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オーボエ吹きの四方山話

堀内 俊宏(オーボエ)

<はじめに>
 維持会のみなさま、オーボエの堀内です。いつも温かいご支援をありがとうございます。今回は維持会ニュースのご担当でもあり、オーケストラの中ではオーボエとは一蓮托生でありますフルートの松下さんより、何かオーボエにまつわることほか何でも良いので執筆を、とのご依頼(ご下命?)を頂戴しまして、不慣れなことこの上ないのですが、しばしお付き合いいただけましたら幸いです。

◆オーボエとは
 みなさまは「オーボエ」と言いますと、まず思い浮かべるのは、コンサートで演奏が始まる前の音合わせ(チューニング)という方が多いかと思います。あるいはオーケストラの中では旋律を受け持つことが多い、はたまた、某国営放送のテレビなどで時折アップになりますとフルートやクラリネットが涼しげに演奏している横でオーボエだけが顔を真っ赤にして必死にくらいついていたり、何となく楽器の先端を見ては小首を傾げて気難しい顔をしているなぁ、といった印象をお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。その全てがその通りでして、オーボエはホルンとともに世界で一番難しい楽器としてギネスブックに認定されているほど(どういう基準で選ばれたのかは謎なのですが・・・)、本当に難しく、しかも手間のかかる楽器なのです。
 オーボエの魅力は何といってもあの音色です。印象的なフレーズを受け持つことも多いのですが、意外にも演奏で一般的に使われる音域は2オクターブ半程度でして、他の木管楽器(フルートが約3オクターブ、クラリネットは4オクターブ弱、ファゴットは約3オクターブ半)と比べても音域は限られています。また、楽器のメカニック(指を押さえる仕組み)も非常に複雑で運指もあまり合理的とは言えないうえに、とにかく狂いやすく(1つのネジが16分の1回転でもするともう音が出なくなり、そういうネジがざっと数えても20個以上ついています)、しかも吹くには楽器の先端にリードという2枚の葦を重ねたパーツをつけ、そこから息を吹き込んで演奏しないといけません。息を入れるところ(リード)の内径は細いところで3ミリ弱しかなく、極細のストローに常に息を吹き込んでいるのを想像するとお分かりいただけると思いますが、吹いているときは血圧も間違えなく上がっています。高血圧だと命がけです。したがいまして、フルートやクラリネットがたやすく演奏してしまうような指回りの速い曲は得意ではありませんし、口にも相当な負荷がかかり続けています。また、クラリネットのような小さな音を出すことも得意ではありません。どうしてこういう楽器を選んでしまったんだろう、と思うことが今でも年に4回くらいあります(演奏会の度⁉)。

◆標準的なオーボエ人とは?
 こんな楽器を(不幸にも)選んでしまったオーボエ人にはどんな人が多いのか。良い音楽をやるためには一緒にやるメンバーの人間性を理解しておくことが非常に大切でして、これはオーボエに限ったことではないのですが、標準的なオーボエ人は、比較的真面目で常識的な人が多いです(自分で言うな‼と野次が聞こえてきそうですが・・・・・)。あと、こういう楽器を扱うには繊細、かつ神経質にならざるをえず(時々情緒不安定)、また、苦しいことにも耐えて喜びに変えられるような我慢強さや意志の強さも必要ですし、凝り性で頑固、他にも自己顕示欲が異様に強い人が稀に混じっているのも特徴でしょうか。指揮への憧れも強く、アマチュアで指揮をするオーボエ吹きにも割とよく遭遇します(かく言う私も学生指揮者をやっていました。今思うと恐ろしい話です)。プロの方でも、オーボエを吹きながら、或いはオーボエは潔くやめてしまい、指揮者に転身する人も少なからずいます。

◆オーボエ奏者の悩み
 これは本当に沢山あるのですが、何かひとつと言われれば迷わず「リード」と答えます。オーボエを演奏する際に口で咥える部分でして、今では楽器屋さんで色々な種類のリードが売られていますが、それでも良いものは限られますし、全国のアマチュアオーボエ奏者(推定3,000人・・・・・本当か?)で奪い合いになります。そういった中、今日はマエストロとの合奏なのにリードがない、といった日には、練習場への足取りは確実に重くなります。ということで、やむなく自分で作ることになるわけです。

