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新響のおカネの話などなど(後編)

小出 高明(ヴァイオリン)

(編集人より)
前号に引き続き小出さんの、運営委員長時代のエピソードの数々を収めた後編をお送り致します。知られざる新響の「裏面史」ともいえる内容です。前編についてはhttp://www.shinkyo.com/concert/i257-1.html
からお読み戴けます。


■第三章「帰国後の新響」
 5年の時間が経過、芥川さんも亡くなり、新しい=若い魅力的な団員も増え(自分が年取った)雰囲気が随分変わり、でも再び新響で音楽できる喜びにあふれ、ちゃんと楽器がそろってチューニングがある!うれしさありましたね。
 再入団当時(1996年)、創立40周年で、邦人作品2夜連続の演目!おお、これぞ新響だ!その演奏会で一応エキストラでの出演依頼をいただいていたのですが、「どうせ再入団するのだから(勝手に決めるな)さっさとオーディションを受けろ」、となりまして。メンバーはそれなりに変わっていましたが、オーディションで審査する人(首席奏者群)はほとんど変わっていなくて、皆怖い顔していた=なまじその人たちを知っていたので何を言うかよくわかり、余計足が震えて、おまけにその日、オーディションの前に邦人作品のパート練習があって、それ終わってすぐ、「ではMozartの第5番をよろしく!」。いろいろご意見はあったようでしたが、でもまあ何とか再入団できて今日に至っております。「おかえりなさい」といってくださったPercussionのN氏(元団員)に感謝です。再入団してほどなくして財務を拝命しまして、その後2001年度~2002年度にかけて、時代の変遷とともに新響もいろいろと変わり、ちょうど節目だったのでしょうか、自身が運営委員長に就任し、新しい指揮者や懐かしい指揮者との出会いもあり、充実した委員長時代(話せば一か月ぐらいかかるよね、当時演奏委員長を務めていた松下さん!)を過ごすことができました。
 いくつかのエピソードをご紹介致したく。


1. 故小松一彦先生:先生ご自身、「僕の毒気に充てられないように」なんておっしゃるぐらい個性強烈でした。小松先生の若かりし頃の指揮を2度拝聴していたことも何とも言えないご縁を感じました。エピソードとしては、
①三連発大好き:ローマ三連発企画(レスピーギのローマシリーズ)、オケコン三連発(オーケストラ・コンチェルト、いちばん有名なのはバルトークですが、それを除いた三曲)、等。
②こういう企画書がFaxで会社に届く、しかも数十ページ。
③当時の携帯電話は電波が悪く通じない圏外も多かったのに、圏外表示になっている私の携帯に小松先生だけ着信がある(通称亜空間通信)。電話口では「指揮者の小松です」と、アダージェットで低音の神の声が:暗闇でしか聞こえぬ声がある…。


2. 高関先生との再共演:バルトークの『中国の不思議な役人』全曲でしょうか。この曲はとにかく演奏が難しく、でもやりがいが大変あった曲を先生のタクトで演奏できたのは大変幸せでした。その後も幾度となく共演できたのはとてもいい経験になりました。


3. 最後に登場するは、最近の国際情勢もあるので少々出すのに気が引けるのですが、その某国のピアニストVO氏を招聘、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏した時のこと。VO氏招聘を指揮者の紹介で話が進み、VO氏も一度練習に来られ、そのすごさに団員一同感動。これはすごい演奏会になるぞ!と思っていたら、「前日にイタリアでコンサートがあり、その日の朝に東京に着ければ演奏会に出演できる。何とかできないか。」なんて話が舞い込みまして、指揮者は怒り心頭。運営サイドは、チラシは印刷しちゃっているし今更演目変えられないし、ソリスト変更といってもそう話は簡単ではないという感じで、某国サイドとの交渉、国内仲介者の某大学事務局と無駄になった費用負担の交渉等取り進め、指揮者のご尽力もあり、最終的に同じ某国のAP氏が来てくださることに。AP氏、めっちゃくちゃかっこよくてイケメン、お嬢様もいらしてとにかくかわいい~なんて話もあり、当時の新響女性団員も写真撮ったりと、大騒ぎ。肝心の演奏も、きらびやかかつ華麗で、万雷の拍手で演奏会は大成功。打ち上げで盛り上がり、当方は委員長の責務として、当時の団長とともにAP氏をホテルに送り届けましたが、そこにはイケメン日本人男子が数名待っていた。AP 氏はQueenのVocal故フレディ・マーキュリーと同じ(個人的見解)で、自由な愛の表現者であったことが判明。私自身の実体験(ちょっとした身体的接触)として鮮烈に記憶に残っております。
 ちなみに同行していた団長は、そばで傍観しギャハハと笑ってスルー、私は痕跡を消しつつ自宅に帰りWifeに話したら大爆笑され。どうも打ち上げの場でもその傾向はあったらしいと、ほかの男性団員からは後日聞いております。新響はユニークな人々の集団ではありますが、この経験は二度とごめんこうむります。委員長時代は2年間でしたが、この通り濃密な、多様性に富んだ経験ができました。


 18歳以降、オケとともに人生があり、その大半を新響とともに過ごし、オケと新響なくして自身の音楽人生はないです。これだけ多様な音楽に出会い、指揮者や指導者に出会い、肝を冷やした演奏から喜びいっぱいの演奏、たくさん経験できました。
 この後どれだけ新響で続けられるかわかりませんが、そろそろおカネから解放されて、純粋に音楽を楽しみたいですが、悲しい財務の性、おカネのことはこれからもかかわっていくのだろうな、と思います。
 最後まで駄文をお読みいただき、感謝です。維持会員の皆様、今後とも新響をよろしくお願いいたします。

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