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エルガー:エニグマ変奏曲

新山克三(チェロ)

 イギリス、正しくは大ブリテン王国は僕の大好きな国のひとつです。とくに田舎はすばらしい。どこに行っても汚いところはいくら探してもありません。緑がいっぱいで、家並みは美しい、羊がたくさんいて、幸せそうな丘陵地帯がどこまでも続きます。エルガーはそういった田舎のモルバーンというロンドンの西140キロのウースターのすぐ南西にある小さな町の楽器屋さんの息子として生まれました。1857年のことです。ペリーが下田に来たのが54年ですから、57年は日本では安政4年、幕末の大混乱期です。そのころイギリスは、ヴィクトリア女王時代の最盛期で、東アフリカのほとんど、インド全土(いまのパキスタンやバングラデシュを含む)マレーシア、ビルマ、オーストラリアなど広大な植民地を支配し、それら植民地から得られる豊富な資源により世界一といっていい強国でした。19世紀のイギリスは絵画では、ターナーやミレー、ホイッスラーと言った有名な画家が、また小説ではディッケンズやコナン・ドイル、オスカー・ワイルドほか多数の天才達が活躍して華やかな時代でしたが、どういうわけか音楽に関しては全くといってよいほど衰微した時期でした。そんな時現れたのがエルガーです。17世紀のパーセル以来200年ぶりのイギリス待望の作曲家として人々から喜んで迎えられたのです。(ヘンデルはドイツ人で42歳の時イギリスに帰化したので、イギリスではドイツ人の作曲家とみなされている)

 エドワード・エルガーの父親は教会のオルガン奏者だったことから音楽の才能があったようですが、貧しい楽器屋で、エドワードに専門的な音楽教育をうけさせることはできませんでした。それでもエドワードはピアノやヴァイオリンが上手で独学で作曲もできるようになりました。13歳のころ教会のオルガン奏者になり教会音楽を作曲しています。また仲間たちと始めたアンサンブルのためにも何曲か作曲しました。彼が大作曲家としてイギリス中に知られるようになるのは40歳を過ぎてからですが、それまで彼はピアノとヴァイオリンの個人教師として生活していました。そんな彼のところにアリス・ロバーツという女性が弟子になったのが1886年で2年後の1889年に二人は結婚します。アリスはその時40歳。エドワードは32歳。その1年前に婚約のお祝いとしてアリスに捧げたのがあの有名な『愛の挨拶』です。最近の若者は彼女の前でギターをジャラジャラ弾きながら愛の告白をするらしいですが、彼女ははなはだ迷惑ですよね。でも『愛の挨拶』みたいな曲だったら誰でもいちころではないでしょうか。名曲だと思います。じつは僕も昔(若い頃ですよ)彼女を家に連れてきてこの曲をチェロで弾いたことがあります。いま考えてみるとご迷惑をかけたのかも。
 僕は今度の定期にエルガーのエニグマをやると聞いたとき、「へーそうなの。でもエルガーは新響で初めてやるのになぜ『謎』をやらないの?」と思いました。でもエニグマとは謎のことと判明して納得。謎なら有名なのにエニグマとは聞いたことがないなと思ったのは僕だけでしょうか?(そうだ、お前だけだ)

