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ヴィオラ弾きによるヴィオラのご紹介

村原 大介(ヴィオラ)


 維持会員の皆様、こんにちは。当団にてヴィオラを弾いております、村原大介と申します。この度、維持会ニュースに寄稿をというお話をいただき、軽い気持ちでお引き受けしたものの、どんなことが書かれているのか参考にと過去のニュースの投稿を見てみましたら、皆さん素晴らしい文章をお書きになっていて、えらいことを引き受けてしまったなと困惑している次第です。とはいえ、新響の団員の生の声をお届けできる貴重な機会ということで、拙い文章ではありますが、どうぞお付き合いの程お願い申し上げます。


■まずは自己紹介
 私は、新響に2013年の1月に入団しました。まだ入団して2年ほどの新参者でありますが、私の父が新響のヴィオラ奏者であった関係で、親子二代でおよそ50年にわたり、新響のある生活を送っております。父は私が生まれる前から新響の団員であり、物心ついた頃から、毎週土曜日の夕方からは家には居ないことが当たり前でした。練習後の宴会で意気投合した10人くらいの団員の方と一緒に帰宅し、我が家で二次会が開かれたこともありました。また、合宿があった時には、母と子供は千葉の大原にあった祖父母の家に置いていき、一人で当時の合宿所があった茨城の鹿島まで車を走らせて合宿に参加し、合宿の後は祖父母の家までまた迎えに来るという、今考えても「良くやるなあ」と思わされる生活をしていました。そんな父の影響で、小さいころから新響の演奏会を聴きに行っていました。在りし日の伊福部昭氏とタクシーに同乗させていただいたこともありました。そして、いつの間にか自分もヴィオラを弾くようになっていました。


■ヴィオラという楽器について
 さて、このヴィオラという楽器、ヴァイオリンやチェロのように子供用の楽器がある訳ではありません。世界的なヴィオラ奏者といえども、「3歳からヴィオラを始める」なんてプロフィールは見たことがありませんし、ヴァイオリン弾きには、「神童」と呼ばれる人がいますが、ヴィオラの「神童」なんて聞いたこともありません。音楽にさほど興味のない方は、ヴィオラという楽器の存在すら知らないということも少なくありません。また、ソロ楽器としてヴィオラを演奏する例は、アマチュアではほぼ聞きません。専ら、オーケストラや弦楽アンサンブルで、内声部を慎ましく弾いている楽器です。居ても居なくても分からないなどという意地悪を言われることもあります。しかし、ヴァイオリンにはない渋い響きや、大作曲家(個人的にはブラームスが一番です)の絶妙なヴィオラの使い方にはまると、その魅力から抜け出せなくなるのです…。


