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インスペクター体験記、そして震災・・

安田 俊之(チェロ)

 皆さん、インスペクターってご存知ですか?一般にはあまり馴染みのない言葉だと思いますが(アメリカの警察で警部のことを指したりするようです)、オーケストラでは練習の計画を立てたり進行を取り仕切ったりする役目を言います。
 このインスペクター(以下インペク)を今年1月演奏会まで4年間務めさせて頂きました。振り返ってみると甚だ頼りないインペクだったと反省しきりです。それでも「この機会に是非体験談を」と新響で随一の存在感を示す維持会マネージャー氏から頼まれまして、まあ滅多にない機会だから、と引き受けた次第です。

 ところが、いざ書こうと思ってもなかなか思いつきません。その時々はいろいろ考えながら取り組んでいた筈なのに、喉元過ぎれば何とかですっかり記憶から消えちゃっているのです。(単なる物忘れの進行かもしれませんが・・)
 まあそれでも過去の資料などから記憶の糸をたどり(って言うと地道に取組んでいるように見えますが、実際は空っぽの頭をたたきながら唸りまくっていました。ああ見苦しい・・)何とかまとめてみました。ご一読頂ければ幸いです。

■成田空港から練習会場へ
 5年前に新響は創立50周年を迎え、4回の演奏会で特別プログラムに取り組みました。自分がインペクに就任したのはその翌年4月の演奏会シーズンからです。「50周年が終わったから少しは軽めのプログラムになるかな」と考えていたら、とんでもない!前年に劣らない重量級のプロが並びました。そしてインペクとして活動を開始したのですが・・。
 実はインペクに決まった直後(年末でした)に会社から転勤の内示が出まして、都内勤務(土日休み)から、成田空港勤務(土日・日月休みのシフト制)になってしまったのです。(会社が航空貨物関係なので、こんな場所にも職場があるのです。)さて困った!土曜出勤だと練習は遅刻か欠席。インペクどころか新響も続けられるだろうか、と頭を抱えつつ、年明けの正式な辞令を待って団内の関係者に相談しました。
「新響クビですかね~?」
「取り敢えず続けてみてよ。インペクも。
練習に間に合わない時はカバーするから」

という有難いお言葉(?)でクビにはならず、とにかくやってみることになりました。
 でも初っ端のシーズンは流石に緊張しました。いくら仕事での遅刻は認めてもらっても、やはり「出来るだけ早く練習に入りたい」という思いはあり・・。土曜は残業がなければ16時までの勤務ですが、退社後は京成の成田空港第2ターミナル駅までダッシュ(実際は会社のバスで駅近くまで送迎ですが、バスの中を走っているような気持ちでした。)16時半くらい発のスカイライナーに飛び乗って日暮里経由で十条の練習場到着が18時くらい。17時45分の開始には間に合いませんが、何とか遅れを最小限にしようとしてました。(因みに当時の京成スカイライナーは今のシティライナーに相当するもので、空港から日暮里まで1時間くらいかかりました。今は30分弱ですね、今なら間に合ったかも・・でも高い!)
 月4回の週末のうち土日休みと日月休みが半々なのと、十条以外の練習場だと18時以降開始のパターンがあり何とか間に合うこと、などで遅刻回数は当初心配した程は増えず「おまえは遅刻が多すぎるからクビ!」にはならずに済みました(ホッ・・・)。
 こうしてインペク就任後2年間は成田から通い続けました。会社と新響という仕事と音楽の切り替えは移動の電車内だったのですが(今だから告白すると)譜面やスコアを読んだり演奏を聴いたりという模範生的なことは一切やらず、ただただ田園風景を眺めながら途中からウトウトしていただけでした。「ちゃんと勉強しろ!」とチェロのトップに怒られそうですが・・。でも印旛沼とか眺めながらマッタリしている時間はとてもとても貴重でした。(そういうことでトップの皆さんゴメンナサイm(_ _!)m)
 3年目には再び都内勤務となり練習に100%出席出来る環境になりました。

