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特別寄稿 マーラーの交響曲 -残された楽譜と演奏の実際についての考察

高関 健

 ダイナミックな表現、精密なオーケストレーション、複雑で長大な構成、合唱を含む多くの演奏者など、スケールの大きさにおいて、マーラーの交響曲は他に全く類を見ない。オーケストラのそれぞれのパートにも難しいパッセ―ジがたくさん与えられているが、指揮者に対する要求も大変に厳しい。大編成のオーケストラや合唱を掌握する事自体とても難しいのだが、作品に込められた誇大妄想的なイメージを、大いなる共感を持って再現する事こそ、与えられた最大の課題であると思う。自分がそれを実現できたと感じたことはもちろん一度もないが、演奏のたびに予感することはできる。他の作曲家には決して感じられない、特別な熱気が会場全体を包む。いずれにしても、マーラーを演奏する事は私にとって必ず特別な体験となる。
 当代一流の指揮者でもあったマーラーは最高の演奏をめざして、歌手やオーケストラに対し常に容赦ない要求を突きつけたと伝えられる。このような厳しい態度は、当然ながら自らの作品に対しても徹底的に貫かれた。作品の完成から演奏、その後の出版にいたる数々の段階でより精密な表現をめざし、多くの変更と更新が行われた。しかしながら、私たちが手に入れることができるマーラー作品の楽譜について、作曲者の最終的な意思を必ずしも反映しない複数の出版が現在にいたるまで行われており、作品に対する誤解を生じさせているようだ。音楽学の基礎知識を持たない私がこの問題に言及するのは僭越なことはではあるが、マーラーの音楽を愛して止まない聴衆の皆さんに少しでもご参考になればと思い、これまでの経験を基にこの稿を進めてみることにする。

作曲から初演まで
 交響曲の作曲にあたり、多くの場合マーラーは楽想をスケッチした後、 ①4段に拡大した大譜表により曲の構成を決定し、(Particell) ②横長の五線紙にスコアを下書きしてオーケストレーションをほぼ確定して、(Partiturentwurf) ③最後に縦長の大きな五線紙を使い浄書、作品を完成させる、(Partitur-Reinschrift) という順で筆を進めていった。特に後期の作品では、それぞれの段階での作曲者のイメージはより明確になっているので、作曲の過程をはっきりとたどることが出来る。
 出版社は原稿(Partitur-Reinschrift)を基に写譜師により版下(Stichvorlage)を製作、その後製版に入り、完成したところで試し刷り(Bürstenabzug)が行なわれる。版下および試し刷りは校正のために作曲者に届けられるが、マーラーは誤植のチェックだけでなく、この段階で早くもオーケストレーションの改良に取りかかり、時には旋律線の変更さえ行なっている。度重なる改訂の結果、試し刷りが数回繰り返される事もあった。校正ならびに改訂を受け、正式なスコアとパート譜の印刷(初版=Erstfassung)に取りかかる。初演の際には、パート譜についても手書きではなく、印刷された初版が使われたようである。楽譜の準備ができた後、いよいよオーケストラとの練習に入るわけであるが、練習中に実際の響きを聴きながら、マーラーはさらに改良を繰り返していくのである。

出版
 練習から初演にいたる段階での変更や改良の結果は、初演の後にスコアやパート譜が重版されるか、あるいは研究用の小型スコアを新たに出版する際に取り入れられた。しかし、残念ながら作曲者が意図したすべてを含んだ万全なものとはならなかった。
 一般論ではあるが、新作の初演では、限られた時間の中でテンポの決定、音の確認、表現の実際、特殊奏法の検討など、いろいろな事柄で作曲者、指揮者、オーケストラの相互間で議論が行われ、リハーサルは実に煩雑な作業となる。マーラーの場合は作曲と指揮を兼任して、しかも完全主義者であったので、その作業のめまぐるしさは想像を絶するものであったに違いない。自分のスコアにメモしながらも時間の制約で実現しなかったところ、練習中に新たなアイディアを思いついてオーケストラに注意をし、楽員はパートに書き込んだがマーラー自身がそれをスコアにチェックし忘れたところなど、かなりの錯誤が使われたスコアやパート譜に残されたままとなってしまった。
 マーラーの逡巡が相当激しかった様子について、決して正確とは言えないようではあるが、第6交響曲の初演におけるアルマ・マーラーの記述によって、私たちも実感することができる。

