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バーンスタイン:「キャンディード」序曲

田川接也(ファゴット)

屋根裏で見つけた魔法の箱
 指揮者、ピアニスト、教育者、そして作曲家。20世紀を代表する音楽家、レナード・バーンスタインは、1918年8月にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン郊外のローレンスという静かな町に生まれた。化粧品店を営む父は、ウクライナ系ユダヤ人移民二世で、敬虔なユダヤ教徒。家族に演奏家や音楽愛好家がいるといった音楽的環境ではなかったが、両親に連れられて通っていたユダヤ教会で奏でられるオルガンや合唱に魅了されるようになる。そして10歳の時、屋根裏部屋で見つけた埃を被った古いピアノの鍵盤に触れた瞬間から、「音楽」は彼の人生のすべてとなり、病的でやる気のなかった子供を、生を渇望するエネルギッシュな子供に変貌させた。彼はそのときの出会いを「雷に打たれたようだった」と回想している。古いピアノは、まさに「魔法の箱」だったのである。
 やがて少年はプロの音楽家になることを志し、父親の強い反対を押し切って音楽の道に進む。ニュー イングランド音楽院からハーバード大学、カーティス音楽院に学び、作曲をウォルター・ピストン、ランドル・トンプソン、指揮をフリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴィツキーに師事した。

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            セルゲイ・クーセヴィツキーと(1949)

余談であるが、音楽教育を受けないまま、誰も使っていない古いピアノで遊んでいるうちに音楽に目覚 め、後に指揮者・作曲家として大成した点は、グスタフ・マーラーと非常によく似ている。

ブロードウェイの救世主
 以後、彼の指揮者としての華々しい活躍はここで述べるまでもないが、作曲家としても非常に優れた 作品を世に送り出している。彼はこの『キャンディード』の他に、代表作である『ウエスト・サイド・ストーリー』、『オン・ザ・タウン』といったミュージカル、3曲の交響曲、『オーケストラのためのディベルティメント』*をはじめとする管弦楽曲、バレエ音楽、オペラ、合唱曲『チチェスター詩篇』、ミサ曲など、多彩な分野に数多くの作品を作曲した。
 特に1950年代、彼はミュージカルの世界において精力的な活動を行う。53年『ワンダフル・タウン』、 56年『キャンディード』、57年『ウエスト・サイド・ストーリー』と立て続けに初演。ミュージカルの作曲にエネルギーを注ぎ込むことに、師のクーセヴィツキーは「君は才能を無駄遣いしている」と声を荒げたという。しかし、彼はそれをやめなかった。バーンスタインは言う。「けれども、誰かがアメリカの音楽のために、ブロードウェイで何かをしなければならなかったのです」。
*新交響楽団では2003年4月に演奏

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     ただいま作曲中キャンディード?それともウエスト・サイド?(1955)

天真爛漫な青年の世界冒険譚
 『キャンディード』は、18世紀に活躍したフランスの思想家ヴォルテールの『カンディード或は楽天主義説』を原作とした、2幕のミュージカル。物語では、登場人物を通して、楽天主義の哲学や生きることの意味などが語られる。バーンスタインは、終生この作品のことを「靴の中の小石」と形容して気にかけており、1989年に本人も加わって大幅な改訂を行っている。あらすじは、以下の通り。
 ドイツのウェストファリアの城に、領主の甥にあたるキャンディードという青年がいた。「考えうるこの世界において、すべての事柄は善である」という楽天主義を教え込まれて成長した彼は、善良で天真爛漫。しかし、領主の娘、クネゴンデと接吻をして結婚の約束をしたために、住んでいた城から追放されてしまう。そこからは、ヨーロッパから南米まで、世界を股にかけた荒唐無稽なストーリーが展開される。軍隊への入隊、戦争、脱走、船の沈没、大地震などなど、波瀾万丈を経て、キャンディードはクネゴンデと再会。最終的に「労働こそ人生を耐えうるものにする唯一の方法である」ということに思い至り、日々の仕事とその成果の中にささやかな幸福を見出す。

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        キャンディードの舞台(Walnut Creek Festival:2005)

