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ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」<音楽史上の革命性>

土田恭四郎(テューバ)

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        「英雄」作曲当時(1803年頃)のベートーヴェン

 「革新」「雄大」「壮快」「躍動」「飛躍」「雄弁」 「荘厳」「大胆」「強靭」「入念」「緻密」「巧妙」「驚 嘆」「高貴」「自由」…、まだまだ書き足りない。 “エロイカ(英雄)”として広く親しまれているこの 作品は、ベートーヴェン(1770~1827)が独自の音 楽語法と作曲技法を確立し、交響曲という領域にて ヴィーン古典派の表現を格段に広げ概念を変えた、 音楽史上転換点を迎えた金字塔ともいえる傑作とい えよう。
 1792年に生地ボンから、マクシミリアン・フラン ツ選帝侯の命により、宮廷音楽家ベートーヴェンは 研鑽のため再びヴィーンに赴いた。その時、友人た ちから門出を祝うための記念帳が贈られている。そ の中に重要な後援者であるヴァルトシュタイン伯爵 から寄せられた一文の最後「たゆまぬ努力によって、 モーツァルトの魂をハイドンの手から受け取るの は、あなたなのです。」に表されるように、18世紀 後半にハイドンとモーツァルトによって熟成された ヴィーン古典派の音楽様式を継承しつつ、自己の探求を積み重ねて個性を確立し新境地を切り開いたモ ニュメンタルな曲として、ベートーヴェンという巨 大な宇宙の中でシリウスのような輝きのごとく、交 響曲第3番「英雄」が出現した。
 ヴィーンの社交界にピアニストとして活躍し、音 楽愛好貴族たちの注目を集めて名声を確立したベー トーヴェンは、交響曲第1番や6曲からなる弦楽四 重奏曲のセットを完成、作曲家としての不動の地位 を構築していた。この時代、音楽家として致命的な 難聴と耳鳴りの苦悩の中で、死後、遺品の中から発 見された「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれ ていることはよく知られている。耳疾からの絶望と いうよりはその克服を表現したものとして、すなわ ち、芸術は危機を乗り越える手段として、爆発的な 創造力により、次々と作品が生み出されていく、世 に言う中期の「傑作の森」時代に邁進していく。交 響曲第5番「運命」や第6番「田園」、ピアノ協奏 曲第5番「皇帝」に代表される数多くの作品の出発 点のひとつとして、けたはずれな作品として、交響 曲第3番「英雄」はベートーヴェンの生涯の中でも 重要な位置にあるといえよう。この作品が生み出さ れた当時の肖像画を見ると、後世のイメージとはだ いぶ異なる最先端のファッションに身をつつみ、み だしなみのよい上品な姿にて、まるで「英雄」を意 識しているかのような独特の輝きが感じられる。
 その後、耳疾で社交界から遠ざかり、スランプと ロマン主義への接近、孤高様式の完成(交響曲第9 番や5曲の弦楽四重奏曲に代表される晩年の大作 群)へと向かっていくが、創作過程が複雑で作曲の 過程で常に発展し、また生存していたときから神格 化されて特別な崇敬によるさまざまな評伝が錯綜 し、「楽聖」としてその後の芸術家たちに影響を与 えてきたことは、ベートーヴェンに関する研究の広 さと複雑さにつながっている。この部分に関しては 新交響楽団第183回演奏会でのプログラムに掲載さ れている「答えはひとつではない。」を参照してい ただきたい。 (新響ホームページから「過去の演奏会」を選択し 第183回演奏会の詳細にあり) http://www.shinkyo.com/concerts/p183-1.html

■様式=交響曲第3番の解説
 この作品が生まれた時代のヨーロッパ社会は、フ ランス革命後の変動による価値観の変化、ナポレオ ン・ボナパルトの出現、神聖ローマ帝国の消滅、と いった激動の中にあった。文学と哲学への探求、政 治的展開への関心を持って、職人としてではなく自 立した音楽家として、ベートーヴェンは、あらゆる 社会的な境界を越えて自己を確立すべく活躍した。

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   スコア筆写本の表紙。写譜者の他、ベートーヴェン自身による 書き込みや、削除のあとがある。

 前項で述べた彼に関する研究の広さと複雑さとし て、この作品には数多くの逸話や伝説が存在してい る。ナポレオンに対する複雑な感情(例えばナポレ オンへの尊敬と関心、皇帝の座についたことでの激 怒による献呈の破棄といった説話、“ボナパルト” という標題へのこだわりと“シンフォニア・エロイ カ-ある偉大な人物の思い出を記念して”としてロ プコヴィッツ候に献呈された経緯)、当時のベート ーヴェンによる一連の「プロメテウス」音楽との関 連性、「英雄」の本質的意味等、ここでは詳細な解 説はあえて省き、ベートーヴェンの作品に共通した 要素を列挙してみよう。

「長さと編成」
 当時の交響曲というスタイルからかけ離れた50分 近い長さであること。今まで同じパートとして譜面 に書かれていたチェロとコントラバスが分離されて いること。ホルンが3本という特殊な編成であるこ と。以前の交響曲と比較してほとんど二倍の規模と して意図された長さによる効果と意欲的な楽器法 は、より充実した響きを表現し、音楽表現の拡大と 想像力の進化につながっていく。

