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第216回演奏会のご案内

ロシア5人組
 19世紀中頃から、自国の民謡や民族音楽の語法や形式を取り入れた国民楽派と呼ばれる作曲家が活躍しました。ロシアにおいては、歌劇『ルスランとリュドミュラ』で知られる作曲家グリンカがイタリアで音楽を学んだ後、ロシア的な作品を書き『ロシア音楽の父』と呼ばれました。そのグリンカの愛弟子のバラキレフを中心としたグループが『ロシア5人組』です。
 その頃設立されたペテルブルク音楽院が西欧音楽の伝統を教え、音楽を専門の職業とするための場であったのに対し、国民楽派の5人組はバラキレフ以外は他に本職を持つ非職業作曲家であり、無料音楽学校を開設するライバル関係にありました。今回の演奏会は、5人組のうちリムスキー=コルサコフ、ボロディン、ムソルグスキーの代表作をプログラミングしました。

非職業作曲家たち
 リムスキー=コルサコフは海軍の軍人でした。12歳で海軍士官学校に入学し、在学中の17歳で5人組に参加しました。海軍士官として世界各国を訪れており、異国情緒ある曲多く書いています。『スペイン奇想曲』はその一つで、スペイン民謡を主題に多くの独奏楽器が活躍する華やかな楽しい作品に仕上げています。才能を認められ27歳でペテルブルク音楽院の教授に招聘され、多数の弟子を育てた管弦楽法の大家として名を残しています。
 ボロディンは医科大学の教授でした。アルデヒドの研究で高名な化学者で、『日曜音楽家』だったため遺した作品数は多くありませんが、5人組では唯一交響曲で成功した作曲家でした。交響曲第2番は作曲家が『勇士』と名付けており、ロシアの広大な風景と人々の生活が豊かな響きで表されています。

「展覧会の絵」への思い
 ムソルグスキーは軍人でしたが、その後文官となり、残念ながら晩年はアルコール依存症になり職を追われました。親交のあった建築家でデザイナーのハルトマンが急死し、その遺作展に着想を得たのが組曲『展覧会の絵』です。ハルトマンの絵を表わす10曲の合間に、絵の間をムソルグスキーが歩く様子を表わす「プロムナード」(フランス語で散歩という意味)が6回挿入されています。終曲の有名な「キエフの大門」は実在の建物ではなく、当時建築予定だった凱旋門のデザインコンペに出品されたもので、「卵の殻をつけた雛の踊り」はバレエの舞台衣装のデザイン画でした。人付き合いの苦手だったムソルグスキーにとって、仲の良い友人のハルトマンの死は大きなショックだったでしょう。この曲には亡き親友への想いが込められています。
 原曲はピアノ独奏曲ですが、生前には演奏も出版もされませんでした。リムスキー=コルサコフが遺稿を整理して出版され、世の中に出ます。ピアノ曲としてはかなり難曲ですが、多くの作曲家が管弦楽への編曲を行いました。中でも最も演奏されているのが、オーケストラの魔術師といわれるラヴェルによる編曲の版です。色彩豊かな壮大な曲となっています。
 どうぞお楽しみに!

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