には独立した小曲によって成り立っているのではなく、オペラのなかのいくつかの部分が切れ目なくつながっているので、いわばオペラの名場面メドレー集と思っていただいたほうがよいかもしれない。
 「組曲」の冒頭は、オペラの冒頭の音楽をそのまま用いている。ホルンの力強い上行音形に対してヴァイオリンが優雅に包み込むが、これはそれぞれ若いオクタヴィアンと元帥夫人を表している。幕が開いたとき寝室でこの二人が優しい愛の言葉で戯れていることを考えると、この冒頭の音楽はかなりエロティックな情景として聞くこともできるだろう。音楽はそのまま第二幕冒頭のばらの騎士を待ち受けるファーニナル家の華やかな場面へと続いていく。ゾフィーの不安と期待が頂点に達したまさにその瞬間、白と銀の華やかな衣装に包まれたオクタヴィアンが輝く銀のバラを手にして登場する(シンバルとともに華やかな転調)。オクタヴィアンはばらの騎士の口上を述べて銀のバラをゾフィーに手渡し(オーボエのソロ、輝くようなフルートとチェレスタ)、ゾフィーも儀礼に従ってそれにこたえるが、ためらいがちに言葉を交わすうち、二人の心のうちには抑えようのないときめきと幸せな感情が湧き起ってくる。
 ここで突然けたたましい音楽となり、男爵の付き人のイタリア人二人が、この若い二人を取り押さえる場面が挿入される(叫ぶような木管)。そして低弦とトロンボーンなどの鋭い音形とともに、オックス男爵がいかめしく二人の前に立つ。ここで音楽は突然、ヴァイオリンが旋律を奏でるきわめて優美なワルツにかわるのだが、実はこの魅惑的なワルツもオックス男爵のテーマなのである。オペラのなかでは、オクタヴィアンに切りつけられて動転しながらも、医者の介護を受けワインを供された男爵が、次第に上機嫌になり女たらしの妄想にふけっているところに、「マリアンデル」からの手紙を受け取り、浮かれた気持ちでさらに妄想を膨らませる場面にあたる。このオペラのなかでオックス男爵は、低俗で野卑、田舎者まるだしでケチ、好色で若い女の子のことしか頭にないが、さえない見かけの中年男(第三幕でのドタバタでは、かつらをはずして禿げ頭をさらす)として描かれている。しかし男爵は、喜劇的人物としてなぜか憎むことのできない愛嬌を感じさせるとともに、あくまでも貴族としての優雅さを備えた人物として想定されている。オックス男爵のワルツはそのような優雅さを感じさせるとともに、一般にウィーン的特質としてとらえられているような「心地よさ・お気楽さ」を体現するものでもある。
 この後、第二幕冒頭でのばらの騎士を待ち受ける音楽を部分的にはさみつつ、第三幕終盤、「茶番」が収束したのちに歌われる美しい三重唱(元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィー)の音楽へと移ってゆく。元帥夫人は、オクタヴィアンを彼の愛する別の女性にゆだねるときがこのように早く来るとはととまどい、ゾフィーは伯爵夫人に対する心の葛藤を抱いている。そして、オクタヴィアンはゾフィーへの後ろめたさを意識している。しかし、次第に若い二人の想いは「あなたを愛している!」という言葉に収束してゆき、音楽もここで壮大なクライマックスを迎える。元帥夫人は二人を残してそっと退場し、オクタヴィアンとゾフィーは優しい二重唱を歌う(ヴァイオリンとクラリネット)。
 オペラではこの清純で静かな二重唱が二人の幸せを予感させながら全曲を結んでいるのだが、「組曲」にはこのあと、スネアドラムの導入に続いて、華々しい終曲が用意されている。この音楽は、第三幕で「マリアンデル」との逢引どころか、ファーニナル家の娘との結婚も破談に終わり、さんざんな目にあったオックス男爵が「帰るぞ!」という声とともにいかがわしい料亭をあとにする場面にあたる。ここにはそれまでオペラの各所に現れていた、好色なオックス男爵のいくつかのお気楽な鼻歌が、いわばパロディー的に戯画化され、乱暴な(それでも優雅な)旋律となって組み込まれている。オペラではこの楽しいワルツに重ねられて、4人の「隠し子」の「パパ、パパ!」という叫び声や、勘定を要求するさまざまな人々の声が入り乱れ、騒然とした雰囲気となっている。オペラの筋書きを知っていれば、おそらく小太りのオックス男爵が腹を立てて足をふみならしながら退場する喜劇的情景を想像できるだろうが、そもそもこの部分は「組曲」でたどるストーリーの流れからはずれている箇所でもあり、「組曲」の最後を華やかに飾る元気で壮麗なワルツとして、単純に楽しむことができるだろう。


初  演:1944年10月5日ニューヨークにて、アルトゥール・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルによる


楽器編成:ピッコロ、フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(3番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、小クラリネット(クラリネット持ち替え)、バスクラリネット、ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、グロッケンシュピール、トライアングル、タンバリン、小太鼓、大太鼓、大ラチェット、シンバル、チェレスタ、ハープ2、弦五部


参考文献

Hugo von Hofmannsthal, Gesammelte Werke. Dramen V:Operndichtungen. Frankfurt. a. M.: Fischer, 1979.
Richard Strauss, Der Rosenkavalier in Full Score. New York:Dover, 1987.
Günter Brosche, Richard Strauss. Werk und Leben. Wien:Edition Steinbauer, 2008.
Phillip Huscher, Richard Strauss. Suite from Der Rosenkavalier,Op. 59 (Program Notes, Chicago Symphony Orchestra)
http://cso.org/uploadedFiles/1_Tickets_and_Events/Program_Notes/052710_ProgramNotes_Strauss_Rosenkavalier.pdf
Wikipedia:"Der Rosenkavalier"
http://de.wikipedia.org/wiki/Der_Rosenkavalier
http://en.wikipedia.org/wiki/Der_Rosenkavalier

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