HOME | E-MAIL | ENGLISH

新任首席奏者に聞く-その2

吉田 仁美(フルート)

(メールでの首席事務連絡時の雑談)
・吉田 「外呑みができなくなって、1日3時間ぐらい笛吹いているのではないですか?」
・松下さん「笛の練習時間はいざ知らず、呑む事で浪費していたお金が貯まって困惑しています。近々ゴッホかルノワールの絵の1枚くらい買おうかと考えております(笑)」
・吉田 「そのうち笛が3本ぐらい増えているでしょうね(笑)」
・松下さん「そんなことより、維持会ニュースの新シリーズ『新任首席奏者に聞く』の第2弾として原稿執筆をお願い致したく」
・吉田 「馬刺しのご褒美がないとモチベーションが上がりません」
・松下さん「何頭分でもご馳走しますから…」

…というわけで、コロナ明けの馬刺し(+酒)を励みに、思いつくがままに筆を進めてみる。

◆年齢・性別と表現に関するちょっとした考察
それは
男性の中の女性の
あるいは
女性の中の少年の
あるいは
少年の中の老人の
喜びか?
小沢健二『薫る(労働と学業)』より


<表現と年齢について~年をとると若返る?>
 長年フルートパートの首席奏者をお務めの松下さんに対して、生意気にも普段から上記のようにずけずけものを言ってしまっているが、私より20歳以上年上の大先輩である。博識で笛の音も神々しく、「このお方は仙人なのでは」と思ってしまうが、気力は明らかに自分より若い。新響ではこのような年齢不詳の方々に囲まれて、「年をとるって何だろう」と考えることがある。
 指揮者の先生方は特に年齢を超越している。ある分奏の際、トレーナーのF先生に「飯守先生はいつももっとゆっくりですか?」と尋ねられ、団員から「ここはもう少し速いです」と答えたところ、F先生は「うーむ、若返っちゃったかな…」と呟かれた。飯守先生に限らず、特に本番中は、私には指揮者の先生方が、少年が嬉々として遊んでいるように見える瞬間がある。作曲家もしかり。ライネッケのフルート協奏曲の瑞々しさ!とても84歳で書いたとは思えない。
 私自身は30代後半になるが、上手に歳を取れなくて困っている。もちろん外見や体力の話ではない。このぐらいの歳になれば、ものわかりがよくなり、欲も少なくなり、自己主張も消えるものかと思っていたが、その気配がない。でもそれはきっと私だけではなく、他の団員だって楽器を手に遊んでいる大きな子供のようなものである。
日本では「誰々何歳がどうした」というニュースを聞かない日はなく、何かにつけ年齢を意識せざるを得ないため、無難に年相応の仮面を被って生きることになる。ところが、表現者になったとたん、その仮面が剥がれるようだ。技術や体力は衰えるが、音の艶やテンポ等は、実際の歳とは必ずしも比例しないように感じる。自分の倍以上の歳の団員に遠慮を忘れるのも、一緒に演奏していると年齢の差を感じないからかもしれない。
 新響に入りたての20代前半の頃は、大の大人が、子供が遊ぶように一生懸命演奏活動に取り組むのを不思議に思っていたが、今は自分が若い方々にそのように思われているのだろうか。

<表現と性別について ~男の中の女?~>
・Sさん「そのお弁当おいしそう。どこで買ったの?」
・Oさん「でしょ?東武に新しいお店ができて…」
・Aさん「Yさんのお子さん見た?大きくなって。よその子の成長って早いよね」
・Kさん「そういえばこの前職場で…あ!出番だ!行かなきゃ」
・みんな「頑張って!」

