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第240回演奏会のご案内

矢崎彦太郎=新交響楽団6回目の共演
パリを拠点に活躍し、そのタクトから色彩豊かな音が溢れる矢崎彦太郎を指揮に迎え、フランスの代表的作曲家フランクの交響曲と、同じラテンのイタリアの代表的作曲家レスピーギの「ローマ三部作」のうち2曲を演奏します。

近代フランス音楽の父-フランク
フランスの交響曲といえば、ベルリオーズの「幻想交響曲」が有名ですが、それと並んで代表する作品はフランクの交響曲ニ短調でしょう。
フランクは、1822年にネーデルラント連合王国(のちにベルギー)のリエージュで生まれました。父親は息子をリストのようなピアニストにしたかったため、ヴァイオリンを弾く弟とともに1835年に一家でパリに移住し、その後帰化してパリ音楽院に学びます。今では作曲家として知られるリストですが、当時は女性ファンがコンサートで失神するようなアイドル的存在でした。富と名誉を夢見た父親は、息子らの出演する商業的な演奏会を行いましたが、フランクは結婚を機に父親から逃れ、教会オルガニストとして堅実な道を歩みました。
オルガニストとして、また作曲家としても名声を得るようになり、1872年にパリ音楽院教授の候補となりますが、帰化したはずが21歳までの期限付きだったため、実はベルギー国籍であったことが判明。再度帰化申請をして、フランス人としてパリ音楽院に任用されました。弟子にはダンディやショーソンなどがおり、人間性や芸術性から大変慕われていました。
交響曲ニ短調は、晩年の1888年に作曲されました。フランクはバッハやワーグナーを研究し、また敬虔なカトリック教徒でしたので、精神的な内面を深く表現した作品となっています。オルガン的な重厚な響きを持つこの曲は、ともすると「フランス的ではない」と評されることもありますが、人生のほとんどをパリで過ごしたフランクの作品にはそのエスプリが宿っていると言えるでしょう。

イタリアのオーケストラの魔術師-レスピーギ
「近代イタリアの交響曲」といっても、あまり思い浮かばないのではないでしょうか。ヴェルディやプッチーニなどに代表されるオペラが隆盛をきわめていた当時のイタリアに現れた管弦楽曲作曲家がレスピーギでした。
レスピーギは、1879年にボローニャで生まれました。ロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者としてサンクトペテルブルクに赴任した際に、リムスキー=コルサコフの指導を受けています。1913年にサンタ・チェチーリア音楽院作曲科の教授としてローマに移住し、亡くなるまで過ごしました。
ローマ三部作は「交響詩」と名付けられてはいますが、それぞれ古典的な交響曲にみられるような4楽章構成となっており、「ローマの噴水」はローマにある有名な噴水を4つ、「ローマの祭り」はローマで行われる4つの祭りを題材として、非常に華やかなオーケストレーションで描かれています。 
どうぞお楽しみに!(H.O.)

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