 ある日、エルガーがピアノにむかってなにげなく指を動かして適当なメロディーを弾いていた時、そばを通りかかったアリスが「なーにいまのメロディー?」と聞いた。エルガーは「たいしたものじゃないよ。でも、これでなにかできるかも」と言って、そのメロディーをもとに親しい友人達を思い浮かべながら「彼はこんな感じ、彼女ならこうだね」といいながらいろいろな変奏を作ってみたのがこの曲ができたきっかけでした。エルガーはそれを主題と14の変奏曲にまとめ、各変奏曲に友人達のイニシアルをつけて、かつ全体を『エニグマ』と命名して発表しました。なにが謎なのかというと、第一にイニシアルが誰を指すのかということですが、これはエルガーが詮索好きの友人達によって問い詰められた結果、第13変奏を除いて解明されてしまいました。しかしこの曲には第二のもっと大きな謎があるらしい。エルガーによると「曲全体をより大きな主題が貫いているのだが、その主題は決して演奏されることはなく、その後の展開においても登場することはなく、主要な性格は表舞台には現れることはない。これはメーテルリンクの『闖入者』や『7人の王女』の主役が決して舞台上に現れないのと同じである」といっています。(メーテルリンクの戯曲は明治から大正にかけて日本でも非常に多く上演されていたが、昭和にはいって突然上演されなくなった。いまでは、青い鳥という童話の作者としてわずかに記憶されるに過ぎない)この第二の謎については、多くの研究がなされ、英国国歌が隠されているのではないか、いやAuld lang syne(蛍の光)だとか、英国愛唱歌のルールブリタニアだ、などいろいろな説がありますが結局いまだに解明されておらず、現在ではあきらめられているようです。エニグマが初演されたのは1899年ロンドンのセント・ジェームズ・ホールでハンス・リヒター(当時の一流指揮者で後にエルガーの擁護者となる、当時56歳)の指揮で行われ大成功をおさめました。曲としての完成度もさることながら、成功の鍵はやはりその題名とエピソードによるところが大であったと思われます。第14変奏の終曲は初演のときはもっと短かったらしいが、エルガーの親友であり後援者であり、また第9変奏の主人公である楽譜出版社の編集者だったJaegerのアドバイスにより100小節が書き足されました。この追加部分にはオルガンが参加しますが、スコアーには「ad lib」(随意)すなわち、無しでもいいと書いてあります。今日は無しです。
 エニグマの成功に気をよくしたエルガーは1900年にオラトリオ『ゲロンティアスの夢』1901年に彼の代表作である軍隊行進曲『威風堂々』を発表する。即位したばかりの英国王エドワード7世は威風堂々がすっかり気に入り、「世界中の人に愛されるメロディーになるだろう」といい、翌年の戴冠式の頌歌に引用されることになりました。エルガーはこの功績により1904年にナイトの称号を送られ一生の生活が保証されることになったのです。ちなみに、日本は1902年に日英同盟を結び、それを支えに1904年日露戦争に突入しました。
 エルガーは数多くの名曲を残しましたが、彼の最高傑作(私見)であるチェロ協奏曲は1919年彼が62歳の時の作品です。翌20年に妻アリスを亡くし、彼自身は1934年(昭和9年)に76歳で亡くなりました。