◆オーボエのリードができるまで
 オーボエのリードは、実際に口にくわえる葦の部分とそれを巻きつけるチューブとに分かれます。
 工程ですが、直径が1センチ程の葦をまずは3つに割り、長さを揃えた後にカンナのような機械で0.6ミリ弱まで薄くします(この工程も個人的には興味があるのですが、機械を揃えるのに数十万円かかり、また技術を習得する時間や作業時間も相応に必要なため、私はこの工程まで終わった材料を購入して、その先を自分でやっています)。
 この段階ではかまぼこのような形をしていますが、次にこれをヘルトナーゲルという機械にかけて舟のような形にしていきます。実はこの形状も100種類以上ありまして、その中から自分の好みの型を見つけていくのが骨の折れる作業なのですが、知らないオーボエ吹き同士でも、何番の型を使っているの?・・・・・といった会話で盛り上がれるのもオーボエならではです。
 ここまできますと、次はいよいよ材料をチューブに巻きつけます。材料の両端を少し削り水に浸したものを少しずつ糸でチューブに巻いていくのですが、ここが最も神経を使うところでして、材料にごく僅かにヒビが入ったり、目に見えないくらいの隙間ができたり、少しでも傾いたりするともう使えません。特にヒビが入ると微かに「ピキッ」という、いやーな音が聞こえて手にもその感触が伝わり、何とも言い難い絶望感に襲われます。一方、ここが上手くいくと、まだ先があることをすっかり忘れて相当テンションがあがってきます。意外と単純です。
 いよいよ次は削りです。削りも完全に手作業でやる方もいるのですが、それでは時間もかかるし量も確保できないので、ここではメイキングマシンという機械を使います。これは型をなぞってカンナがけをするもので、理屈上はこの機械にかけるとードができあがります。ということで、この機械もそこそこ良い値段で売られています。私はドイツ製のものを使っていますが機械のつくりは意外にも大雑把、ただ、やることはとにかく繊細で、削る厚さも根元が0.5ミリ強、先端や両端に向けて少しずつ薄くなっていき、先端の両端は0.1ミリを僅かに下回る程度に仕上げていくので、途中で欠けたり、あるいは、あともう少しのところでヒビが入って廃棄になることもあります。ですので、私はほんの少し厚めに削って最後は手作業で仕上げていきます。メイドインジャパンの精巧な機械を誰か開発してほしいものです。
 さて、ここまできてようやく楽器にリードをつけて音色や反応を確かめるのですが、相手は自然のもので繊維の太さや密度も1本1本違うため、10本同じように作っても吹き心地は1本1本違い、演奏会の本番で使える物はその中で1〜2本程度だったりします(最悪全滅の時も)。しかも寿命は長くても数カ月、ものによっては1回で見切ってしまうこともあるので、暇さえあればリードをいじっている感じです。こういう状況が恒常的に続くので、楽器を準備して直ぐに練習に取りかかれる楽器は本当に羨ましく思います。
 それならリードが完成すれば一安心か、というと残念ながらそうでもなく、実は気温や湿度の変化にも影響を受けます。日本にはご承知の通り四季があり、特に冬場は乾燥します。リードは水分を含んでいないと音が出ないので、1月の演奏会はとても神経質になります。水入れを携帯してリードを抜いて水を含ませながら演奏することもよくあります。ただ休みが少ないとそうもできないので、霧吹きを舞台に持ち込んでシュッと吹きかければ良いのでは、と思いつき、我ながら流石‼と甚だしい勘違いをしたまま今年1月の演奏会(火の鳥)で実行に移したのですが、吹きかけた瞬間、霧はリードではなく自分の顔に吹きかかり、何をやっているんだろうと虚しさに襲われながら、その後必死に気をとり直して吹き続ける、という苦い思い出がまた一つ増えました。今は、オペラ歌手が良くやっているペットボトルにストローを挿してそれを飲めば良い(リードを湿らすのではなく自分の渇きを潤せば良い)のでは、というのが自分なりの答えでして、今度の冬にはそれを実行してみようと思います。
 さて、そうなると梅雨は最高ですね、と言われそうですが、残念ながら梅雨は梅雨で色々と問題が出てきます。というのも湿度が高いと今度はリードが重くなってコントロールが利かなくなるのです。実際には少し薄めにしておくことで凌ぐのですが、そうやってリードを準備しても、たまたま練習の日が快晴だったりするともうお手上げで、オーボエを始めたての人が出すようなビャービャーな音になってしまうので、色々な状況を想定してリードを用意しておくことになります。ついでに、夏場ですと学生時代は志賀高原など高地でよく合宿をしたものですが、都内で吹く場合と高地ではまた状況が違って、高地で良かったリードが都内に戻るとビャービャーで全く使い物にならない、といったことは良くあります。
 こういうことを初めから知っていたら、やっていなかったのかなぁと思うこともありますが、でも、そんなことを含めても意外と楽しいもので、一人リードと向かい合っている時間もニンマリしながら幸せを感じていたりします。ここまでくると、もう立派なオーボエ中毒奏者の出来上がりです。

