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わがアマオケ放浪の記

野田俊也(ファゴット)


 当団でファゴットを吹いている野田と申します。当団には4回入団(非公認最多入団記録です)しています、と言っても意味が分からないと思いますが、転勤の多い会社で働いているので、転勤の度に退団し本社へ戻って来ては再入団する、の繰り返しで都合4回入団したと言うことです。新交響楽団は入団時にオーディションがあるのですが、かつて在籍していた者に既得権はなく、他の入団希望者と同様にオーディションを受けることになります。従って4回入団した自分は5回のオーディション(2回目の入団の時に再オーディションとなった為です)を受けています。


 「マーラー8番を演奏するので新響に入らないか?なかなか2回は演奏できないぞ。」と大学の先輩から声を掛けられたのが当団に入団するきっかけでした。マーラー交響曲8番を2回って何?と思われるかもしれませんが、そうなんです。大学在学中に出身校が創立100周年を迎え、それを記念して大学のオーケストラと合唱団で故岩城宏之の指揮でマーラー交響曲第8番を演奏したのですが、新交響楽団でも故山田一雄とのマーラーシリーズが佳境を迎えていてマーラー交響曲第8番を演奏することになっており、新交響楽団に入団してこの演奏会に乗れば2回演奏できる訳だったのです。ご存知の通り「千人の交響曲」と言われるくらい大掛かりな曲ですので、滅多に演奏する機会はありません。「これは良い機会だ!」と思ったのは言うまでもありません。


 当時は大学オーケストラの先輩も多く所属していたので馴染みやすいかなとも思い、当団への入団を決意すると、早速オーディション対策としてファゴットの巨匠である霧生吉秀先生のレッスンを受けに行きオーディション課題曲のレッスンを受けました。オーディション会場は新宿文化センターのリハーサル室。各パートのトップの方に囲まれた中でオーディション。何とか合格して、斯くして1986年に新交響楽団へ第1回目の入団を果たしました。そしてマーラー交響曲8番の演奏も無事に果たしたのです。


 年4回行われる演奏会と年に数回行われた合宿に明け暮れ楽しく過ごした新響生活ですが、初めての転勤辞令でお別れとなってしまいました。行先は仙台。東京文化会館でのブラームス交響曲第1番の演奏を最後に退団し仙台へ異動。この時は未だ独身でしたので、ちょくちょく東京へ戻ってきては新響の練習を覗いて、エキストラとして参加したこともありした。仙台では地元のアマチュアオーケストラである仙台ニューフィルハーモニーへ入団し音楽活動を続けていました。4年間の仙台での任期を終え東京へ戻り、新響へ復帰すべく2度目のオーディションを受け、上記の通り再オーディションの結果2回目の入団を果たしました。


 飯守泰次郎氏との『ワルキューレ』第1幕全曲、ブルックナー交響曲第8番、故小松一彦との映画誕生100年記念演奏会、と思い出に残る演奏会を経験した後、新交響楽団創立40周年記念シリーズで本日演奏するプロコフィエフ交響曲第5番をメインとする演奏会に向けた練習中に転勤辞令がでました。行先は福岡です。プロコフィエフは他の団員に代わって貰い、後ろ髪を引かれる思いで福岡へ行きました。福岡でもさっそく地元のアマチュアオーケストラである福岡市民オーケストラに入団して、ラプソディー・イン・ブルー、ベートーベン交響曲第7番やオペラ『蝶々夫人』等を演奏しました。そんな中、当時の新響ホルン吹きで福岡出身の方から新響と福岡市民オーケストラのジョイントコンサートを福岡で行ないたいとの申し出があり、早速福岡市民オーケストラの幹部にそれを伝え協議を開始。当初は演奏レベルが違いすぎるからジョイントコンサートは無理だ、と反対意見もありましたが、最終的にはオーケストラのステップアップには良い経験だ、との理由でジョイントコンサートを受けることを決定し、指揮者も福岡出身の井崎正浩氏に決め準備を進めていました。ところが、ジョイントコンサートの直前にロンドンへの転勤辞令を受取り、ジョイントコンサートに出演することなくロンドンへ旅立ちました。ジョイントコンサート後にロンドンへ福岡市民オーケストラのメンバーからメールがたくさん届きましたが、演奏の内容よりも演奏会後の宴会芸で新響に負けたことを悔しがるメールが殆どで大笑いしました。


 イギリスはアマチュアオーケストラがとても多い国です。ロンドンにも多数ありますが、練習日がどのオーケストラも平日なので、会社が終わって家に戻り車で練習に行ける範囲にあるオーケストラを探し、最終的にBromley Symphony Orchestraへ入団しました。入団に際してオーディションはないのですが、イギリスでは国立音楽学校が認定する「グレード」があり、オーケストラの団員募集には「グレード8以上の人求む」とあります。さすがに今更グレードを取る訳にもいかないので、電話でオーケストラ経験を延々と述べ、練習で一緒に吹いてOKかどうか判断してくれと懇願したら、それでは次回の練習に来て下さいと言われ、申し出を断られずにほっとするようなドキドキするような不思議な気持ちで電話を切り、初の練習に臨みました。Bromley Symphony Orchestraは1年に4回演奏会を行ない10月から6月までを活動シーズンとしていましたので、新響より演奏会当たりの練習回数が少なく、その中で曲目を仕上げていくので彼らの腕はなかなかのものでした。初参加は確かバルトークの『管弦楽のための協奏曲』の練習だったと思いますが、大学の時に吹いたことがある曲でしたので何とかこなして入団と相成りました。