 舞台のフィナーレでは、キャンディードがクネゴンデの手を取り、あらためて求婚。「Make Our Garden Grow(さあ私たちの畑を育てよう)」と歌う。歌は独唱から二重唱、さらに出演者全員の合唱へと広がり、壮大かつ感動的に曲が閉じられる。
 なお、当初ブロードウェイで上演されたため、ここでは「ミュージカル」とご紹介したが、歌手に高い歌唱技術が求められ、本格的な管弦楽や合唱が必要であるため、現在では「オペレッタ」または「オペラ」という位置づけで上演されるケースも多い。

ワクワクが疾走する
 『キャンディード』上演に先立って演奏される序曲は、沸き立つように躍動的で、否応なしに舞台幕開けへのワクワク感が高まる曲である。速い2/2拍子で、輝かしい変ホ長調。ティンパニの強打と金管楽器のファンファーレで華々しく始まり、一度もテンポを緩めることなく、終結部でさらにスピードを上げ、一気呵成に終わる。曲中では、キャンディードとクネゴンデの二重唱「Oh, Happy We(幸せな私たち)」の旋律[譜例1]が繰り返され、後半ではコロラトゥーラ・ソプラノの超絶技巧ピースとしてしばしば単独で歌われるクネゴンデのアリア、「Glitter and Be Gay(着飾って浮かれよう)」の旋律[譜例2]が軽快に奏でられる。

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        キャンディードの舞台(Arden Theatre Campany:2008)

 演奏時間が4~5分と比較的短いこともあり、親しみやすいメロディーに聴き入っているうちに、あっという間に駆け抜けて行ってしまう。オーケストラの小品として、単独で演奏会の冒頭やアンコールによく演奏される、名序曲の一つである。

譜例1
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譜例2
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レニーよ、永遠なれ
 開放的な性格で人懐っこいバーンスタインは、友人や音楽仲間、そして世界中の音楽ファンから「レニー」と呼ばれ、愛されていた。しかしそんな人気者も、彼を生涯苦しめた肺気腫の悪化により、1990年10月にニューヨークで72年の生涯を閉じる。
 自分に残された時間が少ないことを悟ったとき、彼が選んだ道は、作曲家として遺作を書くことでも、一流オーケストラの指揮台に立つことでもなかった。彼は「教育」という道を選択し、亡くなる年の夏、札幌にやって来る。残された時間とエネルギーを若い音楽家たちと分かち合うために。
 この第1回パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の模様は、当時テレビでも放映され、苦しそうに声を振り絞って若者たちに語りかかけるバーンスタインの姿は、多くの人々に深い感動を与えた。その中で、彼は自分と音楽の関わりについて、こうコメントしている。
 「私には愛しているものが二つあります。音楽と人です。どちらが好きだとは言えません。私は人を愛しているから、人のために曲をつくり、演奏するのです。そして、心の深い場所で音楽と会話します。人と関わらない人生など考えられません。私は普段一人で何かをすることは殆どなく、夕食も映画も一人では行きません。人も音楽も、私にとって絶対に欠くことができないものです。人を愛することと音楽を愛することは同じで、私には一つのことなのです」。
 札幌でバーンスタインが一緒に土を耕し、種をまいた若者たちの「音楽」という「畑」は、きっといま世界中で緑の葉を繁らせ、豊かな実をつけているに違いない。また、彼の提唱で始まったPMFは、その精神が受け継がれ、今年で21回目の開催を迎える。
 早いもので、彼がいなくなってから20年近くの月日が流れたが、彼が遺した数多くの曲や数えきれな い演奏の記録、そして後進に託したメッセージは、これからも決して色あせることはないだろう。私にとっても、彼はいつまでもスターであり、ヒーローである。
 レニーよ、永遠なれ。

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              レナード・バーンスタイン(1988)

参考資料
『バーンスタイン音学を生きる』青土社
『バーンスタイン最後のメッセージ』NHK

初  演:1956年12月1日、ブロードウェイ

楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、Esクラリネット、バスクラリネット、ファゴット2、 コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、トライアングル、小太鼓、グロッケンシュピール、木琴、テナードラム、ハープ、弦5部
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