■指揮者の先生方との思い出
 インペクとしてお付き合いさせて頂いた指揮者の先生は、小松一彦先生、山下一史先生、高関健先生、飯守泰次郎先生、そして曽我大介先生の5人です。
 このうち最も多かったのが小松先生の5回(他に演奏旅行で本番2回)でした。インペク最初のシーズンも小松先生でしたし、200回演奏会や芥川先生没後20年の記念演奏会、新潟演奏旅行といったイベント的なシーズンをご一緒させて頂きました。先生の指揮では、例えばショスタコでの厳格なテンポキープやドヴォルザーク、ラフマニノフで旋律を歌わせる時の表情は特に印象的でした。とてもフレンドリーな方で練習スケジュールの件などで良く携帯に電話を頂きました。「指揮者の小松です。」で始まり「安田さんとのホットラインでの連絡だけど・・」とこちらの気持ちを取り込みながら、いろいろな提案をして下さいました。「事務所は何とかするから」と言って半年先の予定を決めて下さったり・・。残念ながら体調を崩されて療養中とのことで、新響もここ1年半はご無沙汰しています。また元気なお姿を見せて頂きたいな、と思います。
 次が山下一史先生の4回です。新響とも4年前が初共演でした。音楽への造詣の深さと的確なご指導が素晴らしく、年1回ペースでのお付き合いをして頂いています(今は常任の仙台フィルが大変なことになっていてご苦労されているようです)。
 実は自分の失敗談ですが、確かイベールの『寄港地』の練習(第202回定期)の時でしたが、先生が練習終了時間を1時間勘違いされていたことがありました。おそらく自分の伝達ミスだと思うのですが・・。終了(20時45分)30分前になっても曲の半分にも達してません。「前半が難しいから時間をかけているのかな」と思って(思い込もうとして・・?)ましたが、先生が「ではここで休憩して・・」と言った時には鈍い自分も流石に(もしや!)と思い・・
「残り30分ですから休憩はちょっと・・」
「えー、9時45分までじゃなかったっけ」。

(ここからはパニックのためか自分の記憶が定かではないのですが)
「少し延長とか出来ないかな~?」
「出来ません!ダメです!」

 この言下に切り捨てたことが後の飲み会で話題になり「指揮者にあれだけ言えるのはおまえしかいない」と褒められ叱られ・・。先生に申し訳ないやら、穴があったら入りたいやらで散々でした。(このシーズン後も先生は2回共演して下さり、来年1月もご一緒出来ることになっているので、取り敢えず水に流して下さったかな、とひとます安堵しております。)
 高関先生とは3回ご一緒しました。全部メインがマーラーの交響曲でした。(第9番、第6番、第7番。因みに今年秋に第5番をご一緒します。)トレードマークの自転車出勤(?)は最近見かけられなくなりましたが、大指揮者でありながら、飄々と登場され団員の中にすぐに溶け込むさまは、さながら忍法「大衆隠れの術・・?」みたいな感じ。「先生、まだ来られてないのかな~」と周りの団員に聞くと「あそこに」。指さしたところにはすっかり団員と同化(?)した先生が談笑している、まさしく「健ちゃん」(失礼!)と言った感じでした。(因みに先生の練習はほとんど時間どおりに終わるのでインペクとしては有難かったです。)
 曽我先生とは2回。2年前が新響初共演でした。独特のパフォーマンスも印象的でしたが、音程感覚や旋律の歌い方をとても大事にされていて、この両面からのアプローチが2回の演奏会でとても良い体験につながったと思います。初共演でのバーンスタイン『シンフォニック・ダンス』で練習スケジュールの確認メール中で「シャウト(叫ぶ)やフィンガースナップ(指パッチン)はどの程度やったら・・」と阿呆な問い合わせをしたら先生からは「とにかく思いっきりやって!指パッチンは練習が必要ですよ。」との返事。実際の練習でもシャウトのパート練習をやらされました・・^_^!!)

