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ドビュッシー:「管弦楽のための映像」より〈イベリア〉

吉田仁美(フルート)

「プログラムなどはむろん何一つ要りません。会場の入り口でぬかりなく手渡される、紙きれ一枚の文学にしたがわなければならない音楽なんて、とことん下らないですからね。」
1887年2月9日エミール・バロン宛

 お気持ちはわかります。それでも、私たちの想像力をかきたてて止まない、「イベリア」の第2楽章「夜の香り」に思いを巡らせることは許して下さいますか?くれぐれも「説明なんかして音楽から神秘を追い出すことがないように」努めますので…。

■花の?女の?思い出の?
 ゆふされば 今 花々は 梢こずえに搖ゆれて
 香爐のやうに 花の香かが 風に薫くんじて、
 音と 馨かをりと たそがれの空に 渦うづ巻まく。
 憂鬱なワルツよ、ものうい眩暈くるめきよ。
ボードレール『悪の華』「夕の諧調」

 「夜の香り」。一体どのような香りだろうか。曲の中に手がかりを求めても、音楽はその正体を明かされるのを拒むかのように次々と姿を変えてしまう。それならば曲の周辺を探すより他に方法はない。ドビュッシーが「イベリア」を作曲したのは1905年から1908年、新響でも最近演奏した『海』などの主要な管弦楽曲を書いた後の円熟期にあたるが、それらの作品の源泉となったのは青年時代に作られた85曲にのぼる歌曲に他ならない。ポール・デュカが「ドビュッシーが受けたいちばん強い影響は、文学者たちからのそれだ。音楽家からのではない」と言ったのも尤もで、文学や絵画などの前衛運動から取り残され、過去の繰り返しやワーグナーの模倣に止まっ ていた当時の音楽界に苛立った作曲家は、バンヴィル、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメといった詩人達から霊感を得ていたようだ。中でも好きな詩人であったボードレールの作品からは、どことなく「夜の香り」を連想させる上記の詩を含む5篇を選び、歌曲集『ボードレールの5つの詩』を作曲している。

 夜中に何よりも心魅せられるのは、わたしたち二人だけが知っているあの場所、森をよぎってわたしたちを招き寄せる、神秘に満ちた薔薇の茂み。夜中に咲き匂う薔薇の香りにもまして神々しいものが、この地上には何ひとつないのだから。わたしひとりだった頃には、この香りに酔い痴れるのを感じなかったのは、一体なぜなのかしら?
ピエール・ルイス『ビリティスの歌』「夜中の薔薇」沓掛良彦訳

 知的な面でドビュッシーに近かったのがボードレールだとすれば、生活の上で近くにいた作家は知る人ぞ知る「エロスの司祭」ピエール・ルイス。歌曲集『ビリティスの3つの歌』は、ルイスの散文詩集『ビリティスの歌』から3篇を選び作曲された。上に挙げた詩はそこに含まれないのでドビュッシーの目に触れたとは言い切れないが、どこか「夜の香り」を髣髴とさせないだろうか。詩集の後半には「咲き出す花々は、すべてわたしから生まれ出る花。息吹く風はわが吐息。過ぎゆく薫香かおりはわが欲望。」(「夜への讚歌」)と、女を花そのものとして官能的に歌った詩もある。ドビュッシー自身も女を花に例えて詩を書いているが、「彼女の若々しい花のような芳しさで私を包んでくれることを」(歌曲集『眠れぬ夜々』のために書かれたが「時代遅れ」という理由で生涯公表されなかった)のように、ルイスと比べると純粋だ。官能の世界とはあくまで距離を置いていた作曲家の作品の特徴に、官能性を挙げない訳にはいかないとは不思議な話だ。ルイスはこう言った。「完璧な純潔さっていうのは、とっても淫らなんだよ」。

 「アンティーブの街角、そこにはたくさんのバラが咲き乱れていましたが、私の生涯を通じて、一度にあれだけたくさんのバラを見たことはけっしてありません―あの街道の香りはたしかに陶然とさせるものでした」
1908年3月24日ジャック・デュラン宛

 作曲家自身の発言にも触れておこう。ドビュッシーは「イベリア」を作曲していた頃、少年時代の最も鮮明な思い出を上のように回顧している。子供の頃について多くを語りたがらない作曲家が、花の香りについてはこんなにも鮮明な記憶を持っていたことには驚きを禁じえない。余談となるが当時のパリは、公共空間に溜まった汚物や糞便そして郊外の工場が発する悪臭で、匂いに関してはとても「花の都」ではなかったようだ。薔薇の花もドビュッシーの記憶の中でこそ強く匂いを放っていたのだろう。「イベリア」もまた現実のイベリアの描写ではない。1907年に民謡集を聴いてスペインの民族音楽に魅了されたという話はあるが、それ以前にもミュッセの処女詩集『スペインとイタリアの物語』に惹かれてスペインを題材にした曲を作っている。ミュッセの詩はスペインを訪れることなく書かれた。どこへ行っても「帰りたい病」に冒されるドビュッシーも、「イベリア」のためにわざわざスペインまで赴いたとは考え難い。「旅行を自分のために奮発してやる手段のない時には、想像力によってそれを補わなくてはならないのです」という作曲家の言葉の示すように、あくまで想像上のイベリアだと言えるだろう。