■ヴィオラ弾きについて
 よく考えてみると、こんなにも地味な楽器を、どのようなきっかけで始めるのでしょうか。少なくとも、カッコいいから始めたという人は皆無でしょう…。私が出会ってきたヴィオラ奏者は、大きく分けて3つのパターンに分けられました。
 一つ目は、幼少からヴァイオリンを習い、大きくなってヴィオラに転向するというパターン。基本的な奏法が既に身についていますから、遅れて始めてもモノになるのが早く、オーケストラのヴィオラパートとしては即戦力として期待できる存在です。転機は様々でしょうが、ヴァイオリンと比較してマイナーであるため天下を取りやすいと考える野心家もいるかも知れませんし、ヴィオラの渋い響きに魅了されて自分でも弾きたいと思って転向する例もあるでしょう。さらには、ヴァイオリンに挫折して転向を余儀なくされるという例もあるかも知れません。
 かく言う私はこの「ヴァイオリン挫折組」に当たります。ヴァイオリンのレッスンに通っていた教室の弦楽合奏団で、私は同年代の仲間達が当たり前のように進んでいた最上級クラスの合奏団に入れる基準(モーツァルトの協奏曲を弾けなくてはなりませんでした)を満たしていませんでした。見るに見兼ねたある先生から、ヴィオラを弾くのであれば、その合奏団に入れてもらえるという話が出ました。ヴァイオリンが思うように弾けずに悩んでいた(今となっては大した悩みではないのかも知れませんが、両親や師匠の手前、当時は割と深刻な問題であったと記憶しています…)
 私は、父のヴィオラが家にあるという理由だけでその話を受けることになりました。初めてヴィオラを持ち、弦楽アンサンブルの中で曲を弾いたときの感想は、「ヴァイオリンと比べて高い音や細かい音を弾かされない。しかもあまり目立たない。これは助かった!」というものでありました。当時の私には、数年の後にマーラーやリヒャルト・シュトラウスといった作曲家によって、そんな怠惰な思想が粉々に打ち砕かれるという運命を知る由もなかったのです…。とはいえ、合奏団にヴィオラ奏者がほとんど居なかったことも手伝い、様々な弦楽アンサンブルやクァルテットの曲を演奏する機会に恵まれました。ヴァイオリン奏者のままでは団のお荷物だったであろう私にとって、ヴィオラという楽器はまさに救世主のような存在だったのでした。
話が脱線してしまいました。二つ目は、学校の部活やサークルで初めてオケや弦楽アンサンブルをやろうとして、ヴィオラを始めるというパターンです。ヴァイオリンは腕利きの集まりで、楽器未経験の人にはややハードルが高いのですが、ヴィオラはどこも人数不足で、比較的難易度も高くはないことから、初心者の方が始めるにはちょうどよい楽器なのです。こうしてヴィオラを始めた人は、性格的にもおっとりとした癒し系の人が多く、ヴィオラパートの雰囲気づくりには、不可欠な存在です。
 三つ目は、吹奏楽経験者が大学でオケに入ろうとするも、オーディションの壁にぶつかり、止む無くヴィオラに転向するというパターンです。オーケストラと吹奏楽では、管楽器の人数構成が全く違います。私の母校のオーケストラは、所謂名門と呼ばれる大学オケではありませんでした。それでも、演奏会の出番に偏りが生じないように管打楽器の定員は決まっており、定員を超えた応募のあるパートはオーディションが行われていました。不運にもオーディションに通らなかった人のうち、それでもオーケストラがやりたいという人の駆け込み寺的存在なのが、ヴィオラパートなのです。オーディションで蹴落とされたことに対する怨念によるものなのか、楽器初心者でありながらメキメキと頭角を現す人が多く、管楽器奏者時代に培われた、言わば「俺様力」を遺憾なく発揮し、パートを引っ張る存在になってくれます。しかし、中にはその過程で、発展途上な音を出してしまう自分が許せず、残念ながら楽器を辞めてしまうという例もあります。
 これまでの例は、あくまでも私の体験でありますが、新響入団までに関わってきたいくつかのオーケストラでは、ほぼこの3パターンの人達の集まりだったといえます(一部主観があるかも知れませんが…)。


■おわりに
 書き記してみると、始めるきっかけがこれほど多様な楽器というのは、珍しいのではないかと思います。しかし、私が今まで関わったどこのオケであっても、ヴィオラパートは穏やかな人が多く、雰囲気も和やかというのは共通です。他の楽器から転向した人達も、いつしかヴィオラの雰囲気に馴染んでいくようです。当団のヴィオラパートも、皆穏やかで(新響で唯一?)和やかな雰囲気の中で練習しております。ただ、ヴィオラパートのもう一つの宿命として、演奏者の絶対数の少なさのため、人数不足に陥りやすいということがあります。当団も例に漏れず、現在団員を大募集中です。維持会員の皆様におかれましても、オーケストラを探しているヴィオラ奏者がいましたら、ぜひご紹介いただければ大変幸いです。
 今後とも、よりよい音楽を皆様にお届けできるよう、精進していきたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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