◆好きな作曲家
 話題はガラッと変わりまして、好きな作曲家をどうしても一人と言われたら、これはもうブラームスですね。交響曲は4曲とも大好きですし、ヴァイオリン協奏曲の第2楽章の冒頭には、ヴァイオリニストも思わず嫉妬してしまうオーボエの美しい旋律が出てきます。理屈抜きで感覚的に身を委ねられる、あの雰囲気は本当に最高です。
 あとはモーツァルトも好きですね。交響曲、オペラは言うに及ばず、個人的にはフルートとハープの協奏曲やクラリネット協奏曲や五重奏曲の緩徐楽章がたまらなく好きです。もれなく泣けます。

◆身構えてしまう作曲家
 好きな方には本当に申し訳ないのですが、(この際どさくさ紛れに)私が身構えてしまう作曲家にも触れておきますと、それはワーグナーとリヒャルト・シュトラウスです。スコア(総譜)を見ますと、野心剥き出しでオーケストラの楽器を駒のように扱い、上から目線でやってみろ!と半端ない威圧感で言われている気がして、演奏するときも聴くときも相当身構えてしまいます。やればやったで音楽のうねり巻き込まれて、最後はもの凄く充実感が得られるのですが、そこまでいくのが大変で、毎回、本番でもリハーサルでもエネルギーを吸い取られる感じがします。ただシュトラウスも晩年に作曲されたオーボエ協奏曲はしなやかで色の変化が本当に美しく、戦争(第二次世界大戦)の影響があったとすれば手放しには喜べないですが、純粋に大好きな曲の中の1つです。

◆新響での失敗談?
 私は1995年に新響に入団して早いもので20年強が過ぎました。入団以来、諸先輩は変わらず大活躍していますし、年齢は平等に1つずつ増えていくので、未だに若造気分が抜けませんが、気づけば「本当に」若い人も増えてきて、私も歳をとったんだなぁ、と当たり前のことを今更ながら感じる毎日です。他愛のない話続きで恐縮ですが、他人の不幸は蜜の味?なんだそうで、私の失敗談をいくつかご紹介します。

・飯守泰次郎先生のリハーサルにて
 飯守先生のリハーサルは緊張の連続で、毎回、容赦ない指示が次から次へと浴びせられます。常に音楽に献身的で、多くの調性からのインスピレーションや、「音程は宇宙からいただくもの」、といった名言も私たちの心に深く刻まれることとなりました。
 『トリスタンとイゾルデ』のリハーサルだったと思いますが、飯守先生いわく「そこの木管楽器が大きい、どうしてそういう音を出すのですか、信じられません・・・(以下続く(結構長いんです))、もう1回!」(演奏する)、「オーボエ、もっと小さく!」 (演奏する)、「まだ大きい」 ・・・と何度か繰り返す中、こちらも必死に音を絞っていくわけですが、ついには音がかすれて出なくなってしまい「しまった」と思った瞬間、飯守先生は「それです‼素晴らしい‼みなさんやればできるんです‼」と満面の笑み。きっと飯守先生の心の中では、素晴らしいオーボエの音が響いていたに違いありません。どんな音がしていたのか、是非とも聴いてみたいものです。