 これはコロナ前の本番当日の楽屋風景である。管楽器の女性楽屋はいつも賑やかで、その話題は食べ物、家族、仕事、政治、もちろん音楽と幅広く、天使が通る隙間なんて全くないほど切れ目なく続く。楽屋での会話が演奏会の楽しみのひとつなので、感染予防のため私語を控えなければならない今はとても寂しい。楽屋からフルート教職員組合(フルートの先輩方3名は現役または元教職員なので、こう呼ばれている)のおしゃべりが聞こえなくなる日が来るなんて…。一方、用があって男性楽屋にお邪魔したときには、おにぎりの咀嚼音が聞き取れるほどの静かさに驚いた。
 楽屋の風景は男女でこんなにも違うわけだが、演奏となると、性別が入れ替わるように感じることがある。フルートはその音の特徴から女役を担うことが多いのだが、いつだったか、松下さんの美しいフルートソロを聴いて、とある団員が「美しい娘を思い浮かべて後ろを向いたら、でかい松下が吹いてて調子狂うんだよな…」と呟いていた。女性的なものを表現するのは女性の方が適しているというわけではない、ということを実感した瞬間だった。
数年前に彩の国さいたま芸術劇場で、テロ・サーリネン振付によるダンス『MORPHED』(エサ=ペッカ・サロネンの音楽と、マリメッコのデザイナーによる衣装も素晴らしかった!)を観た。ダンサー8人はすべて男性だったが、男性の強さだけではなく弱さや繊細さが表現され、とても新鮮で納得でき、改めて男らしさ女らしさって何だろうと考えてしまった。
 翻訳家の松岡和子さんは、従来のシェイクスピア作品の翻訳の女言葉に違和感を持ち、新訳に取り組まれていると聞いた。演奏者が翻訳家の役目を担うクラシック音楽においては、曲に対する解釈が演奏の度にアップデートされるとも言えるだろうから、何が正解かわからずとも、固定観念を持たずに柔軟でいたい。

 オーケストラは不思議だ。あらゆる立場や属性が取り払われるだけでなく、ベテラン男性団員の中に秘められた美少女、入団したばかりの若い団員が既に持ってしまった枯れた味わいがまぜこぜになって、とにかく今一緒に演奏している。ただ「音楽が好きだ」という理由だけで集まった多種多様な団員がこれまで奏でた音を記憶する新響という生き物は、今後さらに年をとっていくわけだが、成熟しつつ常に若返りたいし、時代とともにどんどん姿を変えていきたい。首席としてというより、一団員としてそんな風に思っている。

(後日のメール)
・吉田 「ゴッホかルノワールは無事購入できましたか?」
・松下さん「いずれを落札すべきかに未だ思い悩んでいますが、それより先に読譜のための眼鏡を新調しないとまずいことに気が付きました!ガイドとして出てくる他パートの音符と、自分が吹くべき音群との見分けがつかず、混乱を来たしています」
・吉田 「そういえば、維持会ニュースの原稿に御大を登場させてしまいましたが…」
・松下さん「私の事は如何様にもいじって戴いて構いません。原稿を読んでみて、そうだ仙人になってカスミを食べて命永らえられれば、老後資金の心配もする必要も無くなり、理想というべき状態じゃないか!と気づかされた次第です(笑)」

◆音楽的自叙伝
 自分のことより普段の新響の様子をお伝えできればと思い書いてきたが、このような機会もなかなかないので、ファゴットの桃ちゃんに倣って、自分と音楽との関わりについても書いてみようと思う。

<音楽との出会い>
 武満徹にとってのリュシエンヌ・ボワイエ『聞かせてよ愛の言葉を (Parlez-moi d'amour) 』のような、音楽との衝撃の出会いエピソードがあればよいのだが、残念ながら特にない。
 元ピアノ教師の母は、音大生の頃、同級生が楽器を持って構内を歩く姿(特にマリンバ奏者がマレットの束を持ち歩く姿)に憧れていた。また、ピアノは孤独なので子供には合奏できる楽器をやらせたかったらしい。そこでまず兄にバイオリンを習わせてみた。兄はつらそうに毎日同じ曲を練習していた。「そんなに嫌ならバイオリンやめなさい!」「やめない!(泣)」を繰り返しながら思いのほか続いてしまったので、私はバイオリンを免除され(あんなに難しそうな楽器できる気がしない)バレエ教室に通うことに。家で聴く母とその生徒のピアノ、兄のバイオリン、そしてバレエ教室で流れるクラシック音楽が、私の音楽の原点なのだと思う。

<フルートとの出会い>
 小学校3年生の頃、バレエ教室のガラスのドアに激突して膝の靭帯を切断する大けがをして踊れなくなった。ちょうどその頃、近所に新しくフルートの教室ができたので母に「やってみる?」と言われ、何も考えずにコクンと頷いた。その楽器がトランペットでもコクンと頷いていたと思う。大人になってから自分で楽器を選んでいたとしたら、私はどちらかといえば地味で暗い性格なので、華やかなイメージを持たれがちなフルートは選ばなかっただろう。今でも楽器を聞かれる度に俯いて「フ…フ…フルート…」とどもってしまう。もし今楽器を始めるなら、一人でも楽しめるギターがいい。ただ、フルートの他の楽器と比べて持ち運びしやすいところは気に入っている。ピッコロも持たなければならないときは「やれやれ荷物になるな」と思うが、バスクラリネットやコントラファゴットの横では口が裂けても言えない。

