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特別寄稿 二つの名交響曲徒然(つれづれ)

小松一彦
<リズム対メロディー ~同時代に生きた対照的な二人の作曲家>
 リズムのルーセル(1869-1937)対メロディーのラフマニノフ(1873-1943)!?―なんと短絡的な位置付けよ!!
 音楽の始まりは原始人の叩く太鼓のリズムからだったのか、それとも歌からだったのか、これは永遠に尽きない議論だが、それぞれの作品・作曲家にはバランスの違いはあるにせよ、その両者共に必要不可欠のものであり、それが「音楽」というものなのだ。
 確かにこの二人の作曲家の“歌”の部分は全く対照的と言えるだろう。古今東西一、二を争うメロディーメーカーであったあのチャイコフスキーの後継者を自他共に認めるラフマニノフの旋律は、演奏の質・性格によっては映画音楽かと思わせる危うさを孕んでいるものだ。演奏の格調の高さを保ち、センチメンタルなだけの印象を聴衆に与えないよう、演奏者は心しなければならない。とは言うものの、喩えるならば、美味なるミルクチョコレートの誘いのようなラフマニノフの甘美で切なく、憧れに充ちたメロディーに対して、ルーセルのそれは滑らかではあるが、カカオ85%のビターチョコレート、或いは辛口のキリッとしたフランスの白ワインのような、甘ったるさとは無縁の独特な趣を持つ。(余談だが、個人的には、リハーサルの合間に元気を回復させるために摂るチョコレートはカカオ75%ぐらいのものが自分には丁度よい感じと結論づけているし、フランスの白ワインでは少し生臭い感じのあるミュスカデも好みである)
 さて次に、この二人の作曲家の精神風土の違いの面に目を向けてみよう。私見ではルーセルは心身共に非常に健全な人間であったように思える。  その音楽・音符の持つエネルギーに満ちた表現意欲は健康そのものの人間にしか書けない音楽であろう。私には彼の音楽は大変によく理解できる。(実は私もオーケストラから「いつも元気でエネルギッシュですね!」と言われており、最近は“ターミネーター小松”というニックネームを頂いているのです?!)  聴いている人に元気を与える音楽という意味ではベートーヴェンに匹敵するかもしれない。そしてその中にフランス人らしいエスプリが点滅する。  「剛毅の中に遊び心」-これがルーセルの本質だろう。
 一方ラフマニノフは基本がスラヴである故、根本的な性格はメランコリー(哀愁)であり、その上に交響曲第1番の不評から精神障害を起こし、医者の暗示によってようやく立ち直り、有名なピアノ協奏曲第2番(1901年)やこの交響曲第2番を作曲したという経歴を持つのがルーセルと対照的であり、見逃してはならない点である。しかしロシアシンフォニズムの流れを受けつぎ、それまでのどの交響曲よりも“悠久の流れ”を感じさせるこの曲の特質は特筆に価するものであり、小刻みに時間に管理される現代人に人気が高いというのも、音楽というものの持つ“癒し”の効果を考えると納得がいく。
 以上、今回は対照的な性格を持つ名交響曲をお楽しみいただければ幸いです。  本日も私は入魂・渾身の指揮を念じて指揮台に登りたいと存じます。ありがとうございました。
2007.4.30


第197回演奏会(2007.4)パンフレットより

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