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マーラー:交響曲第1番

中野 博行(コントラバス)

■マーラーのこと
 グスタフ・マーラーは、1860年7月7日、ボヘミアのカリシュトという小さな村(プラハとウィーンの中間でプラハ寄り。現チェコのカリシュチェ)で、ユダヤ人商人の家に、12人兄弟(14-15人いたらしいが幼少で死亡)の2番目として生まれた。2歳の頃にはすでに数百の民謡を覚えていたなど非凡な音楽的才能を示すとともに幼少期から音楽教育を受けた。民謡を多く聴いた環境は、本日の交響曲第1番だけでなく、マーラーの全曲にわたり大きな影響を及ぼしている。
 1883年ドイツのカッセル王立歌劇場指揮者となって名声を高め始めた翌年、第1番の作曲に着手、1888年に完成した直後の28歳でブダペスト王立歌劇場監督、翌年自らの指揮で初演を行う。この年には両親の死など不幸にも遭う。また、ウェーバーの孫の夫人マリオン・ウェーバーと恋仲となるが、その後人間関係、自身の健康状態にも問題を抱えていく。まさにこれから踏み出すマーラーの輝かしい光と影の生涯を暗示する。青春の情熱、恋と哀愁、ブルーノ・ワルターは、ゲーテの“若きウェルテルの悩み”になぞらえて、第1番をマーラーの“ウェルテル”とも言ったようだ。本日のお客様も、現在或いは過去の自分の青春と照らし合わせて、曲をお感じにな
るのも良いであろう。
 36歳の時、ウィーン進出のためかカトリックへの改宗。41歳、美貌で多くの男性芸術家をとりこにしたアルマと結婚(19の「歳の差婚」)。後述する秀逸の交響曲群を残して、「私の時代が来る」と将来を自ら予見するが、フロイトの精神分析を受けた後、1911年50歳で世を去る。

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ハンブルク第2稿初演の頃のマーラー、32歳


■マーラーの交響曲と第1番の位置づけ
 第1番は、全交響曲の中で比較すると、型破りな中にも明快で特異な存在とも言える。だからなのか、マーラー指揮者と言われるようなマエストロの中には、第1番だけはあまり演奏しないという方も何人かいらっしゃるようだ。しかし、「青春の交響曲」とは言え、完成度は高く(実は初めての交響曲でなく、第1番以前に4曲ほど書いていたらしい)、古典的な伝統を守ろうとしながらも、先鋭的・個性的な要素が多く取り入れられた。
 マーラーの交響曲を5つのグループに分けてみよう。


①第1番:同時期の「さすらう若人の歌」と密接に関係
②第2番、第3番、第4番:「少年の魔法の角笛」と関連する3部作、声楽付き
③第5番、第6番、第7番:「リュッケルトの詩による5つの歌曲」「亡き子をしのぶ歌」と結びつき、リュッケルト交響曲とも呼ばれる。声楽なし
④第8番、大地の歌:カンタータ風の第8番、リートを同化させた大地の歌
⑤第9番、第10番(未完):死を意識した最晩年の器楽曲


 ここで、器楽のみと声楽付きが交互になっていることは、非常に興味深く、マーラーのオーケストレーションの巧みさと声楽・歌曲を愛することによる周期的な考えの変遷にも見える。
 今年の4月に新響が演奏した「大地の歌」は、こうやって見ると第1番とは対極的な交響曲なのかも知れない。4月から未ださめやらぬ飯守マーラー・ワールドの中で、他方の極を体験した直後、この青春の交響曲を演奏できることはこの上ない贅沢である。


■「巨人」はマーラー自身が削除、最初は5楽章の交響詩
 標題が「巨人」となっているが、正式にはマーラー自身によって削除されている。ただ、一般にはこの標題でニックネーム的に呼ばれる。「巨人」は、ドイツの作家ジャン・パウルの長編小説の題名に由来する。主人公の青年が様々な経験を経て人格が形成され、最後は王座につくというようなストーリーであるが、天才主義とか巨人主義に反対する思想が織り込まれている。決して巨人主義礼賛ではなく、人生に目覚めた20代の青年の抒情味あふれた感情を持ち、血気盛んに人生に突入する姿を表したものか。しかしマーラーにとっては標題として十分ではなく、聴衆の誤解も招くと考えた。
 また、最初は4楽章の交響曲でなく、5楽章の交響詩だった。1893年のハンブルクでの上演時につぎの標題を付けている。