■飯守先生
 そして今回共演する飯守先生とは2回ご一緒しました。実は最初に周りから「先生は良く練習会場や日時を間違えるから注意した方がいい。」とアドバイスを受けていました。本当かな、と思いつつも忙しい先生の貴重な練習がボツになったりするとインペクは磔にされるか滝野川に浮かぶかもしれない・・などと勝手に思い込み、それこそ必要以上に電話、ファックスで連絡を取り続けました。そのおかげ(?)か言われたような行き違いはなかったのですが、後で考えるとちょっと大袈裟に心配し過ぎたようです。(先生の名誉のために言いますと、実際はとても細かくスケジュールを確認されていたようです。)
 ただ練習の時間配分は予定どおりにいかないことが多かったです。これは先生の所為というより新響側の問題が多いのですが・・。全ての作品と真摯に向き合いその世界に全精力を傾け入り込まれる先生にとって、我々の音程や出の間違いミスはまさしく「音楽を冒涜する悪行」。1小節間違えて飛び出したりすると「何でそんなことが出来るんですか!」と髪を振り乱し口からは泡を吹きながら(ちょっと大袈裟?)興奮して叱咤されます。うっかり間違っちゃった、という言い訳は全く通用しません。和声を宇宙的奇跡として捉えておられ、音程が悪いと「そんな音程は、その辺のコンビニでも売ってません!(コンビニ関係の方ゴメンナサイ!)」もし売ってるなら是非買いたい、と思うくらい打ちのめされます。でも先生の音楽とその姿勢には皆共感しているので、それこそバンジージャンプやジェットコースター程に底まで何回堕とされても、その都度這い上がり本番を迎えようとするのです。(ライオンの子供みたいでいじらしいかも・・)
 今回のブラームスとドヴォルザークも先生が非常に情熱を傾け取組まれています。残念なことに震災の影響で先生との練習が1回中止となってしまったのですが、これから仕切りなおして5月の本番で素晴らしい音楽体験を披露出来たらいいな、と思っています。

■貴重な体験に感謝、そして震災
 終わってみると4年間はあっと言う間でした。この原稿を書き始めた時は「何も覚えてないな~」という感じでしたが、書いているうちに段々思い出してきて・・。他にもトレーナー先生方とのやり取り、団内の多くの方のサポート、協力など、いろいろなことがありました。今にして思えば全てが自分には過ぎたる貴重な体験だったのかな、と感じられます。繰り返しになりますが、あまり頼りになるインペクではなかったですが、それでも多少なりとも新響のお役に立てたかな、それなら良かったけど・・などと思っています。そして自分にとって身に余る体験をさせて下さった団に感謝の気持ちで一杯です。
 今シーズンからチェロの柳部容子さんが後任を務めてます。若さに溢れ何事にも積極的で周りへの気遣いもある彼女は、私が4年間かかって辿り着いたレベルを1ヶ月でクリアし、さらなるステップアップを遂げています。これからが本当に楽しみです。
 そして・・・この原稿を書き始めた直後に3月11日、あの大震災の日を迎えました。東京の職場でいわゆる「帰宅難民」となり、その後の計画停電による交通機関マヒの影響も受けたのですが、東北地方を中心に被災された方々の苦労の比ではありません。被災者の方には心からお見舞い申し上げます。
 新響の練習も2回休みとなりました。日常生活が混乱している中でのこの決断は正直とても有難かったです。でも2週間が過ぎて何となく不安定感が残る毎日。余震、計画停電、放射能ニュースの影響かな、とも思いましたが、3月26日に3週間ぶりに練習に出てみて感じました。「自分にはこの週1回の音楽体験が必要なんだ」と。

 この原稿を書いている3月終わり時点で、いろいろ不安定要素はあるけど5月の本番は「是非成功させよう」というのが我々の気持ちです。スポーツ界、芸能界の方々もコメントされているように「みんなを元気付けることも大事」という気持ち、これを大切にしていきたいです。節電など苦労を分かち合うことはもちろんですし(3月26日の練習ではエアコンを止めました)諸援助など出来ることはやっていきたい、でも新響という場で音楽を発信していくことが我々にとって、そして聴きに来て下さるお客様にとって重要なことだと感じています。その気持ちを胸に抱き5月8日の東京文化会館大ホールのステージで聴衆の皆さん、そして団員みんなと素晴らしい音楽体験を共有出来る日をめざして頑張りたい思います。
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