■イマージュとしての
 「物質の根底には謎の植物が生育しており、物質の夜には黒い花が咲きみだれている。その花々はすでにビロードの感触と芳香の秘法をそなえているのだ。」
ガストン・バシュラール「想像力と物質」

 ここまでいくつか「夜の香り」を連想させる文章を挙げてきたが、それによって曲の象徴するものを特定したかったわけではない。音楽が直接の模倣ではなく、「自然のうちにある『目に見えない』ものの、感情を通じての転写」であると言ったのは作曲家自身である。その際ドビュッシーは「音楽は、自然と想像力との神秘的な照応をはたらかせてゆく」と考えていたが、これを既に詩において実行していたのがボードレールだ。吉田健一によるとボードレールは、「言葉を或る影像の生成に参加させ然も初に影像があって其処から発するその本来の性質に言 葉を還元することによって彼の詩を建設した」(「ボオドレエルの古典性」)。これは正にドビュッシーが「イベリア」を含む『映像』シリーズにおいて音楽で試みたことではないだろうか。私はここで哲学者ガストン・バシュラールの言う「物質的想像力」を想起する。つまり、「美からあらゆる接尾辞を引き剥がし、目の前に姿を現しているイマージュ(映像)の背後に、姿を隠しているイマージュを見いだす」想像力、言い換えれば、「現実のイマージュを形成 する能力ではなく、現実を超え、現実を歌うイマージュを形成する能力」だ。「夜の香り」が物質的想像力による夜の香りのイマージュであるならば、先に行ったような詮索は、それこそ「とことん下らない」。

■ただ音楽だけが
 「ひとり音楽家だけが、夜と昼、天と地のすべての詩をそっくりとらえてその雰囲気を再構成し、その巨大な鼓動を脈打たせるという、特権をもっている。」
1913年11月1日発行の音楽雑誌

 始めにドビュッシーの音楽の源泉として歌曲を採り上げたが、その泉が湧いたのはやはり器楽曲においてであると言えるだろう。「イベリア」に取り組んでいた頃には歌曲を作ることも少なくなっていた。音楽学者ステファン・ヤロチニスキによると、そもそも歌曲を作る上で大詩人達を選んだのも「それらの詩がすべて言い尽くそうとはせず、語のむかう先を音楽で彼の欲するように続けさせてくれたから」だという。歌を伴う曲を作るにしても「音楽は、 ことばが言いあらわす力を失うところから、はじまる」という考えを持っていたドビュッシーは、マラルメの詩に基づく最初の管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』を転換点に、以後は詩の昇華された形をひたすら音楽のなかに見出すようになったのである。
 ここで改めて「夜の香り」という題について考えたい。「香り」には形がない。そして「夜」に於いてはその香りがどこから来たのかすら分からない。その神秘が詩以上に作曲家の想像力を掻き立てたのかもしれない。「夜の香り」という語の持つ神秘的な響きと同様に、ドビュッシーの「夜の香り」も決して一様には聞こえないだろう( 原語のLes parfums de la nuitは複数形である)。それはこの曲が「音楽」―他のどんな言語とも異なり、本来の性 質として多義性を持つ「音楽言語」で書かれた音楽―であるからに他ならない。そして音楽は何よりもまず「耳とよばれる器官のためにある」のだから、余計なおしゃべりはこの辺で終わりにしようか。

第1楽章 通りから道から
第2楽章 夜の香り
第3楽章 祭りの日の朝
※第2楽章と第3楽章は続けて演奏される(演奏時間:約20分)

参考文献
『伝記、クロード・ドビュッシー』 フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳(音楽之友社)
『ドビュッシィ 印象主義と象徴主義』 ステファン・ヤロチニスキ 平島正郎訳(音楽之友社)
『水と夢 物質的想像力試論』 ガストン・バシュラール 及川馥訳(法政大学出版局)
『悪の華』 ボードレール 鈴木信太郎訳(岩波文庫)
『ビリティスの歌』 ピエール・ルイス 沓掛良彦訳(水声社)
『ロンドンの味 吉田健一未収録エッセイ』(講談社文芸文庫)

初  演:1910年2月20日ピエルネ指揮コロンヌ管弦楽団
楽器編成:ピッコロ、フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット3、ファゴ ット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、タンブリン、シンバル、カスタネット、シロフォン、鐘、チェレスタ、ハープ2、弦5部
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