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第247回演奏会に向けて

品田 博之(クラリネット)

 10月のコンサートはドヴォルザークの交響詩5曲という驚きのプログラム。チェコだってこんなプログラムはなかなかやらないでしょう。めったに演奏されない曲を一気に聴ける千載一遇のチャンスです。とはいえ知名度の低い曲、興味を持てないとなかなか足が向かないかもしれません。この記事は、これらの曲について好き勝手に書き散らかして少しでも興味を持っていただこうという趣旨です。ですからドヴォルザークに関する知識が豊富な方は笑いながら読み飛ばしてください。

1.ドヴォルザークの知られざる作品たち
 ドヴォルザークの曲でよく知っている曲は?と問われれば、多くの方は、スラブ舞曲、『新世界より』、チェロ協奏曲、弦楽四重奏曲『アメリカ』、『ユーモレスク』と答えるのではないでしょうか。そのほか交響曲第8番、7番、6番やいくつかの円熟してからの室内楽曲や序曲くらいは知られていますが、若い頃の曲はあまり聴かれません。ドヴォルザークがブラームスに出会ってスラブ舞曲の作曲を勧められる以前はワーグナーの影響を露骨に受けていて、交響曲第1番、2番などはいずれもブルックナーかと思うような1時間ほどの物々しい曲を書いていたのです。また、交響曲第3番、4番、5番は、演奏時間は並みですがローエングリンやタンホイザーにそっくりなフレーズが顔を出したりして思わずニヤリとしてしまいます。第4番の二楽章冒頭を聴くと、一瞬タンホイザー序曲が始まったのかとびっくりします。そう、実は彼はブルックナーに負けないくらいのワグネリアンだったのです。とはいえ、それらは十分に聴き応えがある佳曲です。ぜひ聴いてみてください。

URL1.交響曲第4番第二楽章https://youtu.be/DaXP_-gnV8I?t=767

 さて、ドヴォルザークのオペラとなると知っている方はもっと減るでしょう。私は10年以上前になりますが、ドヴォルザークのオペラ『ルサルカ』の中のアリアが収録されたCDでそれを知り、その美しさに感激しました。

URL2.「ルサルカ」より月に寄せる歌https://www.youtube.com/watch?v=YSLMRtUi_dI


 この『ルサルカ』、1900年の作曲で『新世界より』やチェロ協奏曲の後の曲、つまり最晩年の作ということになります。アメリカから祖国チェコに戻ったドヴォルザークの作品について何も知らなったことに気が付いて調べたところ、交響詩を5曲、オペラを4曲も作曲していたのです。あの『新世界より』とチェロ協奏曲の後に作曲したのなら聴き応えがある完成度の高い曲に違いない、と期待に胸を膨らませて早速CDを購入し、まず一曲目の『ヴォドニク(水の精)』を聴きました。いきなり親しみやすいメロディーで木管が大活躍、さすがドヴォルザーク、あまり知られていないのはどうしてだろう、といぶかりながら聴き進めるうちに、まるで森で迷ったように堂々巡りをしている気分に。ここはさっき聴いたメロディーだけど?まだやっているの?みたいな感じでなかなか終わらないのです。“高い完成度・巨匠の円熟”?そんなものは無関係といった印象です。2曲目の『真昼の魔女』。これもすぐに鼻歌で歌えるメロディーで始まり、ご機嫌。途中怖い雰囲気になり、ここで魔女が出てきたのかな、なんて楽しく聴くうちにこの曲はちょうどよい長さで終了しました。でもこれも“大作曲家晩年の円熟の境地”とは遠い印象を受けました。3曲目『金の紡ぎ車』。またもや口ずさめるメロディーが次から次へと出てくるのですが、なんだかとりとめがない。それに、無意味な繰り返しがあるように感じる。なが~い。どうしたドヴォルザーク(笑)!4曲目『野鳩』、これはそれなりに有名な曲だけあって聴きごたえ抜群。同じことを繰り返しすぎのようなところもあるけれど、それも効果的。終結部はリヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』の終曲みたいな寂寥感が素晴らしいと感じました。そして、最後の『英雄の歌』。タイトルに英雄とあるだけあってカッコよく勇ましい部分もあるけれど、前半は悲劇の英雄といった趣の哀愁漂うメロディーが次から次へと出てくる。ドヴォルザークだなあ~という印象でした。これら5曲を聴いての感想は、クラシック音楽史上の最高峰ともいえる名曲『新世界より』やチェロ協奏曲を書いた後の大作曲家晩年の作として完成度や円熟といったものを期待すると裏切られるけれど、気になって仕方がない愛すべき曲たちといった印象でした。ちなみに、ドヴォルザークの主要な曲の作曲年を同時代の主要作曲家と並べて書くと以下のようになります。ドヴォルザークやチャイコフスキーが、マーラーやリヒャルト・シュトラウスの作品とほぼ同時期に作曲されていたことはちょっと驚きです。また、1888年は『ドン・ファン』、マーラー1番、チャイコフスキーの5番、1893年は新世界と悲愴が作曲されたクラシック音楽にとってとんでもない“特異年”だったことに気が付きます。さて、今回取り上げる5曲の交響詩は、マーラーの交響曲第2番『復活』とリヒャルト・シュトラウス『英雄の生涯』に挟まれた年に作曲されています。牧歌的なこれらの曲が新しい音楽の幕を開ける刺激的な曲とほぼ同じ時期に作曲されたということは少々不思議な気持ちになります。

