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世界一幸福な国デンマーク

大原 久子(ホルン)

 維持会員の皆様こんにちは!運営委員長の大原です。いつも演奏会チラシの裏面に簡単な紹介を書いています。今回のチラシでは「不滅」について書かせていただきましたが、それでも短い文章ではお伝えできないこともありますので、この維持会ニュースでもうちょっと膨らませてご紹介します。

■山下先生とニールセン
 指揮の山下先生と初共演をした10年前、まず演奏したのは「英雄の生涯」でした。実は当初ブラームス4番に決まりかけていたのですが、初めてお会いしていろいろお話をする中で、ライフワークはR.シュトラウスであり、なかでもこの曲への思い入れの強さを感じたのです。
 この時の話の中で出てきたもう一つの名前がデンマークの作曲家ニールセンでした。2回目の共演でニールセンをやろうとなりましたが、山下先生からニールセンをやるのであれば、まずもっともニールセンらしい第2番「四つの気質」からがよいのではとなり、今回満を持して代表曲である第4番「不滅」を取り上げます。
 山下先生のキャリアは1986年「ニコライ・マルコ指揮者コンクール」での優勝から始まりました。ニコライ・マルコはウクライナに生まれ、レニングレードで活躍した後、西側に移住、コペンハーゲンにも暮らしデンマーク放送交響楽団(=デンマーク国立交響楽団)の創立と発展に関わりました。第二次世界大戦勃発後は渡米し指揮法の教師となり、「指揮者と指揮棒」という著書が現在アメリカで利用されている指揮法の手引書の元になっています。そのマルコを称えて1965年から3年に1度デンマークで開催される由緒あるコンクールです。現在は、優勝賞金の他に北欧25ものオーケストラとの共演、デンマーク国立交響楽団首席指揮者の育成指導を受けられる、サポートがつく、ウィーンフィル、ベルリンフィルなど超名門オケの指揮者候補を探すコンペで見てもらえるといった特典がついており、若い才能を育てるという意味合いの強いコンクールのようです。
 山下先生も優勝後北欧各地のオケを指揮し、それがきっかけで1993~98年にヘルシンボリ交響楽団の首席客演指揮者を務め、1998、99年にはマルメ交響楽団の定期公演に出演しました。ヘルシンボリではニールセンの6つの交響曲を毎年1曲ずつ全曲演奏したということです。マルメはスウェーデン第3の都市で最南端のスコーネ県の中心、ヘルシンボリも同じ県でマルメから60kmほどにあります。
 マルメとヘルシンボリは私にはちょっとだけ馴染みのある地名でした。同期の友人がマルメの大学に留学していたからです。北欧は高福祉で知られていますが、予防歯科の最先端でありスウェーデンに留学する日本人の歯科医師は少なくありません。よほど良い所だったらしく、日本であまり知られてない頃からIKEAのファンであり、今でも時々ザリガニパーティ(スウェーデンの夏の風物詩)をしているようです。IKEAは言わずと知れた世界的家具店ですが、その本社機能があるのがヘルシンボリです。
 スコーネ地方は1658年までデンマーク領であり、地理的にも近いためデンマークとのつながりが強く、方言も言語学的にはデンマーク語に近いのだそうです。ヘルシンボリは対岸のヘルシンゲルと4kmしか離れておらずフェリーで20分。EU加盟までは、税金の高いデンマークから酒やたばこが安く買えるヘルシンボリに買い物にくる人も多かったとのこと。2000年にはコペンハーゲンとマルメを結ぶ橋が開通し(東京アクアラインのように人工島と海中トンネルがある)、30分で行けるようになり、マルメとヘルシンボリはコペンハーゲン都市圏に含められているようです。蛇足ですが、デンマークから歯の治療にスウェーデンに行く人もいるようです。