第1部 青春の日々により ― 花、実、いばら
     1. 終わりなき春
     2. 春の章
     3. 順風に帆を上げて
第2部 人生喜劇
     4. 座礁(カロ風の葬送行進曲)
     5. 地獄から天国へ ― 深く傷ついた心の突然の爆発


 これらの標題は、「巨人」を含めて、1896年、ベルリンでの演奏時にすべて破棄された。

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自筆譜の表紙。標題「巨人」をマーラー自身が削除。


■スコアの版数


初 稿:1889年ブダペストで初演。5楽章版。現存しない。
第2稿:第2、第3、第5楽章改訂。1893年ハンブルクで初演。
第3稿:花の章を除く4楽章版。1896年ベルリンで初演、'99年刊行。
決定稿:第3稿ベース、1906年。
全集版:第3稿ベース、1967年、エルヴィン・ラッツ校訂。
新校訂版:全集版の改訂、1992年、カール・ハインツ・フュッスル監修。


 第3稿以降が4楽章の交響曲だが、指揮者マーラーの常で、演奏するたびに曲の随所を部分的に変え続けた書き込みが多く存在し、改訂されていった。「新校訂版」で、マーラーの指示が不完全である個所や、明らかな印刷ミス、もしくは自筆譜との矛盾など細部を整理されたが、大きな波紋を呼んだ点もある。従来コントラバスのソロであった第3楽章冒頭の主題は「ソロとは1人でなく、グループのこと」という注記が付された。つまり、コントラバス・パート全員でということ。新校訂版が世に出て20年、様々な議論もあったかも知れないが、未だにコント
ラバス・パートによる演奏例は少ないようだ。


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狩人の葬列。モーリッツ・フォン・シュヴィントのエッチング。「狩人」に殺される立場の動物たちが、「狩人」の葬式に参列して亡骸を運ぶ。主客転倒のパロディー。日本の「鳥獣戯画」にも似るが、ユーモアに加え何ともグロテスク。

第1楽章 ニ長調 4/4拍子
緩やかに重々しく、自然の音のように

 静かに6オクターブ(7つ周波数)の「ラ」のフラジオレット(弦楽器の倍音技法で透明感がある)が重なった持続音で始まる。まるで、霧のかかった深い森にさまよい込んだよう(チューニングと同じ「ラ」だが、現実から一瞬で幻想の世界へ)。その後、「ラ」から「ミ」へ4度下降の非常に特徴的な動機の提示。そして、この4度下降は郭公
かっこうの鳴き声を模したものである。郭公は普通3度下降で鳴くように言われたり歌われたりするのだが、ボヘミアの郭公は4度であったのだろうか。実はこの4度動機は、第1楽章のみならず全曲の主要な動機や主題を生成していく。さらに、本日の前半の曲目であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調でも大変重要な4度の動きと一貫性があり、演奏会全体として意義深いプログラムとなっている。遠くからファンファーレや、ホルンの牧歌的な響きが聞こえる。低弦の半音階的に上行する動機から、4度動機が繰り返された後、チェロの第1主題。
 第1主題も4度動機で開始、「さすらう若者の歌」の第2曲「朝の野原を歩けば」に基づく。思わず歌いたくなるような若々しく弾む旋律。第2主題はイ長調で木管が奏し、第1主題の対位旋律に対応する。展開部に入ると序奏の雰囲気に戻り次第に沈み込むようになるが、ホルンの斉奏をきっかけに、第1主題と第2主題。やがて半音階的に上昇する動機が不安を高めるように繰り返されフィナーレを予告、トランペットのファンファーレが鳴りクライマックスをむかえる。
 再現部では、各主題が短く省略された形で急速に展開されコーダ的に進む。ティンパニの4度動機の連打と共に突然終結する。