<オーケストラとの出会い>
 中学生の頃、佐治薫子音楽監督率いる千葉県少年少女オーケストラが設立され、母に「受けてみる?」と言われてまたコクンと頷いたものの、1度目は不合格、2度目の受験で入団することができた。大勢で演奏するのは初めてで戸惑ったが、入団間もなく芥川也寸志『交響管絃楽のための音楽』を演奏して、「なんだかわからないけどオーケストラって楽しい」と思った(在籍中はこの曲を千葉県各地で数えきれないほど演奏した)。その時の私にとって、芥川もベートーヴェンも「昔の作曲家」だったので、後に芥川先生を直接知る方々と一緒に演奏することになるとは思ってもみなかった。
 同オーケストラでは錚々たる顔ぶれの指揮者やソリストと共演する機会に恵まれたが、西洋音楽だけではなく、冨田勲『新日本紀行』、宮川泰『宇宙戦艦ヤマト』等の邦人作品を作曲家自身の指揮で演奏できたことも、今思えば大変かけがえのない経験だった。新響でも引き続き同時代の日本の作曲家とも一緒に活動できたらと思っている。
 県立千葉高校のオーケストラ部にも所属していたが、新響にはOB・OGが複数おり、先輩後輩とまた一緒に演奏できるはとても嬉しい。因みに、一つ上の代のコンミスが作曲家の小出稚子さん。芥川作曲賞をはじめ受賞歴も華々しいが、オランダ留学後、インドネシアでガムランを学び、独自の方法で楽しい音を生み出し続けている先輩に興味津々で、いつか演奏できないかな…と勝手に夢見ている。

<新響との出会い>
 子どものころのオーケストラ活動は環境に恵まれ充実していたものの、他の世界も見てみたいと思い、大学ではワンダーフォーゲル部に入り山に登ったりしていた。ところがある時ひょんなところで「お前、シンキョ―入れよ」と言われ、「シンキョ―?」と思いながらネット検索して、「この団なら武満徹が演奏できるかも」と思い(学生時代はフランス語を専攻していたが、美術系のゼミに所属し、武満徹について卒論を執筆した)、とりあえずオーディションを受けたところ、ここでも1度目は不合格、2度目の受験で拾ってもらった。入団して10年以上経つが、未だに武満徹は演奏したことがない。

<先生のこと>
 小学4年生から高校生頃までは、近所のヤマハ音楽教室で、音大を卒業したばかりの篠崎美千代先生に習っていた。先生は教則本と並行して、私の飽きっぽい性格に合わせてどんどん色んな曲をやらせてくれた。毎回のレッスンが楽しみで、これまで続けてこられたのは先生のおかげだと思う。
 大学生の頃には、ムラマツ・レッスンセンターで鬼才・木ノ脇道元先生に1年程教えていただいた。先生は無類の映画好きで、私も学生時代はろくに大学に行かず映画ばかり観ていたので、映画の話ばかりしていたような気がするが、孤高のイメージのある先生に「一人でやるのは良くないよ」と言われたのを何となく覚えていて、懲りずにまたオーケストラに入ろうと思ったのかもしれない。因みに、先生の所属するアンサンブル・ノマドには「今度は何をやるのかな」といつもわくわくさせられている。
 社会人1年目で早くもドロップ・アウトして、「留学でもするか」と思い付き、フランスはニースの夏季講習でヴァンサン・リュカとクロード・ルフェーブルの指導を1週間ずつ受けた。結局「留学以前の問題だな」と気づいてすぐに帰国するのだが、他の楽器のレッスンを聴くのも面白かったし、音楽以外にも、南仏の強烈な日差しのなかバカンス気分で遊び歩いたり、様々な国から集まった受講生たちと夜な夜な喋ったりするのも楽しかった。「同期がキャリアを積んでいるときにこんなことしてていいのかな」という後ろめたさを抱えながらふらふらしていた、あの宙に浮いていたような1カ月が懐かしい。
 2年程前からは、武満徹の初演を数多く手がけた小泉浩先生にご指導いただいている。今練習している曲をみていただけたらぐらいに思っていたところ、楽器の鳴らし方からやり直すことになった。先日もマルセル・モイーズ『24の旋律的小練習曲と変奏(初級)』を取り出して、「あなたはこの教則本もやるといいんだけどなあ。初級と書いてあるけど、とんでもない。こんなに難しいものはないんだよ。やるかい?」と言われた。「はい」と言うしかない。まだまだ道のりは長そうだ。