・小松一彦先生のリハーサルにて
 小松先生も非常に独特な世界観をお持ちで、強烈な個性と毒が非常に魅力的なマエストロでありました。リハーサルでも独特な言い回しで音楽を作り上げていくプロセスがとても充実していて、もっと新響を振っていただきたかったと思う指揮者です。
 そんな小松先生との、ドヴォルザークの交響曲第8番第2楽章のリハーサルでのことです。小松先生いわく、この楽章のイメージを一言で言うと「ロマン派のフライ盛り(ゆっくり粘っこく言うのが小松先生スタイル)。そういうつもりでオーボエもソロを吹いてください。」と。私は正直???マークが頭を支配していたのですが、何とか応えようと必死で、ロマン派に衣をつけて揚げるとこってりしたこんな感じかな、と想像力をこれ以上ないくらいに膨らませて演奏。それを聴いた小松先生も頷いて先に進まれたので、まぁ、そういうことだったのかと自分を納得させ、忘れないように私のパート譜にもその旨、書き込んでその日は帰宅したのですが、後日、ヴァイオリンをやっている妻がその書き込みを見つけて大爆笑しているではないですか。妻いわく、小松先生が言ったのは「ロマン派の暗い森」。私は間違えなく「フライ盛り」と聞いて、自分なりにイメージを膨らませて演奏して小松先生も頷いたのに、その想いをどうしてくれる‼、とその時は正直思いましたが、今にして思うと「暗い森」が正しかったのかなぁ、という気がしています。

・演奏会当日、楽器がない‼
 2011年7月の演奏会はすみだトリフォニーホールでの演奏会で、その日はハイドンの交響曲第101番の時計が出番でした。当日、2歳目前の娘を抱っこヒモで抱え、着替えやオムツ、ごはんやおもちゃなどをコロコロ鞄に詰めて引きながら、リュックにオーボエやリード、譜面など一式を入れて、錦糸町駅からホールに向かっている筈でした。しかし、ホールの前に来た時に楽器一式が入ったリュックがないことに気づき、妻が持っているかと尋ねたものの持っていない、と。これは大変‼と子供と荷物は託して錦糸町駅に戻り捜索願。駅員さんも「出てこないかも知れませんね、まぁ今日は無理でしょう」と何とも冷たい反応。今日は演奏会なのに。その後しばらくして千葉駅にリュックの忘れ物があるらしいとの情報に、すがる思いでたまたま来た特急電車に飛び乗り千葉駅では猛ダッシュ。駅員室に着くと、そこには私のリュックがあるではないですか。急いで受け取り反対の電車に飛び乗り、何とかホールの舞台袖にたどり着いたのが、時計のリハーサルがちょうど始まり第1楽章の序奏がホールに鳴り響いているところでした。嬉しいやら気まずいやら恥ずかしいやら、複雑な思いでリハーサルに合流して何とか演奏会本番も自分の楽器とリードで務めることができました。その日の本番のことはあまり思い出せないのですが、その前の出来事は今でも鮮明に残っています。娘を忘れなくて良かったね、と多くの方から慰めてもらい、もうやるまいと固く決意をしたのですが・・・・・。

・あれ、また楽器がない?
これは今年の2月のことですが、『こうもり』序曲と『人魚姫』の初回のリハーサルに行く途中、電車の乗り換えで娘に気を取られて、またまた楽器を電車に忘れてしまいました。前回はオーボエだけでしたが、今回はオーボエとコールアングレ(イングリッシュホルン)が入ったケースでしたので、前回以上に気づいた瞬間には頭が真っ白になりました。こちらもすぐに捜索願を出し、奇跡的に先の駅で見つけてもらい、2本とも無事戻ってきました。めでたし、めでたし。3度目がないよう、気をつけます。反省。

◆オーボエ族の仲間
 オーボエ族としてオーケストラで使われるのは、オーボエと、ドヴォルザークの交響曲第9番の第2楽章『家路』で出てくるコールアングレ(イングリッシュホルン)が一般的ですが、この他に、今度の演奏会で取りあげますホルストの『惑星』では、バスオーボエという珍しい楽器が登場します。長さはちょうどオーボエの2倍くらい、ふくよか、かつ独特な音色で、曲中でも非常に効果的に使われています。是非、当日は耳を澄ましてお聴きいただけましたら幸いです。

<終わりに>
 拙い文章に最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
オーボエは本当に手間のかかる楽器で悩みも尽きないのですが、それでもこの楽器が好きですし、週末の度に無意識のうちに身体が新響の練習にむかうのも、オーケストラが、そして一緒に演奏する仲間が好きだからだと思います。更に、演奏会では維持会のみなさまをはじめとするお客さまとも同じ空間で音楽を共有できるわけでして、これは何よりの喜びです。いつまでできるか分かりませんが、これからも仲間とともに大好きな音楽を1つ1つ大切に紡いでいきたいと思います。今後とも末長く、お付き合いいただけましたら幸いです。引き続き、宜しくお願いいたします。

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