「モティーフ」
 メロディーとしては、三和音を基礎とした単純明 快なモティーフで、しかもそれを多相的に発展させ、 自己完結した旋律ではなく常に反復や変容を持って 造形されている。そして、重要なのはメロディーだ けでなくリズムパターンを加えて、多相的変化の手法による内的な統一感を生み出している。これは第 1楽章に顕著な要素であり、リズムとして一定の拍 子に変化を与えスピード感をつけるシンコペーショ ンを用いて、小節をまたいで本来の拍のとり方を変 化させ強拍をずらして独特のリズムを生み出してい る効果としてのヘミオラを誘発し、リズムを今まで 従属的地位から引き上げている。調性や和音とメロ ディーだけでなく、強拍記号を多彩に使用してダイ ナミックな表現を創出している。

「調性と和音」
 変ホ長調は「英雄的」な性格を持つことで後世に 影響を与えている。例えばR.ワグナー「ニーベルン グの指環」に登場する英雄ジークフリートの動機と か、R.シュトラウス「英雄の生涯」も同じ調で表現 されている。和声としては大胆且つ効果的に不協和 音を使用し、増六和音や減七和音をたびたび登場さ せて緊迫感と劇的な表現を生み出している。先述の リズムパターンと同様、この作品以外にも見られる ベートーヴェン作品の重要な特長といえよう。

「構成」
第1楽章:

 音楽用語として“アレグロ・コン・ブリオ”とい えば、“エロイカ!”と出てくるほど有名な標記。 4部分からなるソナタ形式だが巨大な展開部とコー ダが特長。最初にチェロで登場する「英雄」のテー マは、その後の他のテーマとも関連性を持っており 重要。展開部の後半オーボエによる哀愁を帯びたメ ロディーが秀逸。再現部の直前、ヴァイオリンが属 和音で二度音程を奏しているところで突然ホルンに テーマを吹かせ、ロプコヴィッツ侯爵邸での試演の ときにホルンが拍を取り違えたかと弟子のフェルデ ィナンド・リースが思ったという有名な箇所があ る。当時の和声上の反則で記譜上の誤りと考えられ ていたが、この劇的な仕掛けは作曲者が意図してい るものである。

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                 第1楽章再現部直前の部分(草稿)

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                 試演されたロプコヴィッツ侯爵邸

第2楽章:
 「葬送行進曲」という名称を与えたのは初めての こと。三部形式を複合的に変化させたものといえよ う。葬送の主題とともに小太鼓の音形が登場する。 トリオに相当する部分はハ長調となり英雄の偉大さ を賛美、この後のへ短調による二重フガートが苦悩 を表現しているようでドラマ性に富んでいる。最後 はため息のような嘆きと、遠くに去るように終結 する。

第3楽章:
 本格的な“スケルツォ”。複合三部形式にてスピ ード感あふれ、トリオに三本のホルンによるアンサ ンブルが効果的。出版社であるブライトコプフ&ヘ ルテル宛の手紙の中にも、わざわざ「三本のオブリ ガート(独奏)ホルン」と書かれており、まさしく その真価が発揮されている。

第4楽章:
 変奏曲だが、先例を破る規模の大きさがある。ベ ートーヴェンが同時期に作曲したバレエ音楽「プロ メテウスの創造物」に代表されるメロディー主題と バス主題が対置されており、特にバス主題が前面に でている。これら2つの主題は巧みに組み合わされ て大きな流れを構築している。

■“B to C”から“B to B”へ
 バッハは「バッハ」(小川)ではなくて、「メーア」 第1楽章再現部直前の部分(草稿) (大海)という名であるべきであった、という言葉はバッハの音楽の果てしない広大さと深さをたとえ たものとして、ベートーヴェンの有名なしゃれとい われている。ベートーヴェンは、若きころボンにて、 クリスチャン・ゴットロープ・ネーフェよりバッハ の平均律クラヴィーア曲集を通して学び、当時の和 声や音楽構成に対する理論的秩序に関する問題を通 して音楽理論を認識した。ベートーヴェンは終生バ ッハの作品に親しんでいたという。
 長年テューバを演奏している筆者にとって、テュ ーバはベートーヴェンの死後に開発された新しい楽 器とはいえ、バッハ(Bach)から現代(Contemporary) へというテューバの持つレパートリーの広さと演奏 表現の可能性としての概念を認識しているが、時代 を超越した精神世界の奥深くへいざなう音楽の流れ として、バッハ( B a c h ) からベートーヴェン (Beethoven)という大きな概念を感じている。「英 雄」をはじめとするベートーヴェンの音楽は、バッ ハという大海の流れのうえで、後世のあらゆる作曲 家の作品と生き様に多大な影響を与え続けている。 ベートーヴェンの作品から受けたプレッシャーの大 きさと、その意義を継承する責任も含めて、特に表 現様式として交響曲を選択したブラームスやブルッ クナーはもちろんのこと、伝統的なソナタ形式によ る作品ではベートーヴェンを凌駕することが困難で あるといった感覚が存在していたのは確かであり、 ベートーヴェンの確信に満ちた先駆性が改めて感じ られる。

初  演:1804年5月末、ヴィーンのロプコヴィッツ侯邸に て作曲者自身の指揮により試演。1805年4月7日、 ヴィーンのアン・デア・ヴィーン劇場にて作曲者 自身の指揮により公開初演。
日本初演:1909年11月28日東京音楽学校にて第1楽章のみ。 A.ユンケル指揮。1920年12月4日東京音楽学校に て全曲。G.クローン指揮。
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、 ホルン3、トランペット2、ティンパニ、弦五部
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