主題
 ヴァイオリンによって奏される第一主題とクラリネットによって奏される第二主題で構成されるが、たったの17小節と短くすぐ第一変奏にはいる。
第一変奏:「C.A.E.」 Caroline Alice Elgar
 最愛の妻アリス。主題から同じテンポで入るので、いつ始まったのか気をつける必要がある。ゆったりしたAdagioで、やさしさが表現されている。エルガーは「この変奏は主題の延長であり、ロマンティックで繊細な要素を加えたかった。C.A.E.を知っている人なら誰だかわかるだろう」といっている。
第二変奏:「H.D.S.-P.」Hew David Stewart-Powell
 アマチュアのピアニストでエルガーの室内楽仲間の一人。彼が演奏の前に音階練習をする様子をパロディー化している。
第三変奏:「R.B.T.」 Richard Baxter Townsend
 アマチュアの俳優でパントマイムも得意だった。声域や声質を自由に変える特技があり、それがこの変奏の主流となっている。
第四変奏:「W.M.B.」 William Meath Baker
 ハスフィールドの大地主で育ちがよく学のある人。この変奏は彼がパーティーの準備のため紙片を手に当日の準備事項を力をこめて読み上げると、扉をバタンと閉めてあわてて出てゆくところを描写している。 第五変奏:「R.P.A.」 Richard P. Arnold
 1888年に没した詩人Matthew Arnold の三男、父親譲りの文芸家だが音楽好きでもありピアノを独習していた。ヴァイオリンのG線で奏されるゆったりしたメロディーから彼の穏やかで重厚な性格が想像される。真面目に話していたかと思えば、突然奇抜でしゃれたことを口にする、笑い声がオーボエで奏される。
第六変奏:「Ysobel」 Isabel Fitton
 ウースターに住む音楽一家の令嬢で、アリスとエドワードを結んだ恩人でもある。エルガーにヴィオラを習っていた。だから、この変奏はヴィオラが主役で、初心者が苦心する移弦の練習のパロディーである。 第七変奏:「Troyte」 Arther Troyte Griffith
 モルバーンに住む建築家。エルガーの遊び友達で凧あげやハイキングをして楽しみ、一生を通じて親交があった。また、エルガーにピアノを習っていたが、下手だったらしい。プレストの指示があり非常に早いテンポで奏されるところから、かなり早口でせっかちだったと思われる。
第八変奏:「W.N.」 Winifred Norbury
 ウースターフィルハーモニー協会の事務員だった彼女は、モルバーンの北にあるシェリッジという18世紀に建てられた古い邸宅に住んでいた。この曲はその邸宅と彼女ののんびりした笑い声を表している。 第九変奏:「Nimrod」 August Johannes Jaeger
 楽譜出版社ノヴェロの編集者でエルガーの擁護者でありかつ親友だった。エニグマの楽譜の初版は当然ノヴェロ社から発行された。彼がベートーヴェンの緩徐楽章についてエルガーと話し合っている様子を表すといわれている。エルガーは3歳年下の彼を尊敬していたらしく、この変奏曲は非常に荘厳な感じになっている。よほど世話になったらしい。
第十変奏:「Dorabella」Dora Penny
 第四変奏に登場するウイリアムベーカーの姪でエルガーにたいへん可愛がられていた。彼女は後に第二変奏のスチュアートパウエルと結婚することになる。おとなしくて控えめな女性で少しどもるくせがあったらしい。それが全曲に表れている。
第十一変奏:「G.R.S.」George Robertson Sinclair
 友人が「G.R.S.というのはヘレフォード大聖堂のオルガン奏者のジョージのことだろう?」と聞くとエルガーは「その通り。でもこの曲は大聖堂やオルガンとは関係なく、彼が飼っているダンというブルドッグが散歩の途中ワイ河におっこち、流れに逆らって必死に泳いで岸にだどりつき、うれしそうに吠えるところを表しているんだ」と言った。大変ユーモラスな曲である。ちなみに「ユーモア」はイギリス紳士の大事な条件のひとつです。
    elgar.jpg
     前列左から、第11変奏のシンクレア、河に落ちたダン、エルガー
第十二変奏:「B.G.N.」Basil G. Nevinson
 パウエルとともにエルガーの室内楽仲間でチェリスト。チェロが主役でメロディーを奏するがヴィオラがそれを助ける。
第十三変奏:「***」
 問題の第十三変奏である。エルガーの初稿ではL.M.L.とされていたが、それを消して***となった。L.M.L.はLady Mary Lygonで当初は彼女を念頭に置いていたことは間違いなさそうだ。彼女はその時オーストラリアに向けて航海中で、曲は船のエンジンの音や波のうねる様子を表しているように聞こえる。また、メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」のメロディーがクラリネットで奏される。彼女は1869年生まれで当時30歳、航海の目的はなんだったのだろう。当時のオーストラリアはまだイギリスの「流刑地」という印象が強く、殖民が始まっていたとはいえ、エルガーの周囲の友人達のような階級の人が殖民するとは思えず、単なる観光旅行ではありえない。イニシアルを消してしまった理由はいまだに解明されていない。また、この曲はエルガーが1883/4年に婚約していたHelen Weaverだという説をとなえる人もいる。彼女は婚約が破れてライプツィヒに行ってしまった。
第十四変奏:「E.D.U.」Edward Elger
 妻アリスは彼女の年下の夫をエドゥーと呼んでいた。すなわちこの曲はエルガーの自画像である。しかしこの変奏は具体的にはなにを表しているというものではなく、自由奔放に作曲されており、全曲を通して一番エルガーらしさがでている。図らずして、まさにE.D.U.になっている。

参考文献
『エルガー/エニグマ変奏曲(独創主題による変奏曲「謎」)(ポケット・スコア )』(日本楽譜出版社)
日本エルガー協会公式HP

初演:1899年 ハンス・リヒター指揮ハレ管弦楽団 ロンドンのセント・ジェームズ・ホールにて

楽器編成:フルート2(2番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、小太鼓、トライアングル、大太鼓、シンバル、オルガン(任意)、弦5部
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