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ヒンデミットとナチス

岡田充子(フルート)

 ヒンデミットは1895年にドイツのフランクフルト近郊の町ハーナウで生まれました。ヴァイオリン奏者として音楽活動を始めた後ヴィオラ奏者として活動し、また多くの作品を作曲しました。1927年からはベルリン音楽大学の教授(作曲科)にもなり活躍していたのですが、このあとドイツではナチズムが台頭してきていました。1933年にヒトラーが政権を握りましたがその年ゲッペルスが全国音楽院を設立し、R.シュトラウスがその総裁になりました。
 翌1934年3月ベルリンフィルの定期演奏会でヒンデミットの交響曲『画家マチス』が初演されました。この曲がナチスの望む保守的な作品ではなかったため7月から反ヒンデミットキャンペーンが始まったのでした。雑誌『音楽』(1934年7月号)には

 「パウル・ヒンデミット。能力と芸術 家精神は同じものではない。ヒンデミット の能力は疑いなく偉大であるが、この模倣 者には神聖な専心などありえないのだ。 もし国民が彼の能力を拒否するとすれば、 それはこの新参者が新しい手段を用いて いるからではなく、彼の能力にはあの無 条件の真実味が欠けているためである。」

と書かれました。このようにヒンデミットに対する攻撃は激しくなっていきましたがこれに対してベルリンフィルの指揮者フルトヴェングラーは11月にドイツ一般新聞にヒンデミット擁護の記事を載せました。そのため彼は12月にはベルリンフィル等を辞職することになります(翌年には和解)。
 R.シュトラウスも『無口な女』をユダヤ人と一緒に仕事をした、ということでナチスに責められ、追従的な態度を取るようになりましたが、これは息子の嫁がユダヤ人であったため家族を守るのに必死だったからです。 私は昔、その嫁であるアリーチェさんにお会いしたことがありますが、「シュトラウスは私達の命を守るためにナチスに協力せざるを得なかったのです」と強く訴えていたのを覚えています。
 このような状況でヒンデミットも1938年にはスイスに亡命、1940年にはアメリカに亡命しています。その後市民権も取得しエール大学の教授になりました。そして1943年にウェーバーのピアノ連弾曲などからの主題を使って作曲したのが今回演奏する『ウェーバーの主題による交響的変容』です。アメリカでの生活も落ち着いて安心して作曲に取り組んだと思いますが、故国ドイツの1世紀前の作曲家による主題を使ったのはやはり望郷の思いもあったからではないでしょうか。

 ところでこの曲の第3楽章の後半には主題の再現のバックで延々とフルートがオブリガートを演奏します。大変難しいのですが、実は最近の新響のオーディションでは必ず課題になっているもので、従って最近入団した人はみんなこれを吹いて入ってきているわけです。私が入団した約20年前にはオーケストラスタディは課題になかったので私はやっていませんが、今回この曲を吹くことになり「もう一回オーディションを受けている」ような気分でがんばりたいと思います。
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