第2楽章 イ長調 3/4拍子
力強く動いて、けれどもあまり速くならぬよう

 4度の「ラ-ミ」を基本とした低音弦による力強いオスティナートから始まるレントラー風舞曲。歌曲集「若き日の歌」の〈ハンスとグレーテ〉(草原の5月の踊り)が使われている。しばらくして、木管楽器のベル・アップ奏法で主題が客席へ強くアピールされる。トリオでは、テンポを少し落とし、憧れに満ちた甘美な旋律がヴァイオリンと木管楽器で交互に奏され、ホルンに続いて最初の舞曲が再現、最強奏で終わる。

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初演後の雑誌に載った風刺マンガ。


第3楽章 ニ短調 4/4拍子
儀式のような荘重さと威厳を以って、決してひきずらないように

 ティンパニの4度下降の刻みに続いて、弱音器付き独奏コントラバスが哀愁を帯びた旋律を奏し、その後カノン風に展開していく。カロ風の葬送行進曲と言われるが、モーリッツ・フォン・シュヴィントのエッチング「狩人の葬列」に影響されたとされている。旋律は、ボヘミア民謡を思わせる「マルチン君(兄さん)」(フランス民謡では「フレール・ジャック」、英語では「アーユースリーピング」、日本では「グーチョキパーでなにつくろう」で超有名)を
短調にした、極めてグロテスクかつパロディックな楽章の冒頭である。初演時は、不評極まりなかったらしい。突然、辻音楽師の奏でるおどけた旋律がオーボエ等に登場したり、軍隊のリズムが遠くから聞こえてきたり。
 ハープとチェロのアルペジオをきっかけに中間部は「さすらう若人の歌」の第4曲「彼女の青い目が」が転用されており、弱音器付きヴァイオリンが4度上昇から優しく歌う。私はどうしても「赤とんぼ」(山田耕筰)を思い出してしまう。日本の懐かしい故郷の風景は、ボヘミアのそれと似ているのであろうか?
 再現部へと続き、やがて低音楽器群と若干の打楽器だけが残って静かに消え入るように終わり、アタッカで次楽章に続く。


第4楽章 ヘ短調 2/2拍子
嵐のように激しく揺れ動いて

 静寂を破るシンバル、ティンパニの乱打、激しくうねる弦楽器群に乗って、木管を中心とした管楽器群がエネルギッシュにテーマを奏す。嵐が止み静けさが訪れると長調に転じ、第1ヴァイオリンによる夢想的な美しい主題。金管楽器によるファンファーレ風の動機(楽章の後半に繰り返し登場し、クライマックスへ導入される)。やがて夢の世界へ、第1楽章冒頭に出てきた森の風景に戻り、かっこうの鳴き声、遠くのアルペンホルンなど回想。そして、クライマックスではミリタリー・マーチの曲調に乗って、第1楽章ののどかな主題が勝利のコラールに変
わり、オーケストラの最強奏となる(スコアでは、この箇所はホルン奏者全員7名に立奏の指示がある。アバドがベルリン・フィルに就任することが決まった直後のリハーサルで、「立つんですか?マーラーの時代ならともかく。」とのエピソードも話題になったが、やはり視覚的効果を含めてこの曲のハイライトであろう)。テンポは上がり、熱狂が頂点を極めて全曲が終わる。合唱を伴うニ長調のベートーヴェン第九のエンディングが最高なら、器楽のみによるニ長調交響曲のエンディングとしては、これが最高にかっこいい。


初  演:1889年11月20日、ブダペスト、マーラー自身の指揮(5楽章版)


楽器編成:フルート4(3、4番はピッコロ持ち替え)、オーボエ4(3番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3(3番は小クラリネットおよびバスクラリネット持ち替え)、小クラリネット2、ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン7、トランペット5、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ(2人)、大太鼓、シンバル付大太鼓、シンバル(合わせ・吊り)、トライアングル、タムタム、ハープ、弦五部


参考文献
『作曲家別名曲解説ライブラリー・マーラー』より
マーラーの交響曲 門馬直美著(音楽之友社)
『グスタフ・マーラー ―現代音楽への道―』柴田南雄著(岩波新書)
『マーラー 私の時代が来た』桜井健二著(二見書房)
『マーラーの交響曲』金子健志著(音楽之友社)
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾、村上春樹著(新潮社)

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