■ニールセンとシベリウス
 ニールセンが北欧の作曲家というとフィンランドのシベリウスみたいな感じの曲なのかな、と想像する方もあるかと思いますが、だいぶ雰囲気が違います。
 以前、新響で渡邉康雄先生に振っていただいた時期があり、シベリウスの作品を数多く演奏する機会がありました。フィンランド人の母を持ち日本でのシベリウス演奏の一人者であった指揮者渡邉暁雄氏のご子息であります。シベリウス作品との組み合わせとして、同じ北欧のノルウェーの作曲家グリーグの作品はどうでしょうかという問いに、北欧だからといっしょにしてはいけないと言われたそうです。
 最近フルートを吹くデンマーク人の友人に今度ニールセンの不滅を演奏するのだという話をつたない英語でしたところ、私もこの前シベリウスを演奏したわと答えました。もしかしたら北欧の人自体はこだわりがないのかもしれません。
 じゃあノルウェーとフィンランドは仲が悪いのかとも思いましたが、ノルウェーは今年のフィンランド独立100周年のお祝いに国境のハルティ山の頂上をプレゼントしようとしたのですから、仲良しなのでしょう。結局は憲法で国土の一部を渡すのを禁じられているため断念したようです。
 ニールセンとシベリウスは同じ1865年の生まれで、同じ北欧に生まれ国を代表する大作曲家となった二人ですが、ほぼ同じ数の交響曲を残し最後の交響曲も同じ1924年に作曲されています。また、若い頃はヴァイオリニストであり優れたヴァイオリン協奏曲を書いている点も共通です。
 ニールセンは1931年に65歳で亡くなり、シベリウスは91歳まで生きましたが、作曲は1930年に数曲書いたのを最後にほとんど作曲していません。その理由はわかりませんが、ニールセンという存在を失ったことも関係しているような気がします。
 ニールセンの死後22年経った1953年にコペンハーゲンでニールセン・フェスティバルが催された時、シベリウスは「偉大なるデンマークの民カール・ニールセンは、その作品には音楽のあらゆる形式が含まれているが、生まれながらの交響曲作曲家だった。最初から明確にもっていた志を遂げるため、その偉大なる知性をもって天賦の才能を磨いた。その力強い個性によってひとつの流派を打ち立て、多くの国の作曲家たちに影響を与えた。頭脳と精神について言うならば、カール・ニールセンは、いずれも最高級のものを持ちあわせていた」というメッセージを寄せています。シベリウスは本当にニールセンを認めていたのでしょう。

■デンマーク人はなぜ幸福か
 さてデンマークといえば何を思い浮かべますか?高福祉、王室、レゴ、北欧デザイン家具、アンデルセン、チボリ公園・・・。
 何と言ってもデンマークは世界一幸福な国なのだそうです。もっとも「幸福度」には様々な調査機関、指標による報告があり、いろいろな結果があるようです。国連の支援を受けコロンビア大学が行った調査では、富裕度、健康度、人生の選択における自由度、汚職などが考慮され、2013年発表の第1回の調査でデンマークは1位でした(次の2015年発表では3位)。ちなみに日本は43位→46位。他にもいくつかの調査でデンマークが1位になっています。
 これは物質的な豊かさではなく「国民が幸せと感じるか」。デンマークでは教育や医療の保障が充実し、貧富の差が少ないということがあるでしょう。それだけでなく国民性として、そもそもあまり期待をしない、他人と比べない、平等を好む、贅沢を望まない。だから少しのことでも幸せを感じることができるということのようです。毎日の暮らしを楽しむことが重要で、家具などのデザインが心地よいのかもしれません。

■そして「不滅」
 ニールセン交響曲第4番の副題の「不滅」ですが、デンマーク語のDet Uudslukkeligeのニュアンスは、消し去り難いもの、滅ぼすことのできないものといった方が近いそうです。
 作曲されたのは1914~16年、第一次世界大戦が始まった頃です。内村鑑三の「デンマルク国の話」という1910年の講話をまとめた著書があります。北欧の小さな国であるデンマークは、日本の面積は10分の1、人口は20分の1でしかないのに、貿易高は日本の2分の1で国民1人あたりの富は独英米より多い豊かな国である。50年前に敗戦し国土を失ったが、樹木を植え天然資源と土地を有効活用し、貴い精神で新たな良い国を得たのだという話です。非戦論者の内村はデンマークを模範にすべきと考えたわけです。
 開戦直後にデンマークは中立を宣言しましたが、ドイツの要求を受け入れざるを得ず、沿岸領域を占領されて貿易ができず、物資が不足し失業率が上昇しました。そのような困難があっても人間の魂は滅ぼすことができないという意志が込められているのでしょう。

 幸せとは何か、考え直してみたくなりました。

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