<楽器のこと>
 楽器にこだわりはなく、篠崎先生に薦められたムラマツのADというモデルを長年愛用していたが、その後同じくムラマツのSRを経て、今は小泉先生に選んでいただいた1974年製のパウエル(所謂オールド・パウエル)を使用している。ヘインズ党の小泉先生がパウエルを推すのはかなり珍しいらしい。管が薄く、キーも軽量で、見た目にも優美な楽器でうっとりする。これまでの楽器と比べて音の鳴るポイントが狭く、音程もとりづらく、大きな音が出づらく、当初は大変苦労したが、今はそれも含めて楽しんでいる。

<好きなフルーティスト>
 立派な演奏よりも自然な演奏に憧れる。小泉浩先生の深い音色、木ノ脇道元先生の原始的な音、セバスチャン・ジャコーのリラックスした音、アンナ・ベッソンの心躍るトラヴェルソ、たまたま動画サイトで見つけたマウロ・スカッピーニの歌心溢れるサン=サーンス『ロマンス』、BODY&SOULでのライブを聴いて間もなくの訃報が信じられなかったジャズフルートの巨人ジェレミー・スタイグ、ジャック・ズーン、マチュー・デュフォー、有田正広、もちろんランパル…。今後びっくりするようなフルーティストに出会えることを期待している。

<好きな音楽>
 今取り組んでいる曲に一番の愛情を注いでいるつもりだが、これまで新響で演奏したなかでお気に入りは、ラヴェル『古風なメヌエット』、ウェーベルン『6つの小品』。宝物のような小品に出会うことができるのも、新響ならではだと思う。このところ演奏機会の多い土の匂いのする東欧の曲も好き。ロマン派には苦手意識があったが、つい先日ラジオから唐突にマーラーの『大地の歌』が流れてきてなぜか感動してしまった。苦手な曲もいつコロっと好きになるかわからない。具体的な物語のある曲は、未だにどうしても恥ずかしくて入り込めず上手に吹けない。
 普段は時代やジャンルを問わず何でも聴く。すごいと思うのは大貫妙子、小沢健二、ボブ・ディラン。最近はBUCK-TICKにはまり、藤井風にびっくりした。よく聴くラジオは細野晴臣「Daisy Holiday!」、「Barakan Beat」、「空気階段の踊り場」(お笑いだが選曲も楽しみ)、「France Musique」。土曜の朝寝の後、大貫妙子『SUNSHOWER』を聴きながら洗濯物を干している時間が幸せ。

<音楽以外で好きなもの>
 運動不足解消を兼ね、10年程前からバレエのレッスンを再開した。今習っているのはクラシックだが、観るのはモダンやコンテンポラリーも好きで、印象に残っているのはデヴィッド・ビントレー『ペンギン・カフェ』、ローザス『Hoppla!』、フィリップ・ドゥクフレ『PANORAMA』。映画も大好きで、好きな俳優はイザベル・ユペール、アデル・エネル、フローレンス・ピュー。最近印象に残った映画はコゴナダ監督『コロンバス』、ダミアン・マニヴェル監督『イサドラの子どもたち』。因みに、この原稿の締切日はデイヴィッド・バーン×スパイク・リー『アメリカン・ユートピア』の公開日!

◆維持会の皆様へ
 私はかつて、人前で決まった時間にかしこまって演奏するのが何だか気恥ずかしくて、誰に聴かせるでもなく演奏している方が、もっと言えばむしろ演奏しない方が、純粋な音楽になるのでは、と思うこともありました。しかしながら、今回のコロナ禍においても無観客はどうしても考えられませんでした。当たり前ですが、聴いてくださる方々がいなければ、新響は存在しないも同然です。その場でお客様と素晴らしい音楽を分かち合うのが最大の喜びだと再認識しました。制限つきの練習をせざるを得ずもどかしくもありますが、皆様の応援が大変励みになっています。いつもご支援いただきありがとうございます。私たちの演奏が少しでも気晴らしになっていましたら、それ以上の幸せはありません。

このぺージのトップへ