初演後の状況
 作曲者による再演は期日とオーケストラを変えて度々行なわれた。しかし再演のための練習においても、もとより不完全な楽譜の状態にマーラーが満足できるわけもなく、前述のような改訂や変更が同じように繰り返された。再演に使用され、変更されたパート譜の多くはオーケストラのライブラリーにそのまま残されるか、あるいは出版社によって回収された。例えば第5交響曲の場合、演奏の度に新しいパート譜が準備され、マーラーはそこに改めて変更や改良を容赦なく加えたので、結果として一つの交響曲に異なる変更が加えられた複数のヴァージョンが残っている。このようなパート譜の状態を統合する作業は、マーラーが活躍していた当時はまったく行なわれなかっただけでなく、実際の出版にほとんど取り入れられていない。またマーラー自身が演奏に使用したスコアにも多くの変更が記入されたが、これもまた省みられることはなかった。
 以上の改訂の結果は、マーラー自身の演奏に立ち会ったか、あるいは助手を務めた指揮者などにより部分的に継承されたが、個人的な範疇を超えるものではなく、一般化するには至らなかった。時にはこうした改訂が一部の演奏用の貸し譜スコアおよびパートのみに書き込まれており、一般に手に入る研究用スコアと大きく違っていることもあった。
 もう一つ触れておかなければならないことは、マーラーの場合、単独の出版社と専属契約を結ぶまでには至らず、それぞれの交響曲について異なる出版社に交渉し、演奏が決まった段階で出版を契約していた。現在では第1から第4交響曲までは、版権を受け継いだUniversal Editionが出版しているが、初版の段階ではそれぞれ異なる出版社が担当した。(Universal社がマーラーと専属契約を結んだのは第8交響曲以降のことである。)またマーラーの先進的な書法は、当時の出版社にとって理解し難い点も多かったようで、出来上がった楽譜の精度は作品ごとにかなり異なってしまった。例えば第7交響曲においては、初版の段階からすでに多くの誤植が指摘され、慌てた出版社が「訂正表」を別に刷ってスコアに添付するような状況であった。また第1および第4交響曲では、Universal社が1940年代に小型スコアを重版したが、当時ナチス・ドイツの占領下にあったヴィーンにおいてマーラーの作品は出版不可能だったので、ロンドンにあった支社が代行した。その際どうした理由か、改訂前の初版をそのまま印刷してしまった。  やむをえない事情もあったが、以上のような状況から演奏の現場での混乱は最近にいたるまで時々引き起こされていた。メンゲルベルク、ヴァルター、クレンペラーなど作曲者と直接の交流を持った指揮者たち、またバーンスタインによる1回目の全曲録音を聴けば、このような混乱は明瞭に判別できる。なお、最近容易に手に入るようになったリプリント版のほとんどは、改訂前の初版のコピーである。研究用資料としての価値はあるものの、作曲者の最終意図からは大きくかけ離れているで、実際の演奏には使われないものと考える。
 マーラーの交響曲が正しく理解されるまでには、相応の時間が必要であったが、演奏される機会がなかなか増えなかった理由の一つとして、楽譜の不備があったことは指摘せざるを得ない。