ドヴォルザークとその周辺の名曲年表
:下線はドヴォルザークの曲 【 】内は重要な出来事
1873 交響曲第3番
1874 交響曲第4番、ワーグナー「神々の黄昏」、ブルックナー交響曲第4番第一稿
1876 ピアノ協奏曲、ブラームス交響曲第1番
1877 【ブラームスの目にとまる】
1878 【ブラームス宅を訪問】 スラブ舞曲第一集
1880 交響曲第6番、ヴァイオリン協奏曲
1882 ワーグナー「パルシファル」
1884 交響曲第7番
1885 ブラームス交響曲第4番
1887 ピアノ五重奏曲第2番
1888 R・シュトラウス 「ドン・ファン」、マーラー交響曲第1番、チャイコフスキー交響曲第5番
1889 交響曲第8番
1890 ブルックナー交響曲第8番第二稿
1891 序曲「謝肉祭」、ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」
1892 【アメリカに渡る】
1893 交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲「アメリカ」、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」
1894 マーラー交響曲第2番、ブラームスクラリネットソナタ
1895 チェロ協奏曲、【チェコに帰国】
1896 交響詩「ヴォドニク(水の精)」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」「野鳩」、【ブラームス体調不良】
1897 交響詩「英雄の歌」、【ブラームス死去】
1898 リヒャルト・シュトラウス 「英雄の生涯」
1900 歌劇「ルサルカ」、マーラー交響曲第4番
1904 【ドヴォルザーク死去】
1905 リヒャルト・シュトラウス 「サロメ」

2.ブラームスとドヴォルザーク
 ドヴォルザークは1877年にブラームスに認められて多くの支援を受けます。ドヴォルザークが作曲家として食べていけるようになったのもブラームスのおかげといってよいでしょう。大当たりしたスラブ舞曲の作曲を勧めたのもブラームスです。そして、その後ドヴォルザークの作品からワーグナー臭さが急に抜けます。交響曲第6番はブラームスの第2番との共通性が指摘されていますし、交響曲第7番もブラームスの第3番と共通するものがあるといわれています。ブラームス的な堅固で無駄のない構成の絶対音楽を書くようになります。そんなドヴォルザークがアメリカから帰国後なぜ交響詩のような標題音楽に転向し、よく言えば牧歌的で郷愁を誘う、わるく言えばぴりっとしない曲を連作することになったのか。私はこう考えたのです(注意:以下は単なる妄想であって確たる証拠はありません。)。すなわち、「交響曲第6番からチェロ協奏曲までの絶対音楽の傑作群はブラームスが添削したに違いない! 少なくともかなりのアドバイスは受けたのだろう」 と。ドヴォルザークはワグネリアンだったのだけれど、ブラームスに引き立てられて出世しました。“良い人”ドヴォルザークはそんな恩人に逆らうことはできないし、ブラームスの作品も素晴らしいし尊敬している。自分には絶対音楽における構成力が不足しているからアドバイスをもらうに越したことはない、と考えたのは自然ではないでしょうか。そこで、作品を書いてはブラームスに送って添削してもらっていたのではないか!と考えたわけです。そんなわけでブラームスに出会ってからは得意の魅惑的なメロディーを効率よく使用しつつ、ブラームス的な無駄のない堅固な構成の作品が発表できたのではないかと。その状況証拠としてブラームスの有名な発言があります。「彼(ドヴォルザーク)の屑籠をあされば、交響曲が一曲書けるだろう」。つまり、没にした(=屑籠に捨てた)ドヴォルザークのメロディーをブラームスは知っていたということになりませんか(こじつけ(笑))?
 ところが、ドヴォルザークがチェロ協奏曲を書いてアメリカから祖国チェコに帰ったあと、ブラームスは体調を崩します。ちょうどそのころ作曲したのが今回演奏する最初の四つの交響詩なのです。ブラームスはもう添削してくれない。完全に独力で作曲することになったドヴォルザークは若いころからのワグネリアンの本領を隠さず発揮、まるでワーグナーの示導動機のような手法を使いながらもあふれ出るメロディーを詰め込んで、チェコの民話に基づく標題音楽(交響詩)を作曲したのでした。もはや交響曲のような堅固な構成などは考えもしなかったのではないでしょうか。ついにドヴォルザークは、ブラームスの呪縛と絶対音楽の呪縛から解き放たれ、再び自分の言葉だけで“饒舌”に語るようになったのです。