 Bromley Symphony Orchestraはイギリス人作曲家の曲を多く取り上げて演奏しましたので、日本ではなかなか演奏する機会の無い曲に触れることができ本当にいい経験でした。また、エルガー交響曲第1番を演奏した時などはオーケストラがあまりにもしっくり演奏するので思わず鳥肌が立ってしまい、以来この曲が大好きな曲の一つになっています。依頼演奏会で演奏したティペットのオラトリオ『われらが時代の子(A Child of Our Time)』はセカンド・ファゴットの担当でしたが、セカンドにソロがある曲があり、オーケストラのメンバーから温かい(?)目線を浴びたのもいい経験でした。
 当然のことながらオーケストラの練習指導は英語です。どこの国でも同じですが、指揮者が合奏を途中で止めてやおらオーケストラに指示を出します。この英語は何とか分かるのですが、たまにジョークを交えるので、そうなるとお手上げです。周りの楽団員が笑って聞いている時も、はてなマークを顔面一杯にしつつ、次の合奏がどこから始まるのかだけを聞き逃さないように耳を集中していたものです。ファゴットの仲間が「合奏がどこから始まるかよく分かるね。隣のイタリア人は落ちてばかりだけどね。」と感心してくれたこともあり、その時は努力が報われた感じでした。楽しかったロンドン生活も4年間の勤務を終え東京へ戻り、新響へ復帰すべく4度目のオーディションを受け、3回目の入団を果たしました。


 3回目の入団時は子供が小中学生で何かと手が掛かる頃でした。小学校の親の会に出席したり、学校を清掃したり、子供のピアノ発表会に出演したりなどで催し物が増え、毎週土曜日に新響に出ることが段々と難しくなり、残念ながら1年足らずで退団を決意しました。それからほどなくして大阪へ転勤辞令が出て、家族で大阪へ引っ越すことになりました。大阪では住まいを神戸にしたので、当地では神戸市民交響楽団に入団。関西には新響の姉妹オーケストラ(?)である芦屋交響楽団があるのですが、諸事情により神戸市民交響楽団を選ぶことになりました。


 大阪から本社への転勤辞令が出たのは大阪へ転勤して1年後。家族は神戸での生活が落ち着き始めたばかりでしたので、やむを得ず一人で東京へ逆単身。この時に新響へ復帰出来るチャンスもあったのですが、さすがに週末は神戸の家族に会いに行くため断念しました。そうこうしている内に家族を東京へ引き纏めることになったのですが、ほぼ同時期にロンドンへ転勤辞令。なかなか落ち着かせて貰えません。2回目のロンドン駐在ではオーケストラ活動をしなかったのですが、その代わりにオーケストラやオペラの演奏会には数多く行きました。ロンドンの著名オーケストラの演奏会は£10~£35程度(今の為替ですと約1,800円~約6,300円)で聴けますので、回数を気にせずに行くことが出来ます。お勧めはバービカンホールをホームとするロンドン交響楽団。個人の力量も高く、また素晴らしいアンサンブルを披露してくれるオーケストラです。その他、ご存知の通りロンドンフィルハーモニー、フィルハーモニア、BBC交響楽団と素晴らしいオーケストラ揃いですので飽きることなく駐在期間を過ごしました。


 2年のロンドン駐在を終え日本に戻ってきたのが昨年の6月。帰国した翌週に梅雨が明け、一気に猛暑が日本列島を襲い、ロンドンの穏やかな気温ですっかり毛穴が閉じていた自分にはとてもきつい夏の始まりでした。そんな中、新響の仲間から練習を聴きに来ないか?と言われ、池袋の芸術劇場リハーサル室へ見学に行きました。前回退団してから10年が経っていましたが、久々に新響のメンバーに会って、何とも言えない懐かしさがこみ上げて来たのと、パワーアップした新響を聴いて再入団したいなと思うようになり、新響のエキストラもしながら5回目のオーディションを受け4度目の入団を果たし、今に至っています。今回の演奏会は因縁なのでしょうか、プロコフィエフ交響曲5番を吹かせて頂いております。


 これから数年後に転勤辞令を貰うかもしれません。多分あるでしょう。その時は今まで通り退団して、東京に戻ってきたら再入団したいものだと思う今日この頃です。
 余談ですが、当団の練習で使う団員出欠表は入団順に名前が連なっていますので、いつになっても自分の名前はファゴットの一番下です。

新交響楽団第227回演奏会(2014.10.26)維持会ニュース

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