国際マーラー協会による批判全集版
 このような楽譜の状態を改善することを目的の一つとして1955年、ヴィーンに国際マーラー協会が設立された。各所に散らばった資料を統合し校訂作業が行なわれ、作曲家の生誕100周年にあたる1960年に批判全集版として、それまでもっとも問題の多かった第7交響曲が最初に発表される。この画期的な出版によりマーラーの交響曲のあるべき姿が初めて提示された、と言っても過言ではない。以後マーラーの作品が演奏される機会は格段に増えることとなる。エルヴィン・ラッツ(Erwin Ratz)がほとんど一人で校訂作業にあたったと言われているが、1970年代の終わりまでに全交響曲の批判全集版が揃った。
 国際マーラー協会は批判全集版の一応の完成を機に、その後に判明した事実や出現した資料の検討を含めた「改良版」”Verbesserte Ausgabe”の校訂に着手、カール・ハインツ・フュッスル(Karl Heinz Füssl)が主な校訂者として、第1、第4、第5、第6、「大地の歌」、第9交響曲までが出版された。ただし「改良版」における改善点はあまり多くはない。
 フュッスルの死後、ラインホルト・クビーク(Reinhold Kubik)が校訂作業を引き継いだが、クビークは研究チームを増強し、これまでの研究に加え、初演や再演の折に使われた更に多くのパート譜やマーラー自身の書き込みの含まれたスコア、メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウオーケストラが演奏に使った楽譜など、新発見を含むさらに幅広い資料を基に、マーラー自身が最終的に頭の中に持っていたイメージに迫ろうとする「新批判版」”Kritische Neuausgabe”を計画し、2002年にまず第5交響曲が出版された。発表と同時に指揮者サイモン・ラトルが取り上げ、第3楽章のホルン・ソロの演奏位置などが話題になったが、内容的に素晴らしい出版であり、これまでとはまったく一線を画したものになっている。批判全集版においても、スコアとパート譜との不統一がなお指摘されていたが、製版のコンピュータ化により、不統一は解消された。またパート譜も正確で読みやすい版組みとなった。(それまでは初版を版下に、変更部分のみを手作業で追加していたので錯誤は免れなかった。)さらにこれまでに比べ格段に多くの資料に当たった結果、初めて詳細な充実した校訂報告が添付され、指摘されていた数多くの疑問点についても解答が与えられている。
 「新批判版」は現在、レナーテ・シュタルク=フォイト(Renate Stark=Voit)とギルバート・カプラン(Gilbert Kaplan)の共同校訂による第2交響曲の出版準備がほぼ整い、スコアと校訂報告の二分冊により、まもなく刊行される。また第7交響曲についてもクビークがすでに校訂を終えており、2007年3月にはマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団により試演が行なわれた。「新批判版」の出版はクビークを中心に今後も続けられる予定で、第9交響曲の校訂作業に現在入っているとの事である。

 ここで第2交響曲について、私の経験を記しておきたい。2006年3月に群馬交響楽団と共に演奏した際に、上記の「新批判版」をUniversal Editionのご好意により試用版の形で使うことができた。演奏会の2週間ほど前に届いたスコアを一読した私は、長年持ち続けた疑問に対する明快な回答を得て、文字通り目から鱗が落ちる思いであった。批判全集版との違いは細かい点ばかりで、音程の違いなど聴いてはっきり認識できるものはごく限られているが、響きをより明確にするために必要な楽器間のバランスの操作、強弱およびフレージングの徹底、細かな奏法の指定など、全体として500ヵ所を超える更新が行われている。
 読み進めるにしたがい、新たな出版においてどうしても逃れることのできない誤植と思われる個所や、不明な点も見つかった。そこで国際マーラー協会に連絡を取ってみたところ、直接クビーク博士およびシュタルク=フォイト博士から問題点をリストにまとめるよう要請された。時間も差し迫っていたので十分とは言えないものの、スコアの熟読にすぐに取りかかり、急ぎ質問リストを作成した。その際、カプラン財団が1985年に出版した交響曲全曲の自筆原稿ファクシミリ、初版(1899)および批判全集版(1970)、第1楽章の初稿である「葬送」”Todtenfeier、そして歌曲集「子供の不思議な角笛」の批判全集版を参照している。フォイト博士の対応は誠意あふれるもので、質問項目の一つひとつに赤で訂正を入れるような形で細かく答えていただいた。さらにオーケストラとの練習に入ると、楽員からも多くの指摘を得て、その後は公演直前までフォイト博士とのやり取りが続いた。もう一人の校訂者であるカプラン氏からも連絡が入り、すでにこの新版による演奏を重ねているカプラン氏とは、演奏面を含め有益な議論を繰り返すことができた。私が挙げた質問は140ヶ所を超えたが、そのうちの30数ヶ所については誤植、またはもう一度検証が必要な個所であることが判った。
 楽譜の校訂という現場に図らずも立ち会うことになったが、この経験により残された楽譜から作曲家の意図をどこまで読み取り、どのように演奏に反映することができるかについて、多くの示唆を与えられた。マーラー自身による初演までの過酷な作業を、わずかながら追体験する機会に恵まれたのかもしれない。