3.五つの交響詩から受ける印象
 最後に、今回演奏する5曲の交響詩から受ける印象を書いてこの与太話を終わろうと思います。最初の4曲「ヴォドニク(水の精)」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」「野鳩」はチェコの民話を集めた詩集にある “コワーい”お話に沿って作曲されています。それぞれのストーリーはプログラムの解説に譲りますが、日本の昔ばなしでもグリム童話でもオリジナルはとても怖くて残酷ですね。それらと同じような感じです。妖怪や魔法使いも出てきます。まさにチェコ版の「日本昔ばなし」や「水木しげるの妖怪譚」といった趣です。音楽はそのお話をかなり忠実に追っていくのですが、おどろおどろしいメロディーは少なくて、前述のように鼻歌で歌いたくなるような親しみやすいものがたくさんです。この辺りが、怖いけれど愛すべき、水木しげるの妖怪を私に連想させてしまう理由かもしれません。また、「金の紡ぎ車」など繰り返しが多いということを書きましたが、お話のほうで同じようなことを3回繰り返すことになっている箇所ではそれを忠実になぞって同じ楽節を3回繰り返したりしているのです。律儀ですね。これがもしバレエ音楽だったら舞台上で3回繰り返すわけですからおそらく違和感はないのです。ですからできるだけストーリーに沿って場面を頭の中に描きながらお聴きになることをお勧めします。ここに簡単なストーリーが載っているサイトのURLをあげておきます。

URL 3 交響詩の解説とストーリー(大阪交響楽団HP)http://sym.jp/publics/index/269/detail=1/c_id=661/page661=2

 最後の5曲目「英雄の歌」。この曲に具体的なストーリーはありません。ドヴォルザークは、自己の芸術の遍歴を表現しているというようなことを書き残してはいるのですが、実はブラームスのことを表しているのだという解釈もあるようです。また彼は、曲のタイトルであるチェコ語を他の言語に正しく訳すことは困難だ とも言っています。ちなみにこの曲のチェコ語タイトル“PÍSEŇ BOHATÝRSKÁ” をインターネットで訳すと “リッチソング、金持ちの歌、裕福の歌” なんて訳されてしまいます。ところで「英雄の・・・」といえばリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」が思い浮かびます。シュトラウスの曲は、成功した超エリート英雄の自慢話、一方ドヴォルザークのほうは、憂いに満ちた祖国の英雄物語といった印象です。欧州の中央で歴史に翻弄されてきたチェコに対する祖国愛というものを強く感じます。まるで、祖国フィンランドをたたえるシベリウスのフィンランディアに相当するような気もします。でもそこは優しいドヴォルザーク、それほどは勇ましくありませんが。この曲はドヴォルザークの最後の器楽曲で、そして一度聴いたら忘れられないメロディーが溢れた傑作といえましょう。これまであまり演奏されることがなかったのが不思議なくらいの名曲だと思います。
 最後までお読みいただきありがとうございました。それでは10月13日演奏会場でお待ちしております。

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