「大地の歌」および第9交響曲における楽譜の状況
  「大地の歌」と第9交響曲については、作曲者が初演を果たす機会がもう与えられなかったが、写譜師が作成した版下にはマーラーによる校正が行われていた。すでにこの段階でオーケストレーションの変更なども見られるようである。作曲者の死後、ブルーノ・ヴァルターによる初演のためにスコアとパート譜が急いで準備されたが、出版社の不理解による多くの誤植がそれぞれの初版(1912)には認められる。批判全集版(ラッツ校訂1964、1969)により誤植はかなり修正されたが、表現上の錯誤、矛盾している所などはそのままに残された。「改良版」 (1990、1998)においても、編集のスタンスに大きな違いはない。 両交響曲のスコアを比較検討してみると、作曲者のイメージは第9交響曲に較べ「大地の歌」でより明瞭で確固として、完成度が高いように見受けられる。「大地の歌」では、表現上の錯誤などの疑問点は非常に少なく、問題点のほとんどは、独唱とオーケストラとの音響上のバランス(特に第1、第4楽章において)に終始する。マーラーが初演を行うことができれば、第4および第8交響曲のようにオーケストレーションの無駄を削り、独唱がたやすく聴き取れる配慮がなされたに違いない。また第6楽章の数ヶ所については、さらに演奏しやすい具体的な形へ変更されたことであろう。
 それに対し第9交響曲では、疑問の残る音程のみならず、コントラファゴットとバステューバなど同一の声部進行をするはずのパートにおいて、リズムが異なっている点が多く見受けられる。また強弱の不統一、時にはあるパートについて表情記号が全く脱落している個所、多過ぎる5連符のモルデントなど現実的とは言えない譜割りや不徹底がスコアに残されている。オーケストラとの共同作業を通じての改訂が行なわれた第8交響曲以前の作品と比較して、スコアの状況はかなり異なる。
 先にも述べたように批判全集版では、矛盾点について基本的に作曲者の記譜のままとし、編集者独断による追加や変更は一切行っていない。こうした事情から、第9交響曲について、批判全集版の校訂者ラッツは、残された第1~3楽章のスコア下書き原稿(”Partiturentwurf”-前述作曲段階の②)をファクシミリの状態で特別に出版、演奏者に対しファクシミリを参考にスコアを検討し、各々が結論を出した上で実際の演奏に当たることを、批判全集版の前書きの中で薦めている。

演奏について-私の姿勢
 20世紀前半は指揮者という演奏分野が確立した時代であったが、当時の指揮者たちの多くは「より良く」、あるいは「より饒舌に」自分を表現するために、特に古典的な作品に対し、容赦なくオーケストレーションを含む変更を加えて演奏していた。これは残された録音などを聴けば明らかであり、私たちの世代も少なからず影響を受けている。マーラー自身もモーツァルトやヴェーバーのオペラ、ベートーヴェンやシューマンの交響曲について大胆な変更を加えて演奏していたことが良く知られている。こうした変更は演奏解釈と隣接したものであるが、時には作品の本質から逸脱して、演奏家の独善に陥ることもあった。  これまで述べてきたように、マーラーは自身の作品について、可能な限り正確な記譜を試み、後の世代に対しても正確に演奏されるよう、最大限の努力をした。楽譜の改訂だけでは満足できずに、欄外に「指揮者への注意」として特殊奏法やテンポの設定、指揮の方法論にまで言及しているが、マーラーの細心さを端的に表したものと言って良い。しかし一旦作品を完成した後に、演奏のため、あるいは演奏の度に繰り返した加筆や改訂は、作曲者としての観点ではなく、むしろ演奏する立場からなされたと理解するべきである。作曲と演奏とがまさに専門分化していく時代に、マーラーは才能に秀でた一流の音楽家であったからこそ、相対する観点から自分の作品に批判を加えていく宿命を背負わされた。この点は注目しなければならない。
 マーラーが行なった改訂の目的は、楽器間のバランスの調整と、主要主題や動機の詳細な表現、の二つに大きく分類できる。そのうちバランスの調整については、全曲を通じて遺漏なく行なわれているが、詳細な表現については徹底されていると認めるのは難しいようである。むしろ作品のあまりにも大規模な構成と膨大な音譜の量から、作品をすべて管理する事はできなかったと言わざるを得ない。スコアを読み進めるに従って解ることであるが、繰り返される主要なモティーフにおいても最初の部分のみ正確に記譜され、途中からは改訂を放棄しているところが見られ、また強弱や表情がスコアの上下や前後の関係での錯誤が多く残されている。
 私自身は演奏に際し、作曲家の書いた楽譜を最も尊重し、余分な変更など行なわずに作曲者の持つイメージに迫ることを基本方針としている。しかしマーラーのスコアに残された不明瞭な部分に限っては、作曲者の真意を出来る限り忖度して、必要ならば加筆を行った上で、演奏に具体的に反映させるべきと考え、これまでも第10番を除くすべての交響曲について実行してきた。ただしこのような変更と加筆は、作曲者の意図から外れて独善的になることがないよう、あくまで慎重にされなければならない。そのために私は、自筆原稿のファクシミリ、初版から批判全集版に至る各段階の出版の収集、交響曲に関連する歌曲の研究など、手に入る限りの資料を基に比較検討し、変更の根拠を得るように努力している。  第9交響曲は私が指揮者を目指す原動力となった作品である。すでに1999年に群響と共に演奏しているが、事前に批判全集版の編集方針に従い、出版された下書き原稿(Pariturentwurf)のファクシミリを最も重要な資料としてスコアを詳細に検討、変更点をパート譜にチェックした上で演奏に使用した。オーケストレーションの変更など不合理なことは一切行なわなかったが、響きの明瞭さを得るために、強弱ならびにフレージングの錯誤については統一を試みた。また楽器間のバランスについても変更を行なったが、いずれもマーラー自身が第8交響曲以前の作品について各段階で演奏を通じ書き加えた改訂の状況を参考とし、拠りどころとしている。新交響楽団との本日の演奏のためにも、手持ちの資料を改めて検討し直し、新たに変更が必要と思われる点についてさらにパート譜に加筆を実施している。なお今回判明したもののうち大きな疑問点について、国際マーラー協会のクビーク博士に直接照会して、ご教示を仰いでいる。

 マーラーの交響曲を演奏する機会に恵まれることは、私にとってはこの上ない喜びである。許されるならば、自分のライフワークとして、これからも演奏を積み重ねていきたいと考えている。今回の楽譜についての考察も、私のマーラーへの私淑と敬意の表れと理解していただければ幸いに思う次第である。 (2007年8月)


第199回演奏会(2